夢と仕事、子育てと仕事…“二刀流販売員”から本社職にキャリアアップ!有名ファッションブランドPRが経験した苦労と本社職へのステップアップまでの経緯を明かす
販売職から本社勤務へのキャリアチェンジを成功させてブランドの第一線で活躍する方々に話を聞き、仕事への姿勢を学んでいく「本社の壁」企画。今回は有名ファッションブランドのPRを務めるN氏に話を聞く。現職の前は夢を追いかけながら外資ブランドで販売職との両立、その後家庭を築いてからは子育てと仕事の“二刀流”でキャリアを重ねてきたN氏。仕事の傍ら夢や家庭を両立することは並大抵のことではないが、それはN氏も例外ではなかった。苦労したことや、そのような中でも本社ポジションを得るための秘訣を聞いていく。
N氏プロフィール
高校卒業後、上京してアパレル販売をしながら歌手活動を開始。様々なブランドでの販売を経て、外資系ブランドへ転職。結婚・出産を経て、子育てと販売職の二刀流に。その後社内公募でPRへキャリアチェンジし、5年半ほど勤務して転職し、現ブランドにてPRリーダーを務める。
高校卒業後は憧れの東京で夢追い人に!夢を追いかけながらの勤務で大変だったのは金銭面と周りとのギャップ!?
― 現在までのキャリアを簡単に教えてください。
高校卒業後は憧れていた東京に出てきて、アパレル販売をしながら夢でもあった歌手活動をしていました。前職の外資系ブランドでは産休育休をはさみつつ、トータルで5年半ほど販売をしたのち、ホールセールのアシスタントを経てPRで5年半ほど従事。そして現職のブランドでのPR職にいたります。
― 歌手の夢を追いかけながらの販売職で苦労されたことはありますか?
金銭面と休みがとれないのが大変でした。週5日フルタイムで働いてはいたのですが、販売員としてビジュアルにも気を使わなければいけないし、働いていたブランドでの社販購入もあった。歌手活動では収益よりも出費の方が断然多かったので、当時は金銭的な部分で苦労した思い出があります。なかなか休みも取れなかったので、昼の仕事を終えたら一度帰宅して、夜はシンガー活動をして…朝方帰宅したら少し寝てまた昼の仕事に行く。20代半ばまでは若さでなんとか乗り越えながら生活していました。
それと、自身が本当にやりたい仕事として販売職をしている人が多い中で、自分は夢への活動と並行しながら“好き”程度の熱量でした。だから金銭面だけでなく、モチベーションを保ちながら働くことも大変だったのが本音です。
― Nさんの場合は生活するための「手段」ということですもんね。
その当時は、いわゆるカリスマ店員ブーム真っ只中。有名ブランドのショップに立っていることは一種のステータスでした。でも、歌手としての夢がある中で働いていたので、“本気でやってる風”に見せなきゃと思いながらやっていた部分は正直あります(笑)。
そんな中で好きなブランドの一つだった外資系ブランドに転職して、契約社員として働くようになったんです。そこで職場結婚をして、子供ができて産休を取ることになりました。
転職先の外資系ブランドで結婚・出産を経験。夢と仕事の掛け持ちから子育てと仕事の二刀流へ!
― 当時ショップスタッフで産休に入る方は多かったのでしょうか?
全国に店舗があったブランドなので従業員も多かったのですが、産休を取得したのは、その当時で私が3人目。やっぱり販売員だと時間の調整が難しいのと、産休に入る直前までお腹も大きくなって店舗で働くこと自体が難しいんですよね。体力的にも大変ですが、他スタッフとの調整もかなり苦労することが多いので、「妊娠したら退職するもの」と自ら気を使って辞めていくことが慣例になっていました。ただ私の場合は、当時の直属の上司にはお子さんがいて、福利厚生にも詳しく社内に顔が広かったこともあって、さまざまなところで助けていただきながら産休に入るギリギリまで働くことができました。
― 産休後はどのような経緯で復帰されたのでしょうか?
