デジタル時代の今だからこそ、マーケティング哲学の中心にあるのは「有機的な人との繋がり」。
社会のあらゆる場面でデータ活用が進んでおり、データドリブンマーケティングを導入する企業も増えている。そんな中、異彩を放つのが、日本におけるエンターテインメントマーケティングの先駆者であり、数々の大手外資系企業でマーケターとして手腕を振るってきた森部さんだ。個人と個人との「有機的な繋がり」を大切にした独自の流儀や成功事例、原点となった子ども時代の貴重な経験、そして2025年に100周年を迎えるプレミアムキッチンメーカー、ル・クルーゼ ジャポンのマーケティング部ディレクターとしてのビションなどについてお話を伺った。
森部 友彰さん/ル・クルーゼ ジャポン株式会社 マーケティング部ディレクター
大学在学中より、日本の出版社で雑誌編集者としてのキャリアをスタート。1997年にニューヨークへ移り、現地のTV番組制作会社に勤務。2002年、帰国と同時にコーチ・ジャパンに入社し、PR&コミュニケーションマネージャーに就任。その後ナイキ・ジャパンへ移籍。ブランドコミュニケーションマネージャー、エンターテインメントマーケティングディレクターや中国マーケットの統括ディレクターなどを歴任。その後、アップル・ジャパン、フランス系ブランドコンサルティング会社の日本法人立ち上げを経て、現職に。
「いかに人との繋がりが大事か」という意識を生んだのは小学生時代の貴重な経験
― 森部さんは、外資系大手企業で長くマーケティングに携わっていらっしゃいます。特に「人と人との繋がり」を大切にしながら仕事をされていらっしゃいますが、仕事の流儀の原点はどこにあるのでしょうか。
私自身の生い立ちが大きく影響しています。サラリーマン家庭で育ったのですが、父の仕事の関係で転校を重ね、小学校6年間で7つもの小学校に通ったんですよ。「大阪から来ました森部です。よろしくお願いします」。その2か月後には「短い間でしたがありがとうございました。僕のことを忘れないでください」。でも忘れるに決まってるじゃないですか。それを繰り返してきました。4番目の小学校がニューヨーク・ロングアイランドの公立小学校。私は初めての日本人生徒でした。出会いと別れが続いたのちに、今度は言葉が通じないという環境に身を置くことになったのです。
― そんな状況下で周囲とはどのようにコミュニケーションを取ったのですか。
表面に「お腹が痛い」「トイレに行きたい」「母親に連絡してほしい」等々の日本語、裏面にその英語が書いてあるカードを母親が用意してくれました。それを先生に見せないとトイレにも行けない。そんな環境に身を置くというのは子どもにとって凄まじい経験で、だからこそ本当の意味での「友情」や人との繋がりを大事にしないと、全部が途切れてしまうという思いが強くなっていったのです。ですから小学校1年の時から筆まめでした。人と別れることに寂しさを感じ、そこを補うために必然的にそうなっていったのではないでしょうか。
そういう経験をしているからこそ、「人との繋がりがどれだけ大事なのか」「人との繋がりや信頼は一瞬にして崩れてしまう」という早熟な意識が幼少期より芽生えていたし、インフルエンサーマーケティングや人との繋がりやコネクションを大事にしたマーケティングに繋がっているのだと自己分析しています。
自分を取り巻く環境下において、キーパーソンに信頼されることで「企業にいる森部」ではなく「森部がいる企業」へ
― ナイキ在籍時には、日本におけるエンターテインメントマーケティングの先駆けとして、数多くのインフルエンサーとお仕事をされていますね。
同社はスポーツアスリートのパフォーマンスレベル向上のサポートをキーメッセージとしていますが、皆さんご存知の通りスポーツにとどまらず、アート、カルチャー、ファッション、エンターテインメントなどとも密接な関係を持っているブランドです。
しかしその関係を築くには誰かが舵取りをしなければいけない。どういう方向性で、どう見られるべきなのか、どういった方々とお付き合いを築いていくのか。それをリードし、遂行するのがエンターテインメントマーケティングです。
