1. HOME
  2. 最新ニュース&インタビュー
  3. “マディソンブルーの洋服はお客様とのコミュニケーションツールなんです”|株式会社マディソンブルー 代表取締役/クリエイティブディレクター 中山まりこさん

JOURNAL

“マディソンブルーの洋服はお客様とのコミュニケーションツールなんです”|株式会社マディソンブルー 代表取締役/クリエイティブディレクター 中山まりこさん

“マディソンブルーの洋服はお客様とのコミュニケーションツールなんです”|株式会社マディソンブルー 代表取締役/クリエイティブディレクター 中山まりこさん

2014年のデビュー以来、高い人気を誇るブランド、マディソンブルー。感度の高い女性たちの圧倒的な支持を得ており、現在はメンズも展開する。今回は代表取締役/クリエイティブディレクターの中山まりこさんにブランド設立までの経緯や仕事への情熱を伺った。

中山 まりこさん
株式会社マディソンブルー 代表取締役/クリエイティブディレクター

23歳でスタイリストとして独立し、1989年にニューヨークに渡る。3年後、帰国し、雑誌や広告などのスタイリングを数多く手掛ける。30歳で結婚し、子育てをしながら活躍。2014年にシャツ6型のコレクションで、マディソンブルーをデビューさせる。

がむしゃらに仕事をこなした20~30歳代

中山さんの経歴は、雑誌を中心とするスタイリストのアシスタントから始まった。23歳で独立し、1年ほど経った1989年にニューヨークへ。3年間の滞在中、日本と行き来しながらスタイリストだけでなく買い付けの仕事も手伝っていた。帰国後、彼女は人気スタイリストの道を歩むことに。

―帰国後は、ミュージシャンのスタイリングのお仕事が多かったそうですね。

34歳くらいまで音楽関係のお仕事が多かったんです。ピチカート・ファイヴのスタイリングは6年ほど手掛けました。日本の音楽シーンが大いに盛り上がっていた時代で、アルバムのジャケット写真、PV撮影、ツアーと仕事に追われる日々が続いていました。寝ずに一日中撮影なんてことも当たり前。そんな状況だったので、アーティストさんを2組も抱えると、もうそれだけで年内の仕事が埋まる状態でした。

街に出て、何時間もOLの着こなしを観察

―音楽関係の次にどんなお仕事を手掛けられたのでしょうか?

その後、時代の変化とともに広告の仕事が増え始めました。特に記憶に残っているのは、大手通信会社のCMで依頼された“普通のOLさん”のスタイリングですね。正直、世間のOLさんの着こなしがまったくわからなかったんです。彼女たちの愛読する赤文字系雑誌を読んでも、誌面の読み解き方がまったくわからず…(笑)。それで、丸の内や銀座に出て、OLさんを何時間も観察しました。

―観察の成果はありましたか?

女性たちが黒ではなく、ナチュラルカラーのストッキングを選んでいることや、小ぶりのアクセサリーが好まれているなど、知らなかった傾向が次々につかめたんです。よし、ワントーンコーデなら間違いないと確信しました。今までとの違いを学んでCMに生かせました。
その後も、子供向け飲料のCMでは、公園で子どもたちを観察。また、自分の子どもたちの保護者会では、周囲のお母さんたちのバッグの流行もチェックするなど、ごく身近な世界のヒントを次々と吸収していきました。
マスマーケットのものは、私にとっては未知数。やっぱり、どんなものかを知らないとスタイリングできませんよね。でも、『知らないからできません』と言ってしまうと、自分自身の幅が広がらない。生きた情報のインプットは、すべて仕事の糧になりました。

洋服づくりに至るまでの心境

―意外ですが、もともと洋服を作りたいとは、まったく思っていなかったというのは本当ですか?

