300年続く絹織物「丹後ちりめん」が、英国の一流テーラーを魅了。伝統工芸×革新のネクタイブランド「kuska fabric」のモノづくり論 NEW
300年前から京都・丹後地域で受け継がれる伝統工芸「丹後ちりめん」。その製造販売を担ってきた1936年創業のクスカ株式会社の3代目・楠泰彦さんは、2010年に「丹後ちりめん」を用いたネクタイブランド「KUSKA」をスタートさせた。ロンドンやアメリカなどの有名セレクトショップがこぞって商品を取り扱う中、2024年には、帝国ホテルアーケードに旗艦店をオープン。インバウンドからの反応も好調だ。日本の伝統工芸をベースとしたモノづくりが、国内のみならず海を超えて成功を収めるに至った背景には、どのような戦略があったのか。楠さんのモノづくりへの想いも合わせて伺った。
楠 泰彦さん/クスカ株式会社代表取締役
京都・丹後出身。両親が300年続く伝統工芸「丹後ちりめん」の製造工場を運営していたため、幼少期から織物に触れる。中学・高校から親元を離れて明徳義塾へ入学し、野球に専念。その後は大学進学を機に上京、建設会社へ入社するものの、30歳のタイミングでUターンをしてクスカ株式会社へ入社。2010年にネクタイブランド「KUSKA」を立ち上げ、2022年にリブランディングする形で「kuska fabric」をスタート。ジャパンブランドならではのディテールや質感にこだわった商品は国内のみならず海外でも高い評価を受けている。
廃業寸前の家業を目の当たりにして30歳でUターン
ー家業を継ぐ以前は、どのような人生を歩まれてきたのでしょうか。
「丹後ちりめん」は京都・丹後地域で300年続く伝統工芸。家業が「丹後ちりめん」の製造販売を営んでいたため、一生懸命働く両親の姿を幼少期から見ていました。ただ小学校卒業後は、中高一貫校で寮生活を送るため、親元を離れることに。
以来、家業を省みることはほぼありませんでしたし、高校卒業後は東京の大学へ進学したため、関心は薄れる一方でした。業績が右肩下がりなのは知っていましたが、それでも私が継いで建て直そうとは思わず、都内の建設会社へ入社してビルの外構や橋の建設工事の施工管理などを行っていました。
ー都市での生活から一転、家業を継がれたのはなぜでしょう。
30歳手前で久しぶりに帰省をした際、廃業寸前に追い込まれた工場を目の当たりにし、私が経営再建を担うべきではないかという責任感に駆られたんです。両親が働く姿は脳裏に焼きついていましたし、そのおかげで自分が生かされていること、いまがあることに気づかされたんですよね。それからすぐに行動に移し、まず家業の経営課題を洗い出す作業に着手しました。
ー具体的にはどのような課題が見えてきたのでしょうか。
和装産業のピークは3兆円もの規模を誇った呉服市場は今や2000億円を切り、丹後ちりめんの生産量も1974年の1000万反から15万反へと減少しています。当然のことながら、経営再建へと動いたタイミングにおいてもシュリンク傾向にあったのですが、両親は昔から何も変えずに下請企業として、白生地を安く売り続けていたんです。
現状のビジネスモデルのまま20年、30年と続けていくことは現実的ではありません。そこで2010年にネクタイブランド「KUSKA」を立ち上げ、2022年には「kuska fabric」へとリブランディングしました。
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伝統工芸と革新を掛け合わせたモノづくり
ー 「kuska fabric」のビジネスモデルを教えてください。
第二創業期を迎えるにあたり重視したのは「独自性」です。圧倒的な低価格、高品質、大量生産を行う企業がごまんといる中、類似性の高い商品を売れば価格競争で確実に負けます。そこでリサーチして辿り着いたのが、製造工程に手織りを取り入れること。機械の効率性と手織りの風合いを掛け合わせた新しいものづくりは、他にはない生地の質感を生み出し、結果として独自性を確立するに至りました。
そしてもうひとつ重視したのが、呉服業界における新たな流通システムの開発です。従来の流通システムであれば、白生地問屋から産地問屋、製造問屋、前売問屋、小売問屋を経て消費者の元へ届くという流れが一般的ですが、それを簡素化してBtoC事業を始めたんです。
ー 伝統工芸に新たな要素を加えるというのは、未来に対する明確な考えがないと踏み出せなさそうです。
伝統工芸を後世に残していくために、圧倒的に素材と独創性にこだわった、唯一無二の商品を生み出すことを選びました。伝統を守り続ける素晴らしさは重々理解していますが、何より家業を残していくには新たなエッセンスが必要不可欠だったんです。
