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創業117年を迎える淡路島の宝石・時計店「カマモト」。原動力となる商店街への思いとは

創業117年を迎える淡路島の宝石・時計店「カマモト」。原動力となる商店街への思いとは

淡路島発の宝石・時計店ショップ「カマモト」。1907年に時計と蓄音機の販売をスタートさせて以降、四代にわたって時代に沿った経営を行い、地元淡路島を中心にお客様の信頼を積み重ねてきた。婚約・結婚指輪をハンドメイドで制作するサービスが人気で、県内外から多くのお客様が訪れるという。次期五代目の竈本陽子さんに、「カマモト」の歴史やハンドメイドリングの魅力、代々続く家業を引き継ぐことへの想いなどを伺った。

竈本 陽子さん
1990年生まれ。兵庫県淡路島出身。柳学園中学高等学校卒業。京都ノートルダム女子大学にて心理学を専攻。卒業後帰郷し総務職経験ののち、家業である有限会社カマモト勤務。宝石・時計販売、ハンドメイドリング、OEM業務に尽力。

四代続く淡路島発の宝石・時計店「カマモト」

ー まずは「カマモト」の歴史についてお伺いします。創業117年目を迎えられますが、どのような始まりだったのでしょうか。

初代の竈本善平が、1907年(明治40年)に淡路島の洲本市物部で時計と蓄音機を販売する店舗を開業したのが始まりです。当時、日本では時計が工場生産され始めたばかりの頃で、淡路島で初となる時計販売と修繕を行いました。二代目の竈本正雄の代からは、眼鏡と宝石も販売するようになりました。

三代目の竈本皓一は、地域活性化への意欲と宝石業界を盛り上げたいという気持ちから淡路宝飾協議会の会長を務めました。さらに、腕のある時計職人であったことから、兵庫県の時計技能士の審査員としても活動しました。私の父である四代目の竈本和秀は、バブル景気の影響で開業した淡路島のショッピングセンターに、2店舗、神戸に1店舗の出店を果たしました。

1907年(明治40年)に初代 竈本善平さんが開業した当初の写真。

ー 現在の主な事業内容を教えていただけますか。

現在、「カマモト」では宝石と時計の販売を続けながら、ハンドメイドリングの事業を行っています。また、別のグループ会社で私の母を中心に結婚相談所も運営しています。振り返ると、先代たちを含めて、時代に沿った経営をしてきたと感じますね。

商店街の方々に恩返しがしたかった

ー 陽子さんについてお伺いします。三姉妹の次女として生まれ、小さい頃から家業を継ぐことを考えられていたのですか。

実はまったく考えていませんでした。姉が宝石関係の進路を選んでいたので、おそらく姉が継ぐだろうと思い、私は大学で宝石とは関係のない心理学部に進学したのです。

家業を継ぐことは考えていなかったのですが、大学卒業後に「両親のそばで力になりたい」という気持ちから、淡路島で就職しました。会社で働きながら、仕事後や休日に「カマモト」の店舗で手伝いをしていたら、事業の中心に関わるようにまでなりました。

ー なぜ「家業を手伝おう」と思われたのでしょうか。

子どもの時の願望が関係しているように思います。私が子どもの頃は、バブル景気だったこともあり、会社も事業拡大をしている最中でした。ショッピングセンターに2店舗出店し、両親は私が寝た深夜に毎日帰ってきていました。祖父母と同居しており、とても可愛がりながら育ててくれたのですが、両親と一緒に過ごす時間がほとんどなく、それが心残りだったのです。そのため、大学卒業後は両親と過ごそうと思い、帰郷しました。

また小さい頃は商店街にある店舗兼自宅に住んでいたので、帰宅するとお客様が「おかえり」「今日はどうだった?」と温かく迎えてくれたんですよね。お客様や近所の方に温かく、育てていただいたと思っているので、その恩返しがしたかったです。

ー 代々続く家業を継ぐことへのプレッシャーはありませんか。

言葉では言い表せないような重圧を感じています。先代たちが真摯な商いをしてきて、お客様が「カマモト」を信頼していただき、メーカー様の協力があったからこそ、117年も続けてこられたのだと思います。多くの方々に助けていただきながら成り立っているので、信頼をなくしてしまったらどうしようという不安は常にありますね。

一方で、不安があるからこそ努力もしてきました。私は宝石の専門学校には行っていないので独学で勉強をし、ジュエリーコーディネーターや真珠アドバイザーの資格を取得したりして、お客様から信頼していただけるように心がけています。