10ヶ月ほどお休みしたタイミングで、かつてお世話になっていた上司から「時短勤務ができる店舗に空きができた」とお声がけしていただいたことがきっかけで戻りました。産休までは取得できても、なかなか職場復帰できないスタッフが多かったので、私はかなり珍しいケースだったと思います。特に販売だと平日夕方以降にお客様のピークタイムが来ることも多く、時短勤務をするのはかなり難しい。接客中でも保育園に迎えに行かなければならない時間が来てしまったりと、不完全燃焼の部分は正直ありました。でも有難いことに、他のスタッフの方々が私を必要としてくれたことで、フォロー体制も整っていて本当に助かりましたね。
レアな社内公募からPR職へ!販売職から本社職への異動を実現させるために必要なこととは…?
― その後社内公募で本社職にキャリアアップされるんですね。
前職のブランドでは、本社職への社内公募は1年に1回出ればいいぐらいレアだったのですが、前任が退職するタイミングで公募が出たのでチャレンジしてみました。私の他に7、8人の志望者がいた中で、運良くパスすることができました。
― 選考基準や面接の内容はどういったものだったのでしょうか?
公募されるポジションによって雇用形態も変わってくるので、面接内容なども変わってくると思いますが、私の場合は社内用の履歴書を提出して2度の面接を通して結果という流れでした。明確な選考基準は、当時私のポジションにはありませんでした。
― 本社職に抜擢される人に共通点はあるのでしょうか?
ビジュアル面や商品の着こなし、WEB上でのスナップ掲載頻度、本社の方々の会話の中で目立っている方は採用確率が高かったと思います。だからスナップなどで前に出ていくことも大事ですね。たくさんの人材がいる中で、名前と顔と自分はどんな人間なのかを本社の方に知ってもらうことは本当に大切。逆を言えば、東京以外の地方でもチャンスはあると思います。
― 本社職になってからの苦労話や、販売経験が生かされたことはありますか?
大変だったことは意外とありませんでした(笑)。マーケティングに移動してからはサポート体制も恵まれていて、教育もしっかりしていたので学びながら楽しんでいましたね。そのときの上司が販売職からPRにキャリアアップされていた方だったこともあり、販売でたたき上げられてきた人材の良い部分を理解されている方でした。だから私自身もスキルや経験を活かし、売り場とのコミュニケーションが取れていたと思います。販売経験があったおかげで、店舗では商品についてどんな情報が足りていなかったとか、お客様から評判のよい名品などをPRとしてしっかりと打ち出すこともできました。
― 本社職が軌道に乗る一方、夢についてはいかがですか?
夢であった歌手活動は、子供を産んでからも追い続けていましたが、復職し家事とアパレル業界の2足のワラジで、自分の時間の確保ができなくなっていきました。仕事か夢かと悩んでいましたが、PRにキャリアチェンジし、業務規模の大きさやメディアやインフルエンサーの反応に手ごたえを感じ、仕事で評価されている実感を得たことで「アパレルの世界でやっていくぞ!」と決意が固まりました。
― 販売から本社職になるために必要なものは何でしょうか?
本社の方に自分を知ってもらうためのアピールはもちろん大事ですが、その場その場で自分が何を求められているのかをしっかりと把握することができるスキルがなにより大切だと思います。空気が読める、応用力がある、咄嗟の判断力というものが大事になってくる。販売をやっていたからこそ、その部分が強くなることもあると思いますね。
― 最後に、PR職を目指す方へアドバイスをお願いします。
PRやマーケティング職を目指すのであれば、量を売る販売員よりも、商品のストーリーテラーとしてプレゼンでき、より高単価の商品をお客様に提供できるようになった方がいいと思います。販売の仕事はお客様との一瞬の出会いであることが多いですが、本部やマーケティングになると、一人の方とより長く付き合うようになっていきます。だから、信頼関係を得てより長期的な関係を築ける人材になることが必要。商品に加えてプラスアルファな情報やプライスレスな体験を提供できる販売員になれれば、道は開けてくると思います。
また、以前地方の販売スタッフからSNSのDMで「どうやったらPRになれますか?」と連絡がきたことがありました。みんな心を込めた熱いメッセージを送ってくれていたので、自分もその熱意に応えるように1通1通しっかりと返事をしていました。そういったDMをもらうと嫌な気はしませんし、そのスタッフのその後も気になる。人によると思いますが、個人的にはDMでアピールすることも1つの方法だと思っています。