ライフスタイルの変容により、日常生活で取り入れる機会が減りつつある伝統工芸品ですが、後世へ引き継がれていくものにするためには、マーケットや人々との乖離がないものにアップデートしていくことが大切だと思っています。
ー アパレル業界はレッドオーシャンですが、参入に至ったのはどんな勝算があったのでしょうか。
近代の大量生産では製造が難しい上質な素材をこだわりを持って製造できること。加えて、ハンドメイドで仕上げるからこその深みは、他商品との差別化になり、強みになると確信しました。偶然が生み出す不均一性に美を感じる人も多いと思うんです。日本の四季が見せる景色や海の波にも似た一意性と言いますか。それらがきっと、人々の心を掴むと思ったんです。
ー 「kuska fabric」は何人体制で運営しているのでしょうか。
2024年1月時点で職人さん14人体制です。かつ8割が地元出身者で、平均年齢は37歳、一番若いスタッフで25歳。リブランディングによって若い働き手に対する間口を広げられたことが、出身地の雇用創出にも繋がっています。仕事と生活は地続きなので、日本海特有の気候や地方暮らしに慣れている地元出身者は長く勤められるのだと思います。
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ー 海外展開で成功を収めた要因はどこにあると思いますか。
「kuska fabric」は、国内展開だけではもったいないほど高いクオリティだという自負がありましたし、BtoB取引実績を重ねていたタイミングでもあったため、グローバル展開で成功する自信がありました。
成功を確実なものにするために、まずは「kuska fabric」というブランドに箔を付けるマーケティング的視点からヨーロッパへの進出を計画。理由としては、ブランドのシグネチャーアイテムであるネクタイとの親和性が高いこと、また本場で認められた実績がもたらす将来的なメリットが大きいと考えたからです。
ー 海外の方々の反応はいかがでしたか。
イタリア・フィレンツェで行われる展示会「ピッティウオモ」に3年間で計6回出展し、人脈を拡げられたことが大きかったです。その中でもターニングポイントとなったのがロンドンのサヴィル・ロウに店舗を構え、ロイヤルワラントに認定された「HUNTSMAN」のクリエイティブディレクターが弊社商品を賞賛してくれたことですね。その後、2019年から本格的にBtoB取引がスタートし、グローバル展開を行う基盤を整えることが出来ました。
ー 「HUNTSMAN」との取引が始まったこと以外にも、成功の秘訣がありそうです。
出展を続けた3年間で出会ったバイヤーの方々が勤める店舗に直接足を運び、新作をご紹介させていただきました。対話する機会を重視していたことが、功を奏したと思っています。後は無闇に取引先を増やすのではなく、私たちの商品価値を理解してもらえるお店に絞ったセールスを意識していました。
ー 帝国ホテルの地下アーケードにお店を構えて感じたメリットを教えてください。
滞在しているインバウンドの宿泊者が観光せずにホテル内で1日を過ごすことも珍しくないため、地下アーケードへ足を伸ばす人が一定数います。客層としては医師や政治家をはじめ、ネクタイが自己表現のアイテムとなっている人が多いです。しかし、ホテルという場所柄、日によって訪れる人の出身国は様々です。
結果として海外に出向かなくとも、ECサイト流入のタッチポイントとして機能していることは大きなメリットに感じています。実際に海外からweb問い合わせが来たり、商品への要望が来たりしていることから、店舗の立地がグローバル展開に作用していることは確かです。
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ー 最後に「kuska fabric」の今後の展望について教えてください。
ブランドを立ち上げてから5年くらいは、産地の方達に私たちのビジネスや想いを理解していただくことが難しかったです。しかし、いまはご協力いただいたり、産地内のメーカーとコラボレーション商品を生み出したり、良好な関係を築けていると感じています。
今後はブランドの始まりである丹後地域への還元という意味でも、企業の体制をより大きなものにしていきたいです。そのためには弊社のモノづくりに対して、興味や関心を持つ人々にジョインしてもらえるかがポイント。私たちは大きなイノベーションを起こすことよりも、伝統をアップデートする形で後世へ残していく道を歩んでいきたいと思っています。「kuska fabric」にしか表現出来ない“人間らしさに宿る美しさ”というものを、自分たちの価値を信じながら追求していきます。
文:芳賀たかし
撮影:加藤千雅