「洋服づくりは人づくりの道」辻洋装店 辻吉樹氏
辻洋装店 専務取締役 辻吉樹さん
今回は、1947年に東京・中野で創業した縫製工場「辻洋装店」の専務取締役、辻吉樹さんにインタビュー。認知度を上げるために始めた工場見学やEコマース発展による取引先の変化、現在手掛けている医療用ガウンのこと、また創業時から掲げている経営理念と人材育成に対する想いについて伺いました。
服に漂う上質な雰囲気は、積み重ねた技術があってこそ
−辻洋装店は創業70年以上の歴史がありますよね。
弊社は、戦時中の疎開先であった中野で祖母が築いた縫製工場です。1947年に創業するまでは穀物問屋でしたが、8代目から縫製工場として稼働しており、私は辻家の10代目。縫製工場になってからでは3代目になります。
−縫製工場では、主に何を得意とされていますか?
私たちは、婦人服の布帛を得意としており、ジャケットやコートなどの重衣料を主に、市場で10万円以上の価格で販売されているプレタ(高級既製服)をお受けしています。
製造業には、仕入れたものを加工して納品するといった一連の流れがありますが、縫製工場はそれらとは異なります。特にアパレルでは、仕入れはなく生地や色はすべて限定されており、仕様書も完璧なものがきますので、オーダーいただいた内容を的確に作る委託加工業のような存在。一見どこでも同じものが作れるのではないかと思われることが多いですが、デザインは同じでも縫い代の太さやカットの仕方、アイロンの工程といった小さい技術の積み重ねによって、仕上がった洋服の雰囲気は大きく変わります。お店先の内装や接客でそれなりに見せようとしても、洋服自体が品格を醸し出さないと10万円以上の商品として市場で認められないと思っています。
−現在のお取引先は何社ほどですか?
7、8社です。メインのお取引先は、日本でも最高品質で検品のハードルも非常に高い「jun ashida(ジュンアシダ)」さんで約30年来のお付き合いになります。
−東京に縫製工場はどのくらいあるのでしょうか?
私たちが加盟している東京婦人子供服縫製工業組合によると、1960~70年代には従業員が100から200人規模の工場が都内にもあり、全部で800社近くあったそうです。今はどんどん減ってしまい、都内で50社を切っていると言われています。
−東京の都心に縫製工場があるということは正直驚きました。
そうですよね。私たちも営業の一環で「東京で縫製工場をやっています」と業界の方々に挨拶をさせていただくのですが、その度に「またまたご冗談を!」とか「東京に縫製工場ってあるんですか?」と信じて貰えないことも。実際に60台のミシンを並べ作業している工場を見るなり腰を抜かしていましたよ(笑)。将来お客様になる可能性を秘めた方々が我々の存在を知らないという現実を目の当たりにしたことがきっかけで、5年ほど前から工場見学を始めました。それまで工場見学をクローズしていましたが、国内の縫製工場も1990年代のバブル期から8割減。すでに同業者もほとんどいないし、もういいじゃないかと。
−工場見学はHP等で募集をされているのですか?
まずは探して貰いやすいようにHPを作りました。また、学校の求人申し込みのついでにカリキュラムに困っている先生方に工場見学をお勧めしたことで、授業の一環としていらしていただく機会も増えた。今では認知度も上がり、多い時で年間500名の申し込みが来ますし、実際に工場見学に来た方から洋服を縫って欲しいという依頼もあります。ただ本業に支障をきたさないよう、曜日を限定するなどして対応をしています。
(※2020年8月現在は感染症対策の為工場見学を中止しています)
新しい概念にチャレンジし続けること
−コロナ前とコロナ後の問題や影響について教えてください。
日本では未だにプロパーで半分を売り、残った商品はセールでディスカウント。その全部が売れなくても成り立つビジネスモデルが横行しています。残った洋服の処理については前々から問題になっていますが、コロナ後はさらに加速すると考えます。
最近新規のお客様も増えているのですが、これまでの物作りに対する既成概念を知らない方が多くなっていると感じています。新しい依頼では、原価率を上げて上代を低く設定、受注してから売るというもの。弊社は古い会社で頭が固いところがありますので、最初は理解するのに時間がかかりましたね。
−まさにD to C、Eコマースが増えている表れですね。
随分様変わりしたなと感じます。実際購入されるお客様は、上代10万円と変わらない技術を施した服を安価で買える。ECでは、お店の家賃や経費がかからない分、その費用を素材や工賃に回せますから良いことですよね。
−現在医療用ガウンを手掛けられていますが、きっかけを教えてください。
加盟している日本アパレルソーイング工業組合連合会が厚生労働省とやりとりをされて、弊社にも医療用ガウンの生産をするか意思確認が来ました。人命救助、社会貢献ですから断るという選択肢はありません。しかし医療用ガウンは、一枚でも縫うのが遅れると医療従事者が命を落とすこともあるので、とにかく丁寧に縫うことよりもスピード重視。プレタの作り方は全く違うので、これまでのようにゆっくり丁寧に縫っている時間はなかったですね。
−社内の何割が医療ガウン生産に当たられたのですか?
本業も守らなければいけないので、医療用ガウンを作るチームは多くても半分に留めました。自粛期間も相まって、素材を仕入れるのも加工するのも業者が少なく、また普段とは勝手が違いますからトラブルも多かったですね。ただコロナショックで本業が半分以上止まっていたので、とてもありがたかったです。医療用ガウンの生産は、今後10月まで続いていく予定です。
服づくりを通した前向きな人づくり
−御社は新卒採用をずっと続けられていると伺いました。
40年以上続いていて、今年は6名が入社しました。弊社の従業員は平均して45人ほど。地方の縫製工場に比べると少ないですが、都内では多いと言われています。新卒採用を続けることを文化としているわけではないのですが、ある程度の人数がいないと生産性の面でも工場は成立しません。地方の工場では平均年齢が高いので、技術継承という意味でも若い人が毎年入ってくることは良いことだと思います。
−どういう人材が求められますか?
物事を主体的に捉えられる人。道徳的な思いやりについては会社の中でも話しますが、私たちは「洋服づくりは人づくりの道」を経営理念に掲げています。服作りを通して人格を上げ、幸せになってほしいという気持ちで事業をやっているので、常に主体的に考えられるきっかけを与えたい。面倒だと思いながら仕事をするよりも、縫い上げた服を最初に着るお客様はどんな顔をするかな?と考えたり、今日は昨日よりも良い縫い方をしたい!と前向きに働いた方が幸せじゃないですか。
−コロナ後、業界の方向性はどう変化していくと思いますか?
どうなっていくのかは正直わかりませんが、これまでの概念は大きく変わっていくと感じています。若い方の話しに耳を傾けながら、新しいチャレンジをしていくことが重要なのでは。結果的に継続することが目的になってはいけないですが、時代に必要とされる何かは必要。私たちは小さい縫製工場なので、安心して技術を買っていただきたいと思っています。先代は人材育成を大事にしてきましたから、例え育てた人材が会社を辞めてしまっても業界にとってプラスになればいいかなと。そういう想いでこれからも取り組んでいきたいです。
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既成概念に捉われず、新しいチャレンジを続ける辻洋装店、辻吉樹さんの話しから感じるのは、服づくりを通したあらゆる人への思いやりの心。創業時から変わらない真摯な取り組みこそ、長きに渡り継続できる秘訣なのかもしれません。