100年以上続くブランドのDNAを守りながら、進化を続ける。「ミレー」CEOが語る、日本市場への大きな期待と今後のビジョン
1921年、マルク・ミレー夫妻によって創業されたフランスのアルパインブランド「ミレー」。クライミング史に残る数々のトップクライマーやアルピニストたちに愛され続け、世紀を超えて山岳スポーツ界に大きく貢献してきた。そんな「ミレー」が記念すべき100周年を迎えた2021年にCEOに就任したのが創業者の曾孫であるロマン・ミレー氏だ。ミレーファミリーが抱く想いや一度はブランドが売却されたのち約50年ぶりに創業家に戻ったことの意味、CEOとしてのミッション、日本市場の重要性、今後のビジョンなどについて語っていただいた。
ロマン ミレーさん/ミレー・マウンテン・グループ CEO
「ミレー」創業者の曾孫として誕生。M&Aやファイナンスなどコンサルティング業務からキャリアをスタートしたのち、2005年から2012年までミレーグループのアウトドアブランド「ラフマ」に勤務。その後中国にてファストファッションブランドの要職を経て、LVMHグループの主要ブランドタグホイヤーを含めたWatch&Jewelry部門の北アジアCEOとして従事。2021年より現職。
“ミレーブランドはミレー家のもとに”という強い信念
― ミレーブランドが約50年振りにミレー家に戻った背景についてお伺いできますか。
ミレーブランドは私の曾祖父・曾祖母が創業したブランドですが、創業後わずか10年で曾祖父が急死しています。しかし、曾祖母の山への熱い情熱は失われることなく、彼女が「ミレー」というブランドを確立していったといっても過言ではありません。その後4世代にわたって山への情熱は受け継がれましたが、約50年前に残念ながらブランドは財政的に難しくなり、ミレー家を離れてしまいました。
それは我々家族にとって痛恨の極みでした。それ以来ずっと、「ミレーブランドをミレーファミリーのもとに」ということが私たち家族・親族全員の夢であり、その機会を窺っていました。偶然なのか必然なのか、その機会が訪れたのが創業100周年に当たる2021年です。クリスマス直前の12月23日にそれが実現したのです。ビジネス面でも人材的リソース面でも、ここぞというタイミングで巡り会えたチャンスでした。100周年にふさわしいスペシャルなクリスマスギフトだったと私は考えています。
― 4世代にわたってつくりあげてきたブランドを、創業者一族である自分の手でマネジメントしたいというお気持ちが強かったのですね。
その通りです。”ミレーブランドは私たちのもとになければならない”という信念が、ずっとミレー家にはありました。
変化に対応しながら、100年受け継がれるDNAを未来へと伝えていく
― トップとしてのミッションをどのようにお考えですか。
ひとつは、100年もの間脈々と受け継がれているブランドのDNAを守りながらも常に変化する状況に対応し、ブランドを進化させていくこと。過去を見ながら未来をどうつくっていくかを見極めるのが私の重要な役割であり、ミッションだと考えています。ユーザーも山の状況も変化している中で、変わらない「ミレー」のDNAをどう伝えていくのか。そこが非常に重要だと考えています。
もうひとつは、働く人やチームなど「ミレー」に関わっている人たちを育てていくことがトップとしての責任だと考えています。日本やフランスを含めたチームワークとして「ミレー」を経験してもらいながら、ひとりの人間として、個として育てていくということです。
私のポリシーは、リーダーとして動き続けること。世界中の人に会う、山に行く、フィールドへ行くことが重要だと思っているからです。 “ヒト”と“山”に「ミレー」のDNAやバリューはあるのですから、私は止まらず動き続けます。
日本市場はユニークで特別。独自企画の投入で売り上げを拡大
― ミレーさんは、日本市場の特徴や重要性をどのように捉えていらっしゃいますか。
非常にユニークで、特別なマーケットだと思います。日本人ならではの繊細さやこだわり、完璧さの追求は他国にはない特別な文化です。日本で通用することは日本以外でも通用するが、日本以外で通用していることが日本で通用するとは限らない、そう考えています。
日本のマーケットがあるからこそ、ミレーブランドは成長し続けることができています。「ミレー」が日本でのビジネスを始めたのは1968年のこと。現在、ミレーブランドのビジネス規模において、NO.1市場はフランス、NO.2が日本です。特に日本でのビジネスはこの2~3年で急速に拡大しています。
― 日本市場向けに独自企画をつくり、商品を展開されているそうですがその理由は?
