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理工学部出身の技術者が広報のプロフェッショナルに!工業製品のトップを走るポルシェの底知れぬ魅力

理工学部出身の技術者が広報のプロフェッショナルに!工業製品のトップを走るポルシェの底知れぬ魅力

ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。今回、登場いただくのは、ポルシェジャパン株式会社 広報部 広報部長 黒岩真治氏。理工学部でエンジンの論文を書いていた黒岩氏だが、新卒で入社したメルセデス・ベンツ日本で広報という仕事がサイエンスの領域に近く、非常に興味深い世界であることを知り、以来、広報の道を歩み続けてきた。広報部門のあらゆる分野の仕事を経験し、2018年にはポルシェジャパンの広報部長に就任。現在は工業製品の最高峰と呼ばれる車の魅力を広める活動を行っている。そんな黒岩氏にこれまでのバラエティ豊かなキャリア、そしてポルシェの活動についてお話を伺った。

黒岩 真治さん/ポルシェジャパン株式会社 広報部 広報部長 
慶應義塾大学理工学部卒業。メルセデス・ベンツ日本株式会社に入社し、技術部に配属。1999年に社長室 企業広報に異動し、以来、広報の仕事一筋。日産自動車株式会社、株式会社カッシーナ・イクスシー、リーバイ・ストラウス ジャパン株式会社、フィアット グループ オート モービルズ ジャパン株式会社を経験した後、2018年に現在のポルシェジャパン株式会社に入社。

北川 加奈さん/エーバルーンコンサルティング株式会社 ヴァイスプレジデント
大学卒業後イギリスへ留学。帰国後は地元の静岡にて塾講師として勤務。2008年にウォールストリートアソシエイツ(現エンワールド)入社のため上京。2017年にAllegis Group Japanに入社、ASTON CARTER プリンシパルコンサルタントとして勤務。2021年1月にエーバルーンコンサルティング入社。

企業広報、IR、商品広報…つねに成長の機会を求め、広報のあらゆるジャンルに挑戦

― 黒岩さんは大学で理工学部 機械工学専攻だったそうですね。

そうです。卒業論文は船舶エンジンをテーマに書きました。当時は理系だと電機メーカーなどに勤めるのが一般的だったのですが、私は理想のライフスタイルとしてずっと都心で暮らし、都心の企業で国際的な仕事をしたいと考えていたのです。その結果、メルセデス・ベンツ日本に理系枠で入社することにしました。

― そこからどのようにして広報の仕事に出会ったのでしょうか?

各部の責任者による新入社員向け説明で「広報は会社で唯一、マスコミ対応の窓口です。マスコミは会社にとって情報を広める良いチャンスでもあるけれども、逆に悪い情報も拡散してしまうという、危機の存在でもあります。そのため、少数精鋭のプロフェッショナルである広報がマスコミ対応を行い、会社を代表して活動しています」という話を広報室長から聞きました。

それまで広告と広報の違いもまったく知らないレベルだったのですが、広報は会社の中でジャーナリズムとの境界線のような存在だと知ったのです。「会社のマスコミ対応は、きちんとした情報を、きちんとしたタイミングで出すこと。それは美しく、ある意味サイエンスの世界だな」と感じて、ずっと広報に注目していました。そして入社5年目に社内公募が出て、自ら手を挙げて異動したのです。

― 広報では、どんなお仕事をされましたか?

メルセデス・ベンツ日本では、企業広報を経験しました。1998年は「世紀の大合併」と呼ばれた、ドイツのダイムラー・ベンツ社とアメリカのクライスラー社との対等合併が行われて。日本でも99年の7月にダイムラークライスラー日本株式会社となりました。私はちょうど日本法人が合併するタイミングから関わり始め、そこから先は企業広報としての掘り下げをとことん行いました。

メルセデス・ベンツ、あるいは当時のダイムラークライスラーという企業をどう世間に伝えていくか、というのが主な仕事です。相手は新聞社や経済誌の記者といったビジネスメディアであり、そういったところに対してどういったジャーナリズムを通すか、というテーマがありました。

