「好きなことを続けて、人の作った技術が後世に伝われば素晴らしい」マオタ/太田将昭さん
日本を代表する大物デザイナーの元で修行。のちにグロバールな外資のスポーツブランドや生地メーカーで経験を積むなど、多彩な経歴を持つデザイナー、太田将昭さんが2020年に立ち上げたブランドがマオタだ。ユニークなマオタのコンセプトや、これまでの仕事について太田さんに聞いた。
太田将昭さん/マオタ
1979年静岡県生まれ。文化服装学院を卒業後、英国に渡り、ロンドン カレッジ オブ ファッションで学ぶ。帰国後、2005年にヨウジヤマモトに入社し、パタンナーとして活躍。4年後に退職して、愛知県一宮の生地メーカーで海外営業として勤務。8年後、アディダスに転職し、同ブランドの日本法人、米国法人で経験を積む。約3年の勤務ののちに退職し、2020年にマオタを設立。
マオタ公式ホームページ: https://maotajp.com/
英国留学のきっかけは、思いがけないトラブルから
―非常にユニークな経歴をお持ちですね。文化服装学院を卒業後、ほとんどの人はそのまま就職しますが、どういった経緯で英国へ渡ったのですか?
在学中、入社したかった会社がありました。就職も見越して、在学中にインターンをさせてもらっていたのですが、卒業直前の2月に、会社の事情で入社できないと告げられました。そこで困っていたところ、先生からアドバイスをもらったんです。当時テーラードが好きだったので、「そんなに好きなら、ロンドンに行ってみれば?」と。
―語学はできたんですか? 授業の様子は?
語学力はまったくなくて。留学に必要なので、そこではじめて英語を勉強しました。ロンドンの学校(ロンドン カレッジ オブ ファッション)では4年間学びました。文化服装学院がパターンや縫製など技術面を学ぶコースだったのに対して、ロンドンではどのようにデザインするか?いかに具現化するか?コンセプトは?といった過程を学べた。つまり日本と英国で、デザインされるまでと、デザインされたあとのプロセスを経験することができた。
ヨウジヤマモトの理念に共感し、入社を決意
―なるほど。日本と英国で、服のできるまでの一通りの流れを完結できたわけですね。英国の学校を卒業後、ヨウジヤマモトに就職されたと聞いています。ヨウジヤマモトを選んだ動機をお聞かせください。
2004年に卒業して、2005年にヨウジヤマモトに入社しました。英国留学は私にとって初の海外経験でした。現地にはいろいろな国の方がいて、あらためて自分のアイデンティティを考えさせられ、日本人であることを実感したんです。その当時、日本で非常に有名なデザイナーの方の一人が山本耀司さんでした。会社のすべてに情熱を注いでいるなかで、特にコンセプトやパターンを重視している点に共感したのです。
ロンドン時代に、以前ヨウジヤマモトで働いていた方と知り合って話を伺える機会がありました。その方によると5年いればパンツ、シャツ、アウターとステップアップしてパターンが引けると。「5年でパンツやシャツがパターンできるなら」との思いがありました。
入社2年で、Y-3の主要なポジションに
―実際に入社してからのお仕事の内容や、勤続年数は?
4年間、パタンナーとして勤務しました。労働時間の面ではハードでしたが、仕事そのものは苦ではありませんでした。入社2年目から、Y-3の担当に移り、運よく能力を認められて4年でメンズのフルコレクションを任せてもらえることに。4年で目標が達成できたわけです。
―目標を達成して、退社なさったわけですね。成功を収めたわけですからそのままお仕事を続けてもよさそうですが、次は生地メーカーに転職というのも興味深い。
ヨウジヤマモトのパタンナーは、(実質的には)デザインまでしているんです。服の構成要素はパターン、デザイン、縫製、生地。ですが、私は生地にかかわってこなかった。生地を知らないとより良いデザインが出来ないと考えました。それが転職の動機です。
生地メーカーで働いている知人に「生地を本格的に勉強したい」と相談したところ、愛知県一宮の企業に就職することになりました。経歴に興味を持ってもらえたこともあり、生地のことを知らなくても英語が話せるなら、と雇ってもらいました。
まったく知らなかった営業の世界へ
―生地メーカーではどんなお仕事を?
最初は企画職も考えたのですが、即戦力になれるのはやはり営業です。もともと熱意の向く先が見つかったときはそこしか見なくて、不安を感じない性格なんです。結果は営業成績No.1に。アメリカの営業を任されていたほか、英国とも数社取引をしていました。取引先は、コレクションメゾンから高価格帯のアパレルブランドが主です。
ウールの産地・愛知県一宮の企業だったので製品はウール中心で、そこに綿や麻を交織した織物なども開発していました。イタリアのようなクラシックな素材よりも、少しヒネリの利いたユニークな生地を作っていました。過去に生地を勉強していたわけではなかったので営業における説明が不十分なこともあったでしょうが、アパレルで働いていたことで十分な知識は補えていたかと。
-結局、どれくらいお勤めされましたか?
