レッドブル発のファッションブランド、ALPHATAURI(アルファタウリ)を日本で広めるマーケターはダンスに魅了された舞踊研究家出身|レッドブル・ジャパン/ニューマーケットマネージャー 関谷雄二氏インタビュー
ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。第7回目は、レッドブル・ジャパンの関谷雄二氏が登場。プジョー、プーマ、ダンヒルという誰もが知るブランドでマーケターとして活躍。現在はエナジードリンクで有名なレッドブルが立ち上げたファッションブランドの“アルファタウリ”で新しいプロジェクトを推進している。実はダンスが好きで、学生時代は舞踊研究家の道に進もうと思っていたという関谷氏。ブランドコンサルティング企業 H-7 HOUSE(エイチセブンハウス)の代表である堀 弘人氏が関谷氏に、これまでのユニークな歩み、そして日本ではまだそれほど知られていないアルファタウリというブランドの魅力について聞いた。
関谷 雄二さん/レッドブル・ジャパン株式会社/ニューマーケットマネージャー
日本の大学を卒業後、アメリカのワシントン州立大学大学院でパフォーミングアーツを研究。帰国後、広告代理店に就職。その後、自動車メーカーのプジョー、スポーツメーカーのプーマ、ラグジュアリーブランドのアルフレッド ダンヒルでマーケティングジェネラルマネージャー等の要職を歴任。現在は飲料メーカーのレッドブルが立ち上げたファッションブランド、アルファタウリのニューマーケットマネージャーとして、ファッションビジネスの立ち上げに携わる。
堀 弘人さん/H-7HOUSE合同会社 CEO/ブランドコンサルタント
1979年生まれ。米系広告代理店でキャリアをスタートさせ、アディダス、リーバイス、ナイキ、LVMHなど世界的に業界をリードする数々の外資系ブランドでマーケティングディレクターを含む要職で活躍したのちに、大手日系企業 楽天にグローバルビジネスディレクターとして入社。また、国際部門にて戦略プロジェクトをプロジェクトリーダーとして率いてきた。2021年、自身の経験を国内外企業の活性に役立てたいとブランドコンサルティング会社H-7HOUSEを設立。メディアNESTBOWLのブランドディレクターも務めている。
アメリカ留学時代、ダンスのうまい男の子の前には、女の子の行列ができる!?
―数々の有名外資系企業で活躍されている関谷さんですが、そもそも海外に目を向けたきっかけは何でしょうか?
私にとって、アメリカは子どもの頃からのあこがれでした。70年代生まれなので、80年代のアメリカンポップカルチャーに影響を受けていて。マイケル・ジャクソンやマドンナといったポップミュージックを始め、アメリカがキラキラしてた時代をよく見ていました。
そして私は小さい頃からダンスが好きでした。高校では陸上部だったのですが、大学でちゃんとダンスをやってみたくなり、芸術学部の舞台芸術専攻に入学しました。そこでモダンダンスやコンテンポラリーダンスをしっかり学ぼうと思ったんです。
当時は舞踊研究家になる予定で大学院まで行きました。専攻はパフォーミングアーツでしたが、提携校であるワシントン州立大学に留学できるチャンスがあり、アメリカに行くことになったんです。
―留学当時、印象に残っていることは何でしょうか?
90年代にアメリカで流行っていたスウィングというダンスがあって。パフォーミングアーツを研究しながら、夜はスウィングダンスクラブに行って、友だちと遊んでいました。スウィングはソーシャルダンスなので男女でペアを組むのですが、まず踊るためには、パートナーになってくれそうな人に話しかけて誘わなくてはいけないんです。その会話が必要だったこともあり、踊りながら覚えていった英語はあります。
―ダンスに誘う時はどういう英語を使うのでしょうか?
“Shall we?”とか“Would you?”で大丈夫です。踊っている姿を見て、“この人はリーダーとしてフォロワーをうまくリードできる人だな”と分かると、その人の周りに列ができるんですよ。だから上手な男性だと、女性が待っていてくれるんです。
―関谷さんの前にも列が……?