― その後、日産自動車へ転職されたそうですね。

はい。日産自動車では海外向けの国際広報を経験しました。これまで外資系企業で経験を積んできた、という自信があって、入社早々にさっそうとプレゼンテーションを行ったのですが、すぐに打ちのめされましたね。これほどまでに大きな日本の自動車メーカーで、自分の貢献を感じることは本当に微々たるものでした。そして自分の強みだと思っていたことも、それほど特別ではなかったと気づいたのです。一方で大企業の大組織を動かすためには、中の人間を巻き込みながら丁寧に進めなくてはいけないことを数々の失敗を通じて知りました。

― それから別の業界に転職されていらっしゃいますが、なぜ業界を変わられたのでしょうか?

35歳を目前に、一度自動車業界の外に出る必要があるな、と感じたからです。当時は”35歳転職限界説”といって、転職するなら35歳まで、と言われていたことも影響しました。

カッシーナ・イクスシーは憧れのハイブランドであり、日本ではブランドマネージメントが非常にうまくいっていて、いろいろなことを学べそうだ、と感じたんです。実際に入社してみて、美意識を大事にする、というのはどういったことなのかを体感し、非常に勉強になりました。

もともとベテラン広報担当の方がいらっしゃったので、私は社長の意向を聞いて社内広報を担当することになって。ただ途中で社長が代わられて、投資家向け広報(IR)がメインになりました。しかし自分の中でいろいろな施策にトライしてみて、社内広報を進めていったところ、最終的には全社投票による最優秀社員賞をいただいたのです。これまでの経験を生かせることができて、社員300人の前で泣くほど嬉しかったですね。

そしてさらに成長の機会を求めて、当時上場企業であったリーバイ・ストラウス ジャパンに転職し、広報・IRの責任者となりました。リーバイスでは人前に立つ機会を意識的に作っていこうと考え、イベントで司会をしたり、24時間ショッピングチャンネル「QVC」にも出演させていただきました。

「広報は裏方」という意見も多く耳にしますが、取材で記者に自社の魅力を伝える時は、私自身が媒体になって企業のことを伝えています。だから説得力も高めなければいけません。そういった意味で、生放送のショッピング番組への出演はプレッシャーマネジメントの勉強になり、イベントなど人前で話す経験に大いに役立ったと思います。

8年間、週2回ボイストレーニングに通っていたという黒岩氏。「有名人や企業の社長など、オーラの出ている人は何が違うのかをよく観察してみたところ、人前で立って話す機会が非常に多いんです。さらに声にも説得力がある。私もトレーニングのおかげで、滑舌や声の震えなど改善されて、司会やプレゼンテーションも怖くなくなりました」

― そこからなぜ、また車の業界に戻られたのでしょうか?

ちょうど私が入った頃に、イタリアのフィアットがアメリカのクライスラーと経営統合するという話があって。私の広報キャリアのスタートはクライスラー社との合併だったので、不思議な縁がありました。そしてやはり車に対する愛が残っていたことが大きいです。さらにこれまで私はいろいろな広報に携わってきましたが、最後のピースである「商品広報」の仕事をしたいと考えて、転職を決めました。

フィアットではアルファロメオのジュリエッタという車の発表が最初の仕事でした。発売前のジュリエッタQV(クアドリフォリオ ヴェルデ)のマニュアル車に乗った時に、自分の中で蘇る感情があったというか。車はやっぱりいいな、と改めて感じました。

実はずっと運転はしていなかったんです。車に対する愛を前面に出しすぎると、客観性がなくなるというか、特に企業広報のエリアではプロフェッショナリズムに徹することができないと感じていたからです。

ただこのあたりから、自ら車に乗らないと広報はできないな、と思い始めて。自分の運転技術も改めて磨く意味で、サーキットでトレーニングをしたり、プロダクトプレゼンテーションを行ったりしました。そして商品広報を経験することで、広報の全エリアを網羅して。それから2018年の4月にポルシェに転職しました。

ブランドの重みを感じつつ、オフィシャル情報をいかに魅力的に伝えていくか日々挑戦

― ポルシェに勤めて、今までとどのようなことが違いましたか?