元々はアメリカ本国にしかなかったマーケティング手法で、「ハリウッドマーケティング」とも呼ばれていました。「フォレストガンプ」や「バックトゥザフューチャー」の履いているスニーカーのプロダクトプレイスメントが有名な事例ですね。
― その日本での立ち上げを手探りの状態からスタートされたのですね。
当時の私は芸能界に疎く、誰が影響力を持っているのかもわからず…。最初の1年は戦略を検討し、ブランドとして誰と繋がっていくべきなのかを一所懸命プランしました。するとキーとなる方が何人か出てきたんですよ。その方々には本当に助けていただきましたし、今でも非常に良い関係でお付き合いをさせて頂いています。
筆まめで人との繋がりを大事にし続けると、私を信頼してくれる各業界のリーダーがちらほら現れ始めました。根幹となる考え方は「No pay」なのですが、「森部君おもしろいことやってるね」「一緒にやろう」「お金なんかいらないよ」と。たくさんのインフルエンサーが向こうから声を掛けてくれるような存在になっていきました。
― すごいですね。どのようにネットワークを広げていったのですか。
何か都市伝説的な手を打ちたいと考えました。そこで仕掛けたのがオリジナルシューズの制作を中心に据えた戦略です。私が勤務していた部門の、隠れ家的なオフィスに行けばオリジナルのシューズが作れる。どうやら森部という人物がいるらしく、彼に会えないとそのオフィスには入れないし、シューズも作れない。どうやったら彼に会えるのか、どこに行けばいいのか。そんな話を流布していきました。お金は払わない、もらわない。どんなに忙しい芸能人でも代理人やマネージャーが来るのは許さない。そのスタンスを崩しませんでした。また、スタイリスト、ヘアメイク、そのアシスタントと多くの方々と分け隔てなくお付き合いしてきたのも非常に良かったと思います。
それが功を奏し、先ほどお話した何人かのキーとなる方々から「スニーカーを履くなら森部くんに相談しよう」という方々が増えていったのです。結局のところ、自分自身がブランドの先に信頼を築かなければいけないのです。エンターテインメントマーケティングには2012年まで関わり、ブランドとしても個人としてもひとつの大きな成功事例を生み出せたかと思います。
「TERAKOYA 03」で自らの経験や仲間のサクセスストーリーを若者たちに継承
― その後、大学生を対象としたマーケティングの学校も主宰されたそうですね。
その頃のナイキでは、18~22歳のターゲットグループに照準を置いていました。簡単にいうと大学生です。大学生たちを集め、社会に出る前にリアルなマーケティングを教えようと考えると同時に、若者がオフィスに来ることで社員たちが刺激を受け、会社自身のマインドセットが若返るのではないかと考えました。そして立ち上げたのが学生に向けたマーケティングの学校「TERAKOYA 03」です。
プログラム実施期間は半年。受講生は12人。マーケティング部のディレクター陣を講師に迎え、「サクセスストーリー」に加え、「どのようにして今の仕事に就いたか」「若者に伝えたいこと」を語ってもらいました。授業終了後は全員一緒に食事をする。ここまでが1セッションのカリキュラムです。無断欠席は許しませんでした。大人が大学生相手に真剣にやっているのですから、その心積もりで来てほしいと最初に伝えました。学生達にとっても非常に刺激的な経験だったのではないでしょうか。
また常にみんなの前でプレゼンをさせて、優劣の順位をつけ、切磋琢磨してもらいました。そうやってプレゼン能力を養い、プレゼンデッキの作り方を学んでいく。入学時には広報部と広告部の違いもわからなかった学生たちが、卒業時にはしっかりとマーケティング論を語れるようになっていきました。
このインキュベーション・プログラムは5期まで開講したので、約60人の教え子がいます。今でも年1回は「ALL HANDS」と称して皆で集まって食事をし、現状を報告し合っています。人生における分岐点を迎えた時には、皆必ず連絡をくれますし、私からもコンタクトします。可能な限り直接会って食事をして、学長としてのアドバイスを今でも送ります。そうやってずっと繋がっていく。これが私の「人との繋がり」の形にもなりました。
代々に渡って受け継がれるル・クルーゼの商品が、食卓の中心にある暮らしを提唱