いやいや、列ができるほどではなかったですけれど(笑)。言葉とコミュニケーションは、ダンスクラブで培ったところもあるかもしれません。
「ラーメンを食べたい」世界のウサイン・ボルトとのエキサイティングな日々
―ここからは関谷さんのキャリアについて伺っていきます。まず、今までのキャリアの歩みを教えていただけますか。
アメリカの人たちは大学院生も新入生を教えて授業料を免除してもらったりと、いろいろな働き方をしていて。私もこのまま研究者になるより、一度社会に出よう、と思ったんです。いきなり就職活動を始めたのでどの分野に行っていいのか分からなかったのですが、“ものを作るビジネスがいいな”と思い、たまたま広告代理店の仕事と出会って。最初の会社に1年間勤めてから、アメリカ系の広告代理店に転職しました。
―その後は広告業側から、広告主側に変わられたそうですね。
広告コミュニケーションの世界はすごく楽しいと感じて、この仕事を探究していきたいと思っていました。そこで自分にとって愛着のあるブランドの広告コミュニケーションに携わったら、もっと楽しいだろうなと考えるようになって。当時、プジョーの車に乗っていて、メンテナンスでプジョーのホームページを見ていたら、「宣伝部員募集」と書いてあったんです。“これはやるしかない!”と思い、プジョーのマーケティングコミュニケーションの職務に就くことになりました。
―その後は同じく欧州系スポーツメーカーに転職されて。
たまたまプーマのマーケティングコミュニケーションの責任者の募集がある、とお声がけいただいて。私は陸上もやっていて、スポーツとファッションがすごく好きだったんです。プーマは当時、デザイナーの三原康裕さんとブラックレーベルというコラボレーションを行っていたり、ジル・サンダー×プーマというスニーカーもあって、気になるブランドでした。
プーマはキャリアの中でも長い在籍期間で、8年間いました。もっとも強烈に印象に残っているのは、やはり陸上競技選手のウサイン・ボルトと仕事ができたことです。すごく緊張感がありました。彼が世界陸上やオリンピックに出て行く際に、いろいろなキャンペーンを打っていて。世界陸上競技選手権大会の時に、TBSテレビでキャスターを務めていらした俳優の織田裕二さんをはじめ世界陸上のチームの皆さんをボルトのインタビューに連れていったりしたこともあります。
―どういったキャンペーンを手掛けられていたのでしょうか?
印象に残っているのは、引退の頃の最後のプロモーションツアーで来日した時の収録です。「陸上選手を引退したら、プロサッカー選手になる」と言っていたので、当時から現在もプーマがユニフォームのスポンサーをしている川崎フロンターレに協力してもらい、「ボルトがフロンターレに行ってみたら」というサプライズを撮影したんです。当時なかなかJリーグで優勝できてなかったクラブの選手たちに、ボルトが喝をいれるという内容だったのですが、非常に面白かったですね。
ボルトを練習場に連れて行った時、彼が「今からラーメンを食べたい」と言ったんですよ。街の中心からは離れた場所だったので近くにラーメン店なんてなかったのですが、フロンターレの広報の方が練習を見ていたサポーターを呼んで、「ボルト氏がラーメンを食べたいと言っているから買ってきて」と依頼して。その人たちは「分かりました!」とクルマをぴゅっと飛ばして、本当に中華料理店のラーメンを買って配達してくれたんです。ボルトの軽い我がままへ即座に対応して進行できたのもファンの方の優しさですし、そういったファンの人たちと近い関係を築いているのは、ファッションの広報とはまったく違うんだなと思いました。
―そんなエキサイティングなキャリアを経て、そこからファッション業界に入られたそうですね。
プーマの後はアルフレッド ダンヒルという、ブリティッシュテーラリングが得意な紳士のファッションブランドにマーケティング責任者のポジションがあるということで転職しました。ダンヒルがいいなと思っていたのは、それこそ日本サッカー協会とつながりがあり、サッカー日本代表のスーツを20年ずっと手掛けていたことです。
日本代表のスーツのお披露目イベントを銀座本店で行った際、森保監督を招いてトークショーを開催しました。ダンヒル自体はスーツだけではないのですが、ブランドの強みであるブリティッシュテーラリングとサッカー選手というイメージをしっかり作って、「いつかあこがれのスーツを作るならダンヒル」といったコミュニケーションに携われたかな、という気はしていますね。
レッドブル発のファッションブランド、アルファタウリの強みは機能性とかっこよさの両立
―そして現在はレッドブル社が立ち上げたファッションブランド、アルファタウリに所属されています。お伺いしたところ、レッドブルジャパンの所属ではなく、オーストリアの本国採用だそうですが、その経緯を教えてください。
アルファタウリは設立から6年目の若いブランドです。ヨーロッパではしっかり組織ができあがっていますが、世界展開を見据え、ファッションが強い地域でマネージャーをつけて、まずしっかり認知を取っていくというプロジェクトが立ち上がりました。そのアジアプロジェクトの最初が日本であり、本社で条件の合う人を探していたんです。そのため、本国採用という形になりました。
―関谷さんは転職する際、どのような基準で選択していますか?