ポルシェはラグジュアリーであり、プレミアムブランドなので、自分の発言の重さのようなものを、自らの立ち振る舞いも含めて、非常に感じる部分があります。

良かったと思うことは、今までの経験をふんだんに使える、というところでしょうか。一つ例を挙げると、2018年6月8日、ポルシェの生誕70周年にポルシェ初の電動自動車が「Taycan(タイカン)」という名前になると発表しました。これは単に1つのモデル名ではなくて、ポルシェが電動自動車を出すという、非常に大きな意味を持っていました。ポルシェは生粋のスポーツカーメーカーですが、スポーツカーにおいて、走る・曲がる・止まるは全ての規範であり、多くの人がポルシェに乗ることで、そもそも“自動車とは何か”ということを皆に知っていただく存在でもあると思うんです。

その企業が電動自動車を出すというのは、非常に大きな意味を持っていて。タイカンという車名を発表する歴史的なトピックについては、やはりどうやって関係者に伝えるかをきちんと考えなければいけないので、社内・社外広報とも、これまでの経験をフルに生かしました。

ステークホルダーへの伝え方については、まずは社員、そしてメディア、次に販売店、最後に競合他社広報といったようにステークホルダーごとに細かく伝える時間を1分刻みで分けていきました。そのくらい、しつこいほど気を遣わなければなりません。

ポルシェ初のフル電動スポーツカー「タイカン」ポルシェのDNAを受け継ぎ、新時代のドライビング体験を演出する

― 黒岩さんにとって、仕事をしていて忘れられない瞬間はどんな時でしょうか?

ポルシェの広報をしていて忘れられない瞬間は、2018年11月13日早朝の景色です。私は羽田空港に向かっていたのですが、首都高1号線で勝島を超えて、東京モノレールと並行して少しワインディングしてるあたりに朝日が照ってきて。自分が運転している真っ赤なポルシェ911の特徴的なボンネットを目にしながら、グワーッと感情の波がきました。

その時は世界中のポルシェファンが注目する発表前の次世代型911に関わる極秘のプロジェクトのため、ドイツに行く途中だったのですが、朝日の光を浴びた時に、これがポルシェの広報部長という仕事なんだな、と実感して。涙が出るくらい、感動しました。

― もともとキャリアのゴールをポルシェに、というのは、見据えていたのでしょうか?

最初からは見据えていなかったです。ただ自動車業界に携わったら、911という車はあまりにも別格なので、ポルシェというのは最終的な目標になりました。もっというと、ポルシェは価格的にもデザイン的にも、性能的にも、工業製品の頂点でもあるというか。だからポルシェの広報をゴールにすることは意味があったと思います。

― ポルシェを愛する人の特徴を教えていただけますか?

非常に多くのポルシェ愛にあふれる方がいらっしゃいますし、特に日本はポルシェ好きな方が多いので、どう考えても私はその方々にかなうわけがないと思うんです。だからそのプレッシャーにつぶされそうになるというか。それは他のブランドも同じなのですが、ただやはりメーカーの公式見解や最新情報を語る立場としては、背負っているものの大きさは感じながらも、ポルシェのオフィシャルな情報をどうやって魅力的に伝えていくか。またはポルシェに乗っていない・ご存じない方に正しい姿を知らせるということは、一つ大きな責任として両肩に感じるのかな、と思います。

だから自分でプロダクトに触れるという意味で毎日ポルシェに乗って、新しい広報車の慣らし運転を自ら行っています。

ポルシェは数メートル動かしただけで、本当にいい車だと分かります。車体の剛性感ももちろんそうですし、ステアリングを切った時の絶妙で滑らかなフィーリングから、たとえば剛性感溢れるペダルフィーリング、ブレーキのリニアな効き具合などですね。

スピードを追求して作ったものは、結局のところ車の原理原則を体現するというか。すべて動くものの規範になり、止まる技術も一流。そういった意味で、ポルシェが与える喜びといったものは、やはり別次元だと思います。これは実際に乗らなければ本当に分からないものです。でも乗っていない人にもポルシェの世界をどういうふうに伝えるかも、非常に重要だと思っています。

― 今後ポルシェが目指す世界観や戦略について、教えていただけますか?

