有松絞りがドイツでブームに。suzusanが開く新しいラグジュアリーの扉
日本の小さな町、愛知県有松。その土地で作られる伝統工芸「有松鳴海絞り」。その絞りの技術を活かしたブランド、suzusanがある。ドイツで誕生した同ブランドのアイテムは現在パリの有名セレクトショップ「レクレルール」やミラノの「ビッフィ」にも置かれるなど、ドイツを始めとしたヨーロッパで人気に。ほぼ手作業で作られるそれは、唯一無二のデザインで独特の存在感を放ち、Dior、ヨウジヤマモトといった数々のブランドからのオファーでコラボレーションも実現。現在は日本を含めた世界29カ国で販売し、日本の文化を逆輸入していることで日本国内からも注目を集めているユニークなブランドである。なぜドイツで日本の伝統工芸「有松鳴海絞り」を採用したデザインで始めることになったのか、止めない挑戦とそれを突き動かす原動力になっているものは何か、suzusanの代表・村瀬弘行さんに詳しく伺った。
村瀬 弘行さん/suzusan クリエイティブディレクター
1982年名古屋市生まれ。2002年に渡欧、サリー美術大学(英)を経て、ドイツのデュッセルドルフ国立芸術アカデミー立体芸術及び建築学科卒。在学中の2008年にsuzusan e.K. (現suzusaan GmbH & CO.KG)を設立。デュッセルドルフと有松を拠点にオリジナルブランドsuzusan をスタートし、ファッションとインテリアにおけるデザインのディレクションを手がける。
HP:https://www.suzusan.com/ja/
Instagram:@suzusan_official
有松絞りの技術と知識を守り、ローカライズし誕生したsuzusan
ー suzusanは愛知県有松の「鈴三商店」からそのストーリーは始まり、その鈴三商店の5代目として生まれた村瀬さん。そもそも家業を継ぐ気は全く無かったとお聞きしました。ドイツ・デュッセルドルフでsuzusanが誕生したのはなぜでしょうか?
継ぐ予定は全くありませんでした。当時はアーティストを志望し日本の美大に進学しようとしていました。しかし不合格となったことをきっかけに、イギリスの美大に行くことを決め、その後ドイツのデュッセルドルフの学校に移りました。移った理由は、学費が免除されるからという友人の紹介での単純な理由です。そこでフラットシェアをしていて大学でビジネスを専攻していた現地のドイツ人の友人との出会いが転機になりました。たまたま家に置いてあった有松鳴海絞りを彼が見つけ、”これは何なんだ”、”なんて素晴らしいんだ”と強い関心を寄せ僕に質問攻めをしました。その反応から、幼い時から当たり前に身の回りにあり気づかなかったけど、実はこれはとても尊いものなのではないのかと思うようになりました。そこから、その彼とビジネスとしてsuzusanを始めることになりました
ー 海外の方に日本の伝統工芸を広めようとすると、浴衣など日本の文化を象徴するようなアイテムで表現されるのがよくあるかと思います。一方、suzusanにはそういったアイテムは見受けられません。どのようなお考えで制作しているのでしょうか?
彼らが興味を持っていたのはその独特な絞りの技術。日本では見向きもされず、職人も200人を切る頃でもうこの伝統工芸も無くなると思っていた僕にとっては衝撃でした。
ただその技術をすごいと思ってもらって終わりではなく、ヨーロッパに住む彼らに実際に手に取り使ってもらい、好きになってもらうことまでがゴールです。だから守りたい技術はそのままに、手段として素材と用途を変えることで彼らの生活に合うものを作ろうと考えました。浴衣を普段着ない彼らに、浴衣を買ってもらうことは難しいです。最初に制作したのは、ストールです
技術と知識、経験とセンスに情熱を掛け合わせる
ー パリの有名セレクトショップ「レクレルール」にもsuzusanのアイテムは並びます。日本の伝統工芸品がこのようなショップに置かれるようになるとは驚きです。
ブランドを初めて少し経った2010年頃から置いてもらうようになりました。2008年にsuzusanを立ち上げアイテムができたばかりの頃、アポなしで様々なセレクトショップを周り、バイヤーの方に有松絞りのことやアイテムの説明をし、お店に置いてもらうようにお願いするということをしていました。
レクレルールも同様です。アポ無しで訪問したその日にたまたまバイヤーの方がいらっしゃって、見てもらうことができその場でオーダーをもらいました。彼らの素晴らしいところは有名無名やトレンドではなく、物の本質の良し悪しで判断ができ、ジャッジがとても早いのです。その場でオーダーをもらった時には驚きましたが、その後毎シーズン色々とアドバイスや多くのフィードバックをいただきながら今では長い付き合いになりましたが、一緒にブランドを育ててもらっています。
守らなければならない、有松にある伝統技術と知識は何十年と長年やってきた職人ほど僕にはありません。だけど、経験とセンスは磨ける。僕がそれを補って掛け合わせることでsuzusanがあると思っています。でも、何よりもそれを実行する情熱が必要です。情熱があれば、たとえバイヤーの方に嫌な顔をされたとしても、一歩また踏み込める。情熱を持って伝えれば、相手にも伝わると信じています
有松絞りを知る国内外の方を増やし、有松の地に訪れて欲しい
ー アイテム数も増え、ラグジュアリーブランドとのコラボレーションも多数控えているような状況ですが、今後の目標は何でしょうか?
ブランドとして立ち上げ15年。手段やプロダクトは多様化していますが、やはり手段にこだわりはありません。ラグジュアリーブランドとのコラボレーションも、この絞りの技術にユニークさと価値を見出してもらっているからだと思います。
多くの人に知ってもらうこと、使ってもらうことはもちろんですが、やはり最後には、実際に有松の地に訪れる人を増やしたいという目標があります。だから作るものは家具でもいいし、ホテルだっていいはず。そこで実際に現地で見て触れることで、絞りの技術を学んでみたいと思うような方がいても嬉しい。suzusanを通してやってみたいことが尽きないです。
海外で日本の文化である有松絞りを広め、今日の人気となるまでに15年以上も費やし、側からみれば泥臭い努力の連続であるが、それを「運の巡り合わせが続いて」「たまたま」と屈託のない笑顔で楽しそうに語る村瀬さんが印象的であった。
人は敷かれたレールがあったり資格を持っていたり、技術や知識があると、それに頼って生きるようになるのかもしれない。もし本当にやりたいことが見つかった時に、それを手放すことができるのか。
村瀬さんは、「技術」と「知識」があったから(村瀬さんの場合は有松絞りのことを指す)、そこに自分がこれまでに磨いた「経験」と「センス」を足し、さらに「情熱」を捧げることができ、本当にやりたいことができていると言う。
安全に生きるのではなく、やりたいことで面白く生きたいのであれば、自分の今の状況を守らず時には何かを手放し、挑戦してみたい。そんな勇気が出てくるメッセージであった。
suzusanはこれからも様々な新しい扉を開き続けていく。
文・写真:尾崎佳苗