ローカライゼーションに関しては、「環境面」「感情面」の2つのキーファクターがあります。まず「環境面」についてですが、日本の山とヨーロッパの山はまったく環境が違います。ヨーロッパの山は非常に急傾斜で4,000m以上の峰が連なり、気候はドライです。それに対して島国の日本では、山の近くに海があるため湿度が高く、パウダースノーや低山が多いという特徴があります。最高峰でも富士山の約3,800mです。そのため、ひとくちに山と言っても単純に比較はできないのです。もちろん山を楽しむ人々、クライマーにも違いがあり、彼らが好む機能、必要な機能も異なります。そういった違いに適した機能を提供しなければなりません。「感情面」では、日本人が好むカラー、サイズ、シルエット、デザインを提供する必要があります。
ただ、もっとも重要なのはブランドの独自性と継続性です。環境は異なっても「ミレー」が伝えるバリューは世界中どこでも同じでなければなりません。同じメッセージを提供しながらも、「環境面」「感情面」においてはその土地にベストなものを打ち出していく。それが重要だと考えています。
「FOR THE UNKNOWN -未体験へ進むチカラ-」をマニュフェストに掲げ、ユーザーの信頼に応え続ける
― 日本市場への期待について、お伺いできますか。
日本市場に懸ける期待は非常に大きいです。実際にミレー・マウンテングループ・ジャパンでは、この3年で売り上げを約2倍に伸ばしています。期待する理由はふたつあり、ひとつは自然が非常に身近にあるということ。車や新幹線に乗ればすぐにキャンプ地や山に行けるなど、アクセスの利便性が高いです。また、自然の中で過ごすことがトレンドにもなっています。
もうひとつは、これまでは山でのみ使用されていたものが、いまは街でも使われるようになったこと。25年前に来日した時は、地下鉄の乗客はみんなスーツ姿とビジネスバッグでした。しかし、いまは地下鉄でも街でもバックパックを背負う姿をよく見かけますし、ビジネスシーンでもバックパックやスニーカースタイルが浸透しています。このようにアウトドアグッズが人々のライフスタイルの中に定着してきているのは非常にユニークな現象であり、このふたつの理由から日本のアウトドア市場のさらなる成長が期待できると考えています。
― この3年間の急成長の要因として、どのようなことが挙げられますか。
日本に適した商品を市場に投入したことです。そして、360度のマーケティングコミュニケーションを行ったことです。たとえば、登山用バックパックのサース・フェーの最新モデルは、メディアへの投資、インストアプロモーションやコミュニケーション、スタッフ教育も含め、360度のコミュニケーションができたことが成功要因となりました。今後はモバイルやデジタルを通してユーザーと直接的に繋がり続けることが、さらに重要になってくると考えています。
― ミレーブランドが多くの登山家やプロフェッショナルから愛され続ける理由は何でしょうか。
まず挙げられるのは、「信頼」です。商品に対する信頼、ブランドへの信頼。安全性の確保とも密接に関係しています。そこをしっかり提供できているからだと思います。そして私たちもアルピニストをリスペクトしているし、彼らも私たちをリスペクトしてくれています。「ミレー」にはアンバサダーがたくさんいますが、私たちは彼らに「この商品を使いなさい」「ここへ行きなさい」と強要しません。彼らの目指すところに私たちはサポーターとして寄り添い、製品のフィードバックや山の環境の変化など、常に会話をしています。
もうひとつは「ファミリー」であるということです。私の家族はもちろん、ミレーで働く人たち、ミレーブランドを愛用し山やキャンプを楽しむ人たち。ミレーを取り囲む人たちを私たちは「ファミリー」だと考えています。だからこそ、信頼されるブランドになっているのだと思います。
― 最後に、今後のビジョンについてお聞かせください。
100年続いてきた「ミレー」が、今後の100年も続いていくこと。それが「ミレー」の大きなビジョンです。その実現にはビジネス環境、ユーザー、山の環境の変化に適応していくことが不可欠です。そこで、2024年より「FOR THE UNKNOWN -未体験へ進むチカラ-」をマニュフェストとして走り出します。
これまでも私たちは山の環境やユーザーの変化に対して、イノベーションで対応してきました。イノベーションの追求は今後も継続していくことになるでしょう。そしてユーザーとのリレーションシップの取り方もこれからの100年は変わっていくに違いありません。データやモバイル、先進機器などを巧みに活用しながら、ユーザーと常に対話をしていく、関係を築いていく。こうしたことが今後の100年もミレーブランドが生き残っていくために、非常に大切な要素なのではないかと考えています。
文:カソウスキ