昨年10月にポルシェのスポーツドライビングなどポルシェのすべての体験ができる施設、「ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京」を千葉県・木更津にオープンさせました。ポルシェが今、販売している最新の車にインストラクターが同乗し、体験をしていただくプログラムを提供していて、これはポルシェの方向性を一つ示していると思います。

私自身、このプロジェクトに携われたことは大きかったです。ここは43ヘクタールの巨大施設であり、建設前の敷地を見た時、畏れ多さを感じました。やはり地域コミュニティに対する責任もありますし。私たちのような、輸入車を仕入れて全国の販売店に卸売をするビジネスモデルでコミュニティを持つことはないのです。ところが実際に施設を保有すると、周囲の環境にも地域経済にも影響を与えます。

たとえばポルシェ・エクスペリエンスセンター東京の沿道である千葉県・木更津市道125号線の一部1kmを「ポルシェ通りPorsche Strasse」(ポルシェストラッセ)と名付けたり、あるいはふるさと納税を導入したり、ほかにもいろいろな地域連携活動も行っています。これは日本に根をはるための包括的なCSRのプログラム「Porsche. Dream Together」の重要な柱です。ゼロベースから立ち上げてイニシアティブをとってCSRを実行することは、私にとって本当に一皮むける体験でした。

ポルシェのスポーツドライビングおよびブランド体験ができる施設として、2021年10月にオープンしたPEC東京。周回コースに加え、ポルシェのスポーツカー性能を充分に引き出す多様なトラックコンテンツ(ダイナミックエリア、オフロード等)を備えている。併設される建物では専属インストラクターによるポルシェの運転理論や技術の本格的なレクチャープログラムを実施している

― 学生に対しての活動も行っていますよね。

それもPorsche. Dream Togetherの1つの柱です。日本の若者に夢を持ってもらい、実現するための一つの仕掛けとして、東京大学 先端科学技術研究センターとチームを組み、全国の中高生から10人のスカラーシップ生を選んで、体験型のプログラムを毎年行っています。

駄物は持たず、心を豊かにするものを厳選して持つミニマリストを実践

― 最後に黒岩さんご自身のことをお伺いしたいと思います。生活習慣が変化して、以前と比べて体重が10kg減ったそうですが、そういったことをやろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

私はミニマリストなんです。もともとは物質主義で、自分が得たモノで存在価値を図っていたのですが、おそらくカッシーナに勤めた時に意識が変わり、自分なりの美意識を磨いてきたつもりです。フィアットに勤めていた最後の頃は、物を減らすことをとことん突き詰めました。

結局、高価なモノをたくさん持っていても幸せになれないどころか、モノが多すぎると幸せは遠ざかっていく。たかがモノですけれど、そぎ落としていくと、考え方まで合理的に変わっていきます。おそらくポルシェでの仕事はミニマリスト視点で行っています。たとえば私のPCのデスクトップを見ていただければ分かりますが、一個もアイコンがありません。

― え、何もないのですか?!それはすごいですね。

ただこれも別に意識してそうしようとしているのではなくて、自然になっていきました。考え方として、無駄なことをしなくなっているんだと思います。そういう意味では、かつて毎日飲んでいたお酒もあえて一切飲まなくなりました。自分の欲望に対する認識は、モノが減ってくるときちんと見えてくるんです。だから余計なモノを食べなくなって、体にとって必要なものだけを摂取するようになります。

ちなみにミニマリストと言っても、駄物を持たないだけで、ラグジュアリーな良いものは持っています。物を無くすこと、捨てることが目的ではなくて、本当に大切なものを見極める自由が大切だと思うんです。だから愛するわが家にあるものは、美しくて役に立つもの、という基準があります。

ポルシェを持つこととミニマリストは、私の中では完全に一致しています。厳選された持ちものを大切にして感謝をすると、肯定的に幸せを感じられるのだ、と思います。

黒岩氏のあくなき挑戦はこれからも続いていく

取材:キャベトンコ
撮影:Takuma Funaba

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