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ラグジュアリーブランドGMから地方の地域活性化コンサルティングへーファッション業界から異業種への挑戦/小杉一人さん

ラグジュアリーブランドGMから地方の地域活性化コンサルティングへーファッション業界から異業種への挑戦/小杉一人さん

ファッション業界で長年働いていると異業種への転職をしづらいという人も多いのではないだろうか。今回は営業職からファッション業界のキャリアをスタートし、GMにまで登りつめた小杉一人さんの異色の転職ストーリーをお届け。小杉さんが新たにチャレンジの場に選んだのは奈良県の中小企業支援を行う一般社団法人。一体どのような経緯で転身に至ったのか?ラグジュアリーブランドでのキャリアストーリーと次のチャレンジについてお話を伺った。

小杉一人さん/一般社団法人広陵町産業総合振興機構 広陵高田ビジネスサポートセンター ココビズ センター長 兼 地域商社 なりわい エグゼクティブディレクター
文化服装学院デザイン専攻科卒業後、イタリアプラダグループなどで営業・販促を担当、。LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループにて取締役を務め、その後、ソニアリキエルジャポン株式会社の代表取締役に就任。約23年間にわたりファッション関連の世界的企業で事業の創業や再生に携わってきた。2020年より「広陵高田ビジネスサポートセンターKoCo-Biz」のセンター長に就任した。
公式HP:https://nariwai-koryo-nara.or.jp/koco-biz/

未経験からの取締役に就任。苦悩とやりがい。

― 小杉さんはもともと営業職からファッション業界のキャリアをスタートされましたが、どのような経緯で取締役に就任されたのでしょうか?

LVMHの「フレッド」のリテールディレクターとして働いていた頃、昇格で取締役に就任しました。これまではいわゆる“社長業”をやってきた人が取締役に就くことがほとんどだったので、内部からの昇格というのは当時もかなり稀なことでした。その頃はインターナルから人を上げていくことで会社の士気も高めていくような、そんな背景もあったと思います。未経験からの社長業はやはり非常に大変で、今までやってきたリテールディレクターのポジションとは格段に仕事内容が異なりました。

― 具体的にどのような仕事内容でしたか?

明らかに変わったこととして、ビジネスパートナーが海外本社、または百貨店経営陣などになりました。今までは営業、店舗管理が中心だったのが、すべて法人経営陣と本国相手になるということ。また、これまでは数字面のみの管轄だったのが、数字、人、マーケティング、商品、それらすべての責任がのしかかってくる。今までの経験にはなかった範疇だったので、とても大変だった記憶がありますね。

― 取締役の苦悩とやりがいとは?

私の場合は、もともと語学ができる前提でラグジュアリーブランドに入っているというわけではなかったので、トレーニングを受け必死に勉強しましたが、その上で英語でのカンファレンスやミーティング、レポートの数が劇的に増えたことはとても大変でした。毎週のチームミーティングに毎週の本国とのミーティング、週末のアクションプランのミーティング、月1回のLVMHグループへのレポート、ウォッチ&ジュエリーへのレポート、本社へのレポートなど、秘書がいないとなりたたない仕事というものを、初めてそのとき経験しました。

その一方で、当時就任したのがちょうど47歳の頃で、「自分がようやくここまで来た」という実感がとてもありました。これは大きなやりがいでしたね。一つの会社のなかでエリアマネージャーの立場からステップアップして、ブランドヘッドにまでなれた高揚感。そして会社が私のような人間を信じてくれたという実感。お客様、スタッフ、取引先も期待してくれていることがダイレクトに感じられましたし、プレッシャーもありましたが、会社のトップのやりがいというものはその前とは大きく違うものでした。

前例のない転職。どのように異業種を選んだ?

― その後、ソニアリキエルの代表も経験され、現職に転職された小杉さん。前例のないような転職に思いますが、今のお仕事に転職された経緯とは?

2020年から一般社団法人広陵町産業総合振興機構 広陵高田ビジネスサポートセンターのセンター長として働いています。ここは、自治体が立ち上げたいわゆる地域商社というもので、奈良県と近畿経済局と広陵町の3社が締結し、自治体を盛り上げるために立ち上げた一般社団法人です。

前職でソニアリキエルジャポンの代表を務めていましたが、残念ながら本国で会社を清算することになり、次をどうしようと考えたとき、「今までやってきたこととをまた次の10年でやることがベストなのか?」という気持ちになりました。それなら新しいマーケットを見つけるしかないと、たまたま興味があった産業支援を調べていく中で、中小企業が苦しい現状を知りました。そのなかでビズモデル(=中小企業支援)を自治体と組んでやっているコンテンツを見つけ、応募したのがはじまりです。

東京生まれ、東京育ち。慣れない土地での単身赴任。

― その場所が奈良県の地方だったのですね。かなりご家族からの反対もあったのでは?

私は生まれも育ちも東京で、家族も東京に住んでいますから、「なぜ奈良?」と最初は快く同意されませんでした。さらに今まで一人暮らしも経験したことがなく、お米を研いだこともなかったのでなおさらです(苦笑)。もちろん不安もありましたが、仕事への興味が不安よりも勝ってしまって。

― 具体的な仕事内容とは?