私の場合、これまで手掛けてきた仕事に不満はありませんでした。ただその中で声をかけていただいた仕事が、今の仕事よりチャレンジが多そうか、面白そうかというところで判断しています。ダンヒルからレッドブルに転職した際も、おそらくこのブランドは新しくできることが多そうだと感じたからです。あとはレッドブルのいろいろな人と話をしてビジネスプレゼンを行い、その過程で会社のカルチャーが自分にマッチするな、と思ったのも要因です。
―プレゼンテーションは、どういったテーマだったのでしょうか?
この日本でアルファタウリというブランドをローンチさせるための短期的、中期的なブランド戦略を作るという課題でした。どこの流通先がいいのか、どういうマーケティングをした方がいいか、ターゲットは誰なのかというところを、自分なりに考えてみてくださいという課題で。そういう作業は今まで広告代理店だったり、ブランドビジネスをやってきた中で、誰にどうやって伝えていくかを非常に考えてきたつもりだったので。入社して一年半が経ちますが、今のビジネスプランの根幹は入社時の面接で提出した戦略と基本的には変わっていないですね。
―ちなみにどんなプレゼンテーションをされましたか?
そもそもレッドブルの強みはアスリートやダンサー、ミュージシャンといったカルチャーのソーシャルオピニオンリーダーをまとめ上げていて、全世界で800人ぐらいのネットワークがあります。その方たちと一緒にブランドを作っていくのは、非常に大事だと思いましたし、その人たちにまずアルファタウリのアンバサダーになってもらうというのが重要だと伝えました。
そして私が入社したのは、ちょうどコロナ禍に入った時でした。このアルファタウリというブランドは、“心と身体にフィットする”というスローガンなので、エナジードリンクと一緒で、気持ちを上げるためのウエアです。そのためのテクノロジーをたくさん詰め込んでいて。ファッションシルエットを大事にしながらも機能を盛り込む、という限界に挑んでるのがブランドの強みだと感じました。だから今のご時世のような着飾って外に出るのが難しい時でも、「これは着心地が良くてスタイリッシュだから、持ってた方がいいよね」というブランドにならなくてはいけない。それが伝えるべきメッセージです、とプレゼンで話しました。
―エナジードリンクで有名なレッドブル社が、なぜアパレルビジネスに参入したのですか?
レッドブルの創業者で会長であるディートリヒ・マティシッツ氏が、自らのファッションブランドを作りたいという思いからスタートしました。現在ブランド設立から6年目です。エナジードリンクは飲むことによって、“翼をさずける”というメッセージを発信していますが、アルファタウリは“Fits Body and Mind”という、「心と身体にフィットする」というブランドスローガンを出しています。着心地が良かったり、気持ちが高揚することを大事にしたファッションを作るということで、いろいろなイノベーションを毎シーズンのように発表していこうとしているブランドです。
―「身体にフィットする」という概念は分かるのですが、「心にフィットする」ということについて、詳しくお伺いできますか?
ファッションは結局、着ていて気持ち良いというよりも、一般的にはやはりかっこいいのかどうかが先に来るかと思うんですね。でも家で着るものは、気持ちよさが優先になる。アルファタウリが手掛けている服は、すべてかっこいいけれど、心地よいという特徴を持っています。
たとえばパッカブルのブレザーという商品があるのですが、ブレザーだとしわになるのが気になるかもしれません。しかしアルファタウリの商品はそれほど目立った強いしわにはならず、小さいポケットが付いていて、軽く畳んで裏返すとポーチになって収納できます。あとは大きいプリマロフト®️のジャケットのような服は、バッグにもなる。旅行に行った時に、スーツケースに大きなダウンを入れるのは難しいですよね。だからスーツケースの柄のところにかけられるようになっています。そういう機能性を持たせることによって、気持ち良さや着心地の良さを追求していきたいブランドです。
―ちなみにアルファタウリの世界的な認知度はどれくらいでしょうか?
ヨーロッパでは知られてきています。いわゆる路面店はオーストリアのみで、今秋にロンドンにフラッグシップストアを出す予定です。まさに大きな一歩を踏み出そうとしているところですね。
―日本におけるビジョンを教えてください。
日本は非常に重要なマーケットだと思っています。ただ、日本でファッションをビジネスとして売っていくのは、コロナ渦でもありますし、なかなか難しい状況です。その一方、このようなご時世でも、密にならないで出かけるためのアウトドアウエアは必要とされていたりします。つまりライフスタイルに添う部分をブランドとしてしっかり見せることが、非常に大事だと思います。あとは日本に合った特別な企画、カプセルコレクションのようなものも視野に入れてやっていくべきだと思っています。
―日本向けの企画というのは?