子供の頃の原体験が家業を手伝うきっかけとなったと語る

世界にひとつだけのハンドメイドリングの魅力とは

ー 「かまもと」の事業の柱のひとつ、ハンドメイドリングの事業はどのようにスタートしたのでしょうか。

淡路島は、古事記・日本書紀にイザナギノミコト・イザナミノミコトが初めて夫婦になり余生を過ごした島と記されています。島内には2人を祀った伊弉諾神宮もあり、夫婦と縁のある島です。そこから着想を得て、婚約・結婚指輪が「カマモト」の事業の柱のひとつになりました。

婚約・結婚指輪は、すでにあるデザインの中から選ぶのが一般的です。ハンドメイドでお客様自身に指輪をつくっていただければ思い出にもなり、世界でひとつだけの指輪が完成します。これなら淡路島の魅力を伝えながら遠方からもお客様に来ていただけるのではと考え、開始しました。

また私自身、小さい頃からハンドメイドのような細かな手作業が大好きでした。おそらく時計職人の祖父の影響だと思うのですが、自分の得意分野を活かした事業をやってみようと思ったんです。さらに、大学時代に結婚式場でアルバイトをしていた経験から、人の幸せをお祝いする体験を再びしてみたいと思ったのもあります。

ー 実際に、ハンドメイドリングの事業を始められて、いかがですか。

店舗では基本的にメーカー様に作っていただいた商品を販売していますが、ハンドメイド事業はまったくの別世界が広がっていました。

お客様がつくりたいものを叶えるというコンセプトで、頭の中にある絵をヒアリングしながら、着け心地や耐久性を考えつつ一緒につくり上げています。お客様につくっていただくので、つくり方をお伝えする技術が最初はなくて、苦労しました。

ー ハンドメイドリングの魅力を教えてください。

やはりカップルそれぞれのストーリーがあり、パートナーと一緒にデザインから考え、つくり上げることは良い思い出にもなります。出来上がった指輪は世界にひとつだけのデザインです。

制作の最中は、皆さん「本当に理想の指輪がつくれるのだろうか」「今後何十年も着け続ける指輪になるのだろうか」と半信半疑ですが、完成した指輪を見ると皆さん感動しています

特に当店の指輪には「一言ラブレター」と呼ばれるメッセージが刻めるのですが、それを見るときのお客様はとても良い表情をされていますね。

淡路島という夫婦と縁のある島でハンドメイドリングを作ることが思い出の一つになる

ー 県外からのお客様はいらっしゃいますか。

県外からも大勢のお客様がいらっしゃいます。わざわざ時間をかけてご来店くださるのは、本当にありがたい限りです。淡路島でプロポーズをされた方々や、初めてのデートが淡路島だったという方々などにハンドメイドリングを選んでいただいています。淡路島は観光地としても人気なので新婚旅行をされ、そのなかで指輪づくりをされるカップルも多くいらっしゃいます。一緒に夫婦円満の聖地である伊弉諾神宮を巡り、夫婦仲を深められているようです。

宝石業界へ恩返しするため、越境ECに挑戦したい

ー 陽子さんが考える「カマモト」の今後のビジョンを教えてください。

お客様の人生に寄り添う宝石店を目指したいと思っています。宝石は高価な物であるため毎日のように購入するものではありません。だからこそ、信頼出来る品を信頼出来る人がいるお店で購入すると思うのです。また、お客様それぞれのニーズや用途、骨格などで提案する品も変わるため、しっかりとお客様のご要望をお伺いした上で、信頼していただけるように努めていきたいと思います。

これからはお客様や地元への恩返しはもちろん、今後は宝石業界への恩返しも考えています。業界をより元気に、宝石の素晴らしさをもっと伝えていきたいという思いから、越境EC(日本国内から海外へ向けて商品を販売するEC)を始める予定です。小売販売とハンドメイドリングで、行えたらと思っています。

一番伝えたいのは、宝石の素晴らしさです。宝石にはパワーがあり、見ることで癒されますし、「また頑張ろう」とも思えます。宝石を買った時の思いは、ずっと忘れないものです。私自身宝石が大好きなので、魅力を伝えていきたいですね。

ー その原動力はどこから生まれてくるのでしょうか。

私が頑張れているのは皆さんと宝石のおかげです。よく店頭に立つのですが、お客様からの「ありがとう」が何よりの原動力です。お客様のなかには年上の方で、私よりも先代に詳しい方もいらっしゃいます。二代目は養子だったのですが、「これから淡路島一の時計店に養子に行くんだ」と二代目が言っていたとお客様に教えてもらったことがあり、先代の思いや歴史を感じました。お客様とのコミュニケーションが活力になっています。

文:吉田櫻子

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