まったく思っていませんでした。もともと30歳くらいから『大人になったら何になろうかな?』との思いがありました。そうこうして40歳を過ぎ、たどり着いた結論が洋服でした。それもポンと答えが出たんです。
その結論が出る少し前に、リーマンショック、東日本大震災があって。特に震災の後は広告関連の仕事が半年にわたってなくなり、仕事が戻ってからもCMの在り方が一変しました。
以前なら、CMの目的からそれに相応しい着こなしを考え、情報をインプットしてスタイリングをしましたが、もっと安易に『ピンクのワンピースで』『Tシャツとジーンズでよろしく』といった依頼ばかりになってしまいました。
そのとき、頭の中を巡ったのは『レシーバーじゃなくて、サーブを打つ人になりたい』という気持ちです。与えられる仕事をレシーブするのではなく、自分がサーブを打つ。洋服なら自分がサーブを打てると気づいたんです。

マディソンブルーでは独自のディテールを妙に散りばめていると語る中山まりこさん

シャツから始まったマディソンブルーのコレクション

―そして打ったサーブがマディソンブルーですね!

『あ、やっぱり洋服だ!』と。実際に作り始めると、ラグジュアリーブランドから古着まで触ってきた手が覚えているといいますか。縫製の知識が少なくても、手に残った感覚で自分のしたいことがわかるんですよね。そのとき、『私は洋服を作るために、これまでスタイリストをしてきたんだ!』と、気づいたんです。
マディソンブルーの最初のコレクションはシャツ6型のみでした。これは『まず、アイコンになるものを』との考えがあったからです。30代ならTシャツを作っていたでしょう。でも49歳の私はTシャツじゃないな、と。アイビーやアメカジが好きだったし、シャツはマニッシュで大人の着るものと思っていました。

―そこまで、シャツへの思い入れがあるのはなぜですか?

子ども時代、ブラウスを着せられていた私にとってシャツは憧れのアイテムでした。独自のアイテムを生み出すなら、自分のファッションのルーツが重要と考えて、まっさきにシャツが思い浮かんだんです。そして選んだのがワークシャツとオックスフォード生地のシャツ。
『これを色っぽく着よう。19歳の自分ならデニムを合わせるけれど、49歳のいまなら赤い口紅とタイトスカートを合わせる』と。

ファーストコレクション

―6型のシャツを作るにあたって、どんな苦労がありましたか?

ワードローブにある、私と夫のワークシャツを見返して、ステッチや衿といったディテール、全体のバランスを見つめなおしました。もう一方のオックスフォードシャツのディテールにも向き合い、マディソンブルーではレディスシャツに当たり前の細く見せる身頃のダーツは採用しなかったんです。
メンズの持っているバランスをそのままレディスに生かす。モードにもクラシックにも着こなせる。トラッドの先にあるスタイルに思いを込めました。

一気にブレイクしたマディソンブルー

―初のコレクションができたあと、どのように展開が進んだのですか?

まず、ロンハーマンで働く信頼するバイヤーにサンプルを見せたんです。すると、エクスクルーシブで取り扱ってもらえることになって。そうしたら、大手企業から地方のショップまで、誰にも教えていないはずの私の携帯電話に、どんどん電話がかかってきて(笑)。ワークシャツをフェミニンに着る提案が伝わったようです。でも、シャツが歩き出してくれれば、シャツが私をその先に連れて行ってくれると思っていました。想像もしていなかった反響に『思いを込めて、きちんとモノを作れば人は動くんだな』と実感しました。

2015年 第1号店
Ron Herman Exclusive

―その後、順調に成長して、いまではコレクションは約200型に広がったとお聞きしました。成功の背景にある中山さんのポリシーを教えてください。

余剰生産とセールをしない方針です。大量生産は絶対に嫌です。環境への配慮やブランド価値を守ることのほか、消費者だったときから、一つの流行に大勢が傾くことへの拒否感があるんです。やはり特別で人に寄り添う一着が欲しい・作りたいと思っています。