まだアイデアベースばかりですが、日本での素材や技術を使った別注企画を考えています。あとはテーラリングのように、「あなたのために作った、身体にフィットするメイドトゥーメジャーニット」といったものもできたら面白い。そういう可能性についてはいろいろ話していますね。
―アルファタウリと聞くとモータースポーツを連想しますが、日本においてモータースポーツとのかかわりは、どのようにとらえていらっしゃいますか?
F1のチーム名はScuderia Alpha Tauri(スクーデリア・アルファタウリ)という名前になっているので、今のお客様も、日本のeコマースに来ているお客様も、モータースポーツファンのかたが多いです。それくらいモータースポーツは非常に大事な存在であり、モータースポーツとファッションを上手に掛け合わせることができるブランドとして存在感を示さないといけないと思いますし、そのチャンスが非常にあると思っています。
スクーデリア・アルファタウリは、7年ぶりに誕生した日本人ドライバーの角田裕毅選手と契約しました。そういったニューヒーローも誕生しつつあるので、広く認知を得やすくなったと思います。
―アルファタウリと他のアパレルブランドは、どんなところが違うと思われますか?
まずブランドとして非常に大事なのは、やはり持っていてそのブランドがかっこいいかどうか、だと思うんです。ある程度ブランドは値が張るものですから、そのブランドの持っているストーリーなどが大事になってくると思いますし。アルファタウリに関しては、いわゆるイノベーションテクノロジーが非常に大事で、そのこだわりは絶対に捨てることはできません。
例えばF1はドライバーの腕ももちろんありますが、メカニックだったり、ピット作業が大きな要素でもあって。シートのポジションの位置もすべて勝敗に関わって、すべてミリ単位での調整がチームスポーツとしてうまくいったブランドが1位になります。
アルファタウリの服に関しても、突き詰めるというところは非常に大事で。モータースポーツからの流れでもある、「追求している姿勢」が服作りにしっかり役立っているところは、ブランドが持っているストーリーかなと思っています。
走りながら頭を整理する、ランニングは事前準備の重要な時間
―関谷さんのプライベートについてもお伺いします。ビジネスパーソンとして影響を受けたり、敬愛してる人は誰でしょうか?
ダンスの世界からサラリーマンになろうと思ったきっかけの1つは、パートナーの父、つまり義父の存在でした。学生の時、彼はメーカーの香港支社長でオフィスに遊びに行ったことがありますが、英語でビジネスをしていて、香港の人たちとバリバリわたりあっている姿がかっこいいな、と思って。これはサラリーマンも悪くないな、と思ったんです。
あとは現在パリに住んでいる、広告代理店の時の先輩です。非常に破天荒な代理店営業マンでしたが、アイデアはクリエイターにも負けないぐらいのものを持ってくる方でした。見ていてすごく面白いと思ったし、この世界で生きていくのだったら、アイデアこそが大事ということを実践している人だったので、一緒にいるだけでエキサイティングでしたね。
―もともとダンスを踊っていた関谷さんですが、現在はどのようにして体を鍛えていますか?
今はだいたい週5日、1回10kmくらい走っているのですが、それだけでは痩せていってしまうんです。だから少しジムで鍛え出したところ、長距離には向かないゴツ目の体になってきてしまって(笑)。瞬発力は強くなりました。
―今、熱中してることは何でしょうか?
家族で「いつか大型犬を飼いたいね」という話をしていたのですが、子どもが高校生になったことと、コロナ禍になって家で過ごす時間も長くなったので、最近、迎え入れることになりました。犬種はバーニーズ・マウンテン・ドッグ。もともとスイスの山岳地帯の使役犬なので力が強く、運動量もすごく必要です。朝1時間、夜2時間散歩しなくてはいけないので、時間が結構取られるんです。
―関谷さんがビジネスを成功させるために、習慣化していることを教えてください。
考える時間を作るのは非常に大事ですね。基本的なことですけれど、一つ一つのミーティングに対して十分な準備を行った方がいいと思っています。私は時差的にだいたい午後のミーティングで本国の人たちとミーティングを行うのですが、朝やランチタイムで走りながら「今日の話の時は、これとこれを準備しよう」と、走って言いたいことをまとめたりしています。もちろんランニング中に資料は作れないのですが、話し合いの中身は走りながら考える習慣になっています。
取材=キャベトンコ