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「モノづくりの現場から未来の子どもたちへ」小倉メリヤス製造所 小倉大典氏インタビュー

「モノづくりの現場から未来の子どもたちへ」小倉メリヤス製造所 小倉大典氏インタビュー

1929年に創業し、今年で91年を迎える小倉メリヤス製造所。時代の流れとともに変化をし続け、工場の在り方自体も変革し続けてきたモノづくりの現場には、長い歴史のなかにさまざまな転機が存在する。新型コロナウィルスによる影響もその一つだ。今回は3代目の小倉大典代表取締役社長にこれまでの小倉メリヤスの歴史、そして現在の活動、今後について話を聞いた。

小倉 大典 さん
株式会社小倉メリヤス製造所代表取締役社長。 東京都墨田区出身。大学卒業後、3年間の専門学校教員経験を経て、2003年に小倉メリヤス製造所入社。同年、上海に赴任。2005年現地自社工場上海笑子服飾有限公司を設立。2006年帰国。2015年代表取締役社長就任。2016年シェアファクトリー「nuuiee(ヌーイー)」を立ち上げプロ・アマ問わず、モノづくりをする人たちを支援している。東京ニットファッション工業組合理事。

―今年で創業91年と、小倉メリヤス製造所にはかなりの歴史がありますが、会社について教えて下さい。

創業時は紳士肌着を編立から最終製品まで製造し、問屋に卸していました。そこから第二次世界大戦で壊滅的な状況に陥りましたが、そこから這い上がり、創業から24年経った1953年に法人を設立し、さらに10年後にはベビー・子ども服OEM製造専業縫製工場として変化していきました。当時まだベビー・子ども服に特化した下請け工場は少なく、これまでの紳士肌着のノウハウを活かして、メーカーの100%下請け工場としてベビー・子ども服の業界に深く関わっていきました。

―紳士肌着からベビー・子ども服OEM製造専業縫製工場へ。ここは大きな転機になったのではないでしょうか。

当時、第二次ベビーブームが到来したこともあり、ベビー・子ども服業界は非常に盛り上がりました。そこでさまざまな工場がベビー・子ども服市場に参入してきて、一時すごく専業工場は増えましたが、結局ベビー・子ども服はホルマリンやドットボタンの管理や、SKUが膨大である、手間がかかる上に儲からないと、辞めていってしまう工場が増えて、時代の流れとともに段々、皆紳士服や婦人服に移っていきました。

―ここまで長く続けられてきた理由は、ベビー・子ども服に特化されてきたからでしょうか。

そうですね。先代の父が昔言っていたのですが、「皆が面倒臭がってやりたがらなかったことを、うちが辞めずに続けてきたということが、うちが生き残った一つの理由なのかもしれない」と。2000年代になって、徐々に人々の生活スタイルも変わっていって、共働きで保育園に預ける=高い子ども服よりも低価格な子ども服のほうが売れていく流れが来ました。そうするとうちのようなゾーンが弱くなってくるんですよね。であれば、ベビー・子ども服のノウハウを活かしつつ紳士・婦人肌着まで拡大しようと、レディース・メンズのOEM生産も進めました。それでも7割くらいはベビー・子ども服の製造がメインではありますが、全般をやるように徐々に変化をしていきました。

―自分たちの得意な部分を貫き通したことと、時代に合わせて変化をしたこと、この両方が長い創業を支えられたのですね。そして、工場を栃木に移転されたそうですね。

編立から縫製まで、ずっとこの工場で一貫してやってきましたが、段々東京では工賃が見合わなくなってきたこともあって、まわりの工場も少しずつ東北の方に移転し始めました。うちも東京じゃ難しいということになり、祖父の出身地だった栃木の佐野に工場を建てて移転しました。最初は栃木で縫製したものを東京のこの工場で後加工、検品、仕上げ、出荷していく流れを2008年くらいまでは続けて、そのあと栃木工場に全ての機能を移しました。そこから東京は事務所として、2015年からはシェアファクトリーの「ヌーイー」をスタートしました。

―コロナ前の働き方としてはメイドインジャパンに注力されていたそうですね。

また時代とともに状況が変わり、ベビー・子ども服に関しては少しずつ国内生産も増えてきたんです。2015年くらいになってくると、中国の工賃や税金を考えると国内生産の方が良いという見方も増えました。コロナ以前の5年くらいは、少しずつ「日本国内でつくりたい」という声が増えきて、それはコロナによってさらに加速しました。DtoCブランドが増えたこともあって、下請けというよりパートナー的な仕事を希望するお客様が増えてきて、大量ロットでやる形から、国内生産を見直して小ロットでもつくれる形に切り替えていきました。直接インフルエンサーの方から連絡が来て、「自分の子ども服ブランドがつくりたい」という相談を受けたことも。このような立ち上げから声をかけてもらい一緒にものづくりをしていく、という新しい流れがでてきています。

―小倉メリヤスさんがコロナ禍に製造したマスクは非常に話題となりました。

3月頃から通常の4分の1くらいしか本業の稼働は無くなってしまい、3月頃に布マスクづくりを始めました。最初は受注生産で100枚1ロットでの注文を個人のSNSで受けていて、中小企業の経営者の方を中心に5万枚ほど注文が入りました。予想以上の注文に生産ラインもなんとか仕事を確保できる形になり、減少した売上を補填することはできたのですが、5月に入ると中国製の不織布マスクが市場に入ってきた影響で、一気に受注はストップしてしまいました。そこで今度はオリジナルマスクの小売りをネットショップ(BASE)でスタートしました。そのオリジナルマスクというのが、大きな顔の人に合う「メガマスク」です。初めての小売で、慣れないながらもプレスリリースをつくり配信するなど手探りで発信していったところ、テレビ局から連絡が入って、夕方のニュース番組に取り上げられたことで爆発的に注文が殺到しました。その後も別のニュース番組で、今度は女性の日焼け防止に役立つマスクとして「メガマスク」が取り上げられ、さらに注文が入って、ピーク時は全社員で対応しました。本業がほぼストップした状態だったので、売上減の補填にもなりましたし、本当に大変でしたがあんなに喜べたのは久しぶりのことでしたね。

―危機も自前のアイデアで乗り越えられましたが、今後のビジネス戦略は?