人との出会いでブランドが成長する

―6型からはじまって、今や約200型というのはすごいですね。

広がりは、ただ作りたいものを作った結果ではなく、パタンナー、生地メーカー、工場など、さまざまな出会いによってもたらされたもの…私の積み重ねたものではなく、出会いがもたらしてくれた結果です。この人となら、この会社となら、こんなものが作ってみたい、と思わせる出会いが品番数を増やしてくれたんです。また、お客様にも支えられています。
コレクションのなかで『なにがなんでも、お客様に提案したい!』と強気で挑んだアイテムが、想像以上に売れることも珍しくありません。ブランドの意気込みと、それを受けとめるファンのコミュニケーションのうえに、『チャレンジさせてもらえる』環境が築かれています。

―良好なブランドとファンの関係はショップの雰囲気にも感じられます。現在の店舗は、表参道ヒルズの裏の道からほんの少し奥まった場所にありますが、その意図は?

空気感が大切。通りすがりの人が出入りするお店は、やはり空気が変わって、店頭の人たちの気持ちが萎えてしまいます。駅ビルのショップなんかもそうですよね。商品に集中できないし、落ち着けない空間では高価なものを買えないでしょう。

―店舗の上階がオフィスになっているのも、マディソンブルーならではですね。

店舗の熱意が上のオフィスにも伝わってきます。スタッフからの問い合わせにもすぐに答えられるし、リレーションシップの面で抜群にいい。オフィスを別にして、現場と遠くなりたくなかったんです。
店舗こそブランドを一番よく知ってもらえる場です。時折、開催するポップアップストアも、表参道のショップに足を運んでもらうきっかけづくりと考えています。

表参道ストア

―ECは昨年からスタートですね。ECについてはしばらく距離を置いていたのですか?

1年ほど前から商品を絞り込んでスタートしました。マディソンブルー設立から6年目で認知度も着用感も理解されてきたことから、新しいチャレンジだと思って、以前からECを構想していました。そのタイミングとコロナ禍が合致したんです。

―反響はいかがですか?

スタートすると反応がよく、ECだけでたくさん買い物をするVIPクラスのお客様も現れ始めました。現在はELLE SHOPHAPPY PLUS STORE(集英社)でも取り扱いがあり、高額商品が先行予約の段階で何着も売れています。

洋服屋だけれど洋服屋ではない!

―最後に中山さんにとって、マディソンブルーとは何かをお聞かせください。

洋服屋だけれど、洋服屋ではない、と一番伝えたいんです。洋服を通してスタイルを提案したい。私たちは洋服を通してお客様とコミュニケーションをしています。ラグジュアリーブランドからアメカジ、古着…私の経験した生き様を散りばめたマディソンブルーの洋服はお客様とのコミュニケーションツールなんです。
スタッフに対しても、広い視野を持ち新しいことへのチャレンジをしてほしい。ルーティーンではなく、新しい自分を作ってほしい。自分をなにかに縛られない。そんな精神もマディソンブルーの洋服には込められています。いつの時代もフレッシュに歩いていける人の精神。これが宿っていないと、いいお客様との出会いもないと信じているのがマディソンブルーです。

―ニットではなく、Tシャツの上にコートを羽織る。秋冬なのに麻を提案する。こうしたブランドのいままでにない発想にも、おっしゃる理念が感じられますね。

ガーメントケースに6型のシャツを入れて、ロンハーマンに行った日のことを忘れません。この先も6型のシャツを抱えて世界中を歩いて、いろんな人と出会いたい。お店に商品を置くだけではなく、もっとさまざまな形でお客様に出会いたいとの思いが強くあります。私がブランドを背負って走り続けることが会社のエネルギーになりますから。

彼女は自分一人ではなく、いま周囲にいる人々、これから出会う人々とブランドを追求していきたいと願っている。まだまだ止まらない中山まりこさんの情熱に、これからも大いに注目したい。

取材=T.Kawata

SNSでこの記事をシェアする

Brand Information

MADISONBLUE

MADISONBLUE

スタイリスト・中山まりこが手がけるブランド
「MADISON BLUE (マディソンブルー)」