8年間勤務しました。成績が目に見える仕事だし、製品を見せればお客さんからの反応が感じられます。製品ではなくてもビジネスをデザインするわけですから、それがおもしろいとのめり込んでいきました。いろいろと学んだころ、アディダスからヘッドハントされたんです。そのまま生地メーカーに勤務していてもそれなりにうまく続けられたでしょうが、もともと自分はアパレルのデザイナーになりたかったわけです。だから、チャンスがあるならデザイナーの道に戻ってみようと考え直し、アディダス ジャパンに入社することにしました。
アディダスでは、日本とアメリカの法人に勤務
―アディダスではどんなお仕事をされたんですか?
シニアアパレルデザイナーとして入社し、日本とアジア向け商材をデザインしました。その後、リロケーションでアメリカ法人に契約をシフトして、ポートランドに移り住みました。
デザイナーの仕事はよりビジネスと密接になっています。この十数年でデザイナーの役割は変化していて、マーケティングなどの範囲にまでかかわりが広がっています。しかし、ブランドとしてビジネスの視点だけではその場限りの判断に陥ってしまう。そこで、その人たちに俯瞰でアイデアの提供が必要との考えからアドバンスドコンセプトという部門がありました。様々な専門分野の人が集まっていて、私はパターンを理解しデザインを具現化するデザイナーとして関わりました。
―日本からアメリカへの転勤の経緯が気になります。
日本でデザインをしているだけではなかなか評価につながりません。私の場合は、ドイツ本社で年に2回開催されるワークショップに何回か参加しました。ドイツ本社、日本、米国(ポートランド)、上海、のクリエイションセンターのスタッフたちが1週間ほどそこに滞在し、アイデアを出し合ってコンセプトモデルを作り上げる作業をします。これを機に、自分のデザインについての考えを本社の人に伝えられたのだと思います。また、Y-3での経験も高く評価されたのでしょう。
―太田さんの実力が海外の上層部に伝わって、アメリカへのリロケーションが叶ったという流れですね。アメリカでのお仕事はいかがでしたか?
待遇もよく、発言も好意的に聞いてもらえる環境でした。でも、すべてがうまくいくわけではありません。なにかを提案すると、「いいね」とは言ってもらえるけれど、どんどん前に進みたい私のスピード感とのずれを感じることもありました。結局アディダスでは日本に2年弱、米国に1年少々、トータルで3年間ほど勤めて退社しています。
一宮へ戻り、念願のブランド設立が叶う
―アディダスを退社するに至った動機はなんですか?
当初(日本法人の)ディレクターとしてのオファーがありましたが、現場がわからないとデザインができないし、根源にモノを作る楽しみがなくては、との思いから、自分でシニアアパレルデザイナーとして就任しました。その後、もともとの夢であった自分のブランド設立をするならもうこのタイミングしかないと考えるようになり、退社に至りました。
―帰国後は?
一宮に戻りました。技術に魅了され、現場の人と一緒にモノを作りたかったからです。そして2020年にマオタを起ち上げました。私のブランドのコンセプトはサステナビリティ オブ クラフツマンシップ。サステナブルというと環境問題に目が行きがちですが、そのブランドを通して人が作りあげる技術そのものをサステインするということでも、サステナビリティを発信できます。パタンナー、糸や生地を作る職人、染めなど、過去にさまざまな技術者を見てきました。自分のブランドを通して自分の好きなことを続けて、人の作った技術が後世に伝われば素晴らしい。そして、縁があったのが一宮だったというわけです。
マオタに込められた周囲への感謝や自らの情熱
―ブランドには、さまざまな思いが込められているのですね。
これまでに紆余曲折があったからこそ、作るものに深みが生まれます。様々なものを見てきた経験すべてが身になっています。これだけのキャリアを積んだからこそ頭の中の漠然としたイメージがクリアになり、できたこと。出会った人たちや環境のすべてに感謝します。遠回りだったようにも見えますが、自分のブランドが生まれるには最短の道でした。ようやく夢が形になったとはいえまだまだ具体的にわからない点もあり、一歩ずつ、人生と服をデザインしています。原動力は好きなことを続けること。
―マオタを実際に目にするには、どうすれば?
合同展「プロジェクト トウキョウ」に参加します。不特定多数の方に具現化した服を見てもらえる場です。デザイナーとして伝えたいことを服から感じ取ってほしい。いろいろな意見があってしかるべきですから、ぜひ広く感想を聞いて、反応を見てみたいです。製品は既存のアパレルの常識に乗らずに、シーズンレスを目指しています。ユニークな経歴を持つ人が本当によい服を作り上げたら、コアな人たちにも受け入れられるでしょう。そういった人たちとつながっていきたいと考えています。
合同展 プロジェクト トウキョウ: https://www.project-tokyo.com/
開催期間:2022年3月16日、17日開催
場所:東京国際フォーラム ガラス棟
取材=T.Kawata
撮影=Takuma Funaba
Brand Information
MAOTA
21年春夏にデビューした
ユニセックスアパレルブランド「マオタ」