― 素晴らしいお話です。それでは現在在籍されているル・クルーゼというブランドの起源や歴史、現在のビジネスについてお伺いできますでしょうか。
ル・クルーゼは、2025年に100周年を迎えるフランスの鋳物・ホーローメーカーです。エナメル加工の専門家、鋳造のエキスパート。この2人の実業家が1925年に出会ったことから、ル・クルーゼの歴史は始まりました。私たちの製品は細部に至るまで丹念に作られ、一生物の品質を体現しています。ル・クルーゼブランドは卓越した職人技、永遠のデザイン、そして幅広いカラーバリエーションが同等となり、お客様と深い感情的な結びつきを形成しています。品質や耐久性には妥協しません。
私たちの料理器具は品質の伝統と最先端のデザインを組み合わせ、持続的なパフォーマンスを保証します。その結果、ル・クルーゼの商品は、しばしば代々に渡って受け継がれる大切な宝となります。ル・クルーゼには100年鍋という言葉があります。私たちは母親や祖母のものであるル・クルーゼのシグニチャー ココット・ロンドなど、数多くのお客様からフィードバックを受けています。私たちの製品は世界中の食品愛好家によってつくられた食事、思い出、伝統の中心にあります。
― マーケティングディレクターとしての森部さんの役割、戦略に関するビジョンなどについてお聞かせくださいますか。
現在はマーケティングだけでなく、マーチャンダイジング、プロダクトもリードする立場で仕事に従事しています。
「ル・クルーゼの鍋を使うほどの料理は作れない」。そんなお声を耳にすることがあります。しかし鍋が高級だからといって高級料理を作らなければいけないということは決してありません。ル・クルーゼの鍋を使うことで、料理をする喜びやテーブルの彩りを与えることができたらと思っています。特にコロナ禍によって、家族みんなで料理を作ろうというコミュニケーションも増えてきました。料理をする男性も増えています。女性誌だけでなく男性誌とのタイアッププランなども進めていきたいと考えています。
日本人は普段使いの鍋から直接食事を取るのは「お行儀が悪い」と育てられてきていますよね。ル・クルーゼはお鍋のまま「はい、どうぞ」。これはとても大きな変化です。「ル・クルーゼの鍋を使ってお料理をしたら楽しい」「見た目も楽しい」「そのままダイニングテーブルに出しても彩りがいい」。オレンジのお鍋がひとつあるだけで食卓が明るくなる生活は素敵だし、家族の思い出として紡がれていく。「音」や「香り」で思い出す心の原風景があるように、「鍋」で思い出す景色を提供できるような、そんなマーケティングを推し進めていきたいと考えています。
― ブランドとして100年受け継ぐというのは本当に素晴らしいことだと思います。ル・クルーゼの将来のビジョンをぜひお聞かせください。
2025年に100周年を迎えるにあたり、ル・クルーゼは世界中のプロフェッショナルシェフ、ホームコックたちにとっての自己表現の源として存在し続けます。私たちはトレンドに焦点を当てたカラーの革新と、料理を楽しく、楽しませる実用的な製品で、絶えずインスパイアし、新しいスタイルと革新をお客様のニーズに応じて提供していきます。最新のニュースや新製品については、ソーシャルメディアでル・クルーゼ・ジャポンをフォローしていただくことをお勧めします。
「先輩から学ぶ」「考えることを習慣化する」を大事にしてほしい
― 最後に、人との関わりを築くために心掛けるべきことがあれば、お教えください。
読者の方が20代だと仮定してお話すると、できるだけ先輩に可愛がられる人間になっていただきたいですね。若いうちは年上の先輩たちからいろいろなことを学ぶ時期。遠慮なく教えを乞う事ができる時期です。先輩が食事に誘ってくれたら行くべきだし、時には「食事に連れて行ってください」と自分から声を掛けて、より太い関係を築いてほしいですね。
あとは常に「考える」こと。これは「経験の継承」と同じく私が大事にしていることです。考えることを習慣化する。「なんとなく…」ではもったいない。考えている内容を人に伝える必要はありませんが、考えることを自分の毎日のルーティンにすることが自己成長に繋がるのではないでしょうか。チャンスを逃すことなく、いつでも動けるよう「虎視眈々」と次のステップへの準備を進めてください。
文:カソウスキ