マスクはもちろん一過性のものです。だけど、この機に初めてお客様との直接のやりとりをしたことで、お客様から直接感謝の手紙をいただいたり、さまざまな嬉しい反響の声をいただいたり、下請けだけやっている頃には全く聞くことができなかった声を聞くことができたことは非常に大きな財産となりました。今後もOEMのお客様の要望にしっかり応えていきたいという姿勢は変わらないですが、小規模の個人の方のモノづくりにも積極的に関わっていきたいと考えています。今、DtoCブランドの立ち上げのお手伝いを数件手掛けていますが、やはり発注元から下請け、という関係性ではない、本当のパートナーという立場でモノづくりに関われることは嬉しいです。モノづくりをしている現場だからこそ、このような小さなDtoCビジネスにもしっかりと丁寧に対応していきたいと思っています。

あと、もう一つの大きな活動としてはサステイナブルです。「ヌーイー」はシェアファクトリーもやっていますが、もう一つの大きな役割として“学びの場”があります。未就学児から小学生までを対象に、アウト・オブ・キッザニアとして職業体験の取り組みをキッザニアさん、JTBさん、墨田区とコラボして行っていて、この場所で既にかなりの人数の方に服飾のモノ作りの場を学んでもらっています。子どもたちに洋服が出来るまで、そして洋服を作ることについて学んでもらっていましたが、今後はファッション業界やアパレル業界に関する環境の事や今起きている問題などにも目を向けて学びに取り込んで広げていきたいと考えていて、例えば本当のオーガニックコットンの理念について(肌触りがいいのではなく、素材や生産過程がオーガニックであること)など、わかりやすく伝えるために、スライドや紙芝居を通して発信していっています。他にもダウンの中身には何が入っていて、どうやってその素材を入手しているのか?など、ヨーロッパなどではそういう学びは進んでいますが、日本ではまだまだ進んでいません。これは社会貢献という意味ではなく、私たちが商売を行う上で外せないキーワードであり、この取り組みができなければ、持続可能な工場経営はできないと考えています。未来の子供たちに向けて、またそのご両親に対して、デザイン、価格などの目に見えるものだけの価値で洋服を選ぶ時代から、商品の裏にあるストーリーや現実を理解してもらい、それもモノを選ぶ際の判断基準にしてもらえればと思うんです。大量生産・大量消費の裏側は? 日本製、そしてその生産者がどのような考えでものをつくっている工場か? それに共感して商品を選んでもらえるような活動をしていきたいと思っています。

―長年続けてこられた理由は、小倉メリヤスさんが時代とともに常に進化されてきたという、その姿勢にあるのですね。

私たちは今、裁断クズから仕立てた生地でTシャツをつくって、販売していこうと動いています。なぜこれをつくるのか? なぜ売るのか? その理由はまずファッション産業から出る衣料廃棄の数を知ってほしいから。広めたいからです。このような活動を知ってもらうことでOEMに繋がったり、何か新しいビジネスが生まれたり、活動がビジネスに変わると信じていますし、何より小倉メリヤスのブランディングになっていくと思っています。

―メイド・イン・ジャパンの品質についてはどう変化してきていますか?

ここ10年ほどで、中国をはじめアセアン諸国の縫製工場は飛躍的な進歩を遂げています。海外の品質が高くなってきていますから、良い機械を使い、良い品質の商品をつくる=メイド・イン・ジャパンの特徴では無くなってきています。品質を追いかけることも絶対的に必要なことですが、メイド・イン・ジャパンとはなにか考えた時に、やっぱり工場の考え方が大きなポイントになってくると思います。どのような想いでそのモノづくりをしているのか、環境に対してどのような活動をしているのかなど、目に見えるものだけではなく、その考え方が日本の技術と言えるのではないでしょうか。

―最後に、小倉メリヤスさんが考える未来の工場の在り方についてお聞かせください。

工場って、格好良くなくちゃだめだと思うんです。工場で働きたいと思う人は多くないのは事実です。ただ、山形の佐藤繊維さんのように、都内からわざわざ就職しにいくという地方工場も実際にはあります。モノづくりの現場だからこそ、小さなことですが例えば工場の内装だったり、働き方だったり、格好良くならなきゃいけない。僅かな成功例を見ていても、ファクトリーブランドをつくっているところに格好良さを感じる若い人たちがいます。自分たちが良いと思うものがつくれて、モノづくりって格好良いと思ってもらえるような流れをつくることで、未来の工場に人は集まってくるのかなと思います。

―ありがとうございました。

長年創業している企業のなかには、その姿勢を全く変えずに歩んできた企業も多いが、小倉メリヤスの歩んできた歴史には時代に合わせた数々の変革とチャレンジが存在していた。さまざまな課題がある今のファッション業界を支える彼らの次なるチャレンジに、ファッション業界の明るい未来が少し見えたような気がする。

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小倉メリヤス製造所

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株式会社小倉メリヤス製造所

私達は、国内・海外に自社縫製工場を持つアパレルOEM製造工場です。生地・資材・パターンメイキング・縫製・後加工まで
一貫生産可能。カットソー&布帛に対応のOEM製造工場