広陵町は3万人規模の小さな自治体で、新興住宅街があり、難波まで35分の大阪のベッドタウンです。電車1本で都心に出られる大きなメリットがあるので人口は増加傾向にありますが、ベッドタウン化していくことによって産業が衰退していくという、地方独特の問題を抱えています。隣接している大和高田市も同じ課題を抱えています。この辺りはもともと繊維の街で、大和高田市はユニチカがあったので紡績で盛んでしたが、ユニチカ撤退後には関連企業も撤退し、現在は数社のみとなりました。

仕事内容は主に経営者さんから、さまざまなご相談をお受けすることです。新しい製品やサービスはどのようなものがいいか、認知度を拡大するにはどうすればいいかなど、基本的に売上に紐付いていく内容になります。通常はこのような相談を金融機関にすることもありますが、具体的なアクションまで落とし込むということはなかなかできません。私のような経歴を持っていると、世の中のトレンドに多少なりとも敏感だったり、いろんなアドバイスができるので、例えばネギのパッケージからアパレルの新製品開発まで、さまざまなことを1日5社(1社1時間ずつ)に向けコンサルティングを行っています。

― ひっきりなしにご相談のご連絡があるとお伺いしました。

ありがたいことにこれまでのキャリアの背景もあって、広陵高田ビジネスサポートセンターKoCo-Biz(以降KoCo-Biz)にいけばなにか新しいアイデアが見つかるんじゃないかと来てくださる方がとても多いです。

― 2年のなかで実際に行われたもので、どのような事例がありますか?

昨年の事例ですと、アパレルで“リバー仕立て”という、いわゆるWフェイスのマテリアルを得意としている工場から「自社開発の製品をつくりたい」というご相談があり、そこで始めたのが和歌山の紡績コットンを使ってつくる高級Tシャツを作るプロジェクト。国産のファクトリーブランドで1万5千円と一般的には少し高価格帯ではありますが、非常にいいものができたのでクラウドファンディングで販売したところ、100万円ほど集めることができました。これはただのTシャツではなく、“着用支援”というハンディキャップがある人に向けて前後がわかるループをつけたのですが、この繊維会社が障害者雇用を率先して行っている背景があり、これをビハインド・ストーリーとして商品に落とし込んだところ、多くの方の心に届けることができました。なぜこの工場がTシャツをつくって売るのか?といったストーリーづくりからご提案させていただいています。

このTシャツの売上の一部は障害者雇用を促進するためにために使われます。
前後がわかるループ

ほかには地域の靴下を販売するポップアップストアを近鉄百貨店で開催しました。奈良の広陵町と三宅町という地域の靴下事業者さん4ブランドをKoCo-Bizが集め、編集した売り場です。また、直近では大和高田市にある大和高田市立商業高校の生徒さんと広陵町の靴下事業者がタッグを組み、“高校生が考えるSDGs靴下”をつくる企画を立ち上げ、せっかくなら販売をしようということで、これも近鉄百貨店で販売することになりました。

ラグジュアリーブランドから異業種への転身で感じたこと

― 前職でのスキルを活かしつつ、これまでとはまったく違う範囲までこなされているのですね。今回のようなキャリアチェンジをされて、わかったこととは?

私もそうですが、意外とラグジュアリーブランドで働いている人って、本国などから“指示をうける側”が多いと思うのですが、やはりいろいろなものを見てきているので、アイデアはあふれるほどあると思います。トレンドの流れとかに敏感な分、知らない間にいろんなアイデアを蓄積している。実際に私も多くの事業者さんとお話していますが、提案がどんどん自然にあふれでてくるんです。

ラグジュアリーブランドで働いているとアイデアがあってもそこが海外本社にアプルーバルされることってなかなかないと思うのですが、長い経験のなかでフレッドの頃に2回アプルーバルされたことがあります。1つは日本向けに売れやすいシルバーを新たにつくってもらったこと、2つめはアイコンのケーブルを日本で作りたいと工場を探してサンプルをつくり本国に送ってテストして了承されたこと。非常に稀なことですが、フレッドが受けてくれたので、アイデアが実現しました。そのときの経験が今とても生かされていますね。

― 外資系のラグジュアリーブランドでキャリアを積まれている方に向けて、類まれなキャリアを積まれている小杉さんからぜひアドバイスをお願いします。

ラグジュアリーブランド1本でももちろん素晴らしいキャリアです。ラグジュアリービジネスには非常に優秀な人材が集まりレベルの高い仕事をしているので、人材的にも非常にいい環境があると思います。ブランドでの経験というのはファッション業界の中でもごく一部の人ですから、ブランドで生きて行けている人というのは、知らないうちに蓄積されたいろんなノウハウがまったく違うところで活かせるチャンスが大いにある。私のように地域コンサルティングみたいなことも可能性があるし、ITや、政治の世界などにいける人もいます。

ですから、キャリアチェンジをするときに、「これはできないだろう」と諦めずに、自信をもって選択肢を増やすことはおすすめしたいです。トップエリアで仕事をしている人たちのノウハウを外の人たちは欲しがっていますから、それをうまく提供できるようなチャンスが転がっているのであれば、拾ってみてもいいのではないでしょうか。

― 最後にメッセージをお願いします。

最近は、靴下ブランディングというものをやっていて、奈良の靴下を地域ブランド化していこうと思っています。いわゆる地場産業戦略として、産業界、産官学など、垣根なくいろんな人たちと盛り上げようと動いています。ぜひこれからは国産の靴下にこだわって購入いただきたいです!

撮影:WACOH

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