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「日本の伝統芸能が息づく佐渡から新たな発信を行いたい」太鼓芸能集団「鼓童」と次世代型ファッションブランド「REDLIST」が創る新たなコラボの形

「日本の伝統芸能が息づく佐渡から新たな発信を行いたい」太鼓芸能集団「鼓童」と次世代型ファッションブランド「REDLIST」が創る新たなコラボの形

株式会社フリックフィットが運営する次世代型ファッションブランド「REDLIST(レッドリスト)」と佐渡を拠点に活動をする太鼓芸能集団「鼓童」。2023年8月18日~20日に佐渡で開催された国際芸術祭「アース・セレブレーション」の会期中にはともにビーチクリーン活動を行なったり、佐渡の縫製工場で作られた<Made in Sado>のコラボ法被(はっぴ)を製作するなど、気鋭のファッションブランド×世界的な太鼓芸能集団の新しいコラボレーションが誕生している。今回、出身地が佐渡島であるフリックフィット代表の廣橋氏と、鼓童で10年活動を続けている北林氏との対談を佐渡島で行い、お二人の佐渡島に対する想いや考え、ルーツ、今後の展望についてお伺いした。

廣橋 博仁さん/株式会社フリックフィット 代表取締役(写真:左)
佐渡島生まれ。いくつかのデジタル事業会社を経て3Dプリンティング事業のアイジェットへ経営参画。その後、人体計測データの到来を予想しフリックフィット社を創業。現在は足データを活用してスニーカーブランド、レッドリストを開始した。

北林 玲央さん/鼓童(写真:右)
神奈川県出身。小学4年生の時に太鼓を始める。2013年研修所へ入所。2016年より正式メンバー。舞台では主に太鼓を担当。『鼓(つづみ)』公演の「入破(じゅは)」と「族」のソリストを、米山水木とのダブルキャストで担当。さらに『童(わらべ)』公演では、担ぎ桶胴太鼓のソロ曲を演奏。大太鼓の裏打ちから担ぎ桶太鼓、桶胴太鼓セットまでしなやかに打ちこなす。芯が強く純粋。弾けるような笑顔が魅力の太鼓打ち。

佐渡が共通点、「鼓童」と「REDLIST」それぞれの歴史と活動

― まず「鼓童」について、どのようなグループなのか教えていただけますか?

北林 玲央さん(以下、敬称略):鼓童は佐渡島を拠点としてグローバルに公演活動を展開する太鼓芸能集団です。創立42年、現在メンバーは36名が在籍しています。これまでに世界各地で約7,000回の公演を行ってきました。鼓童の前身は鬼太鼓座(おんでこざ)というグループなのですが、そこから分岐して鼓童を立ち上げた創設メンバーは、今も70代の最年長で在籍しています。

― 北林さんが鼓童に入ったきっかけは何だったのでしょうか?

北林:私は10歳の頃に地元・神奈川のお祭りで太鼓のグループに入ったのですが、そのグループを作った人が10歳くらい年上で、鼓童に入団したんです。それで鼓童を知り、鼓童の公演を見る機会が学生のころにあって、アース・セレブレーションにも観客として来たことがありました。私は鼓童の舞台の中でアース・セレブレーションが大好きで、城山公園のステージに立っている鼓童を見て、「自分もあそこに立ちたい」と思ったのが、鼓童のプレイヤーになりたいと思ったきっかけでした。高校卒業後に佐渡島に来て、鼓童のメンバーとなり今年10年目を迎えます。

― 今年36周年を迎えた「アース・セレブレーション」。国際芸術祭として海外の方からも人気を誇るイベントになっていますね。

北林:アース・セレブレーションは私たちが演奏しにいった世界各地で出会ったアーティストを自分たちの本拠地にお招きして、この佐渡という土地で一緒に音を出して演奏したい、ということから始まりました。だから海外からたくさんのお客様がいらっしゃいます。

それから私たちは小木(鼓童は佐渡南西部に位置する小木半島の中央部「鼓童村」を拠点に活動している)の皆さんに大変お世話になっているので、感謝の気持をこめてお祭りをやろうという、地域の活性のためという意味もあります。

REDLIST特製の法被(はっぴ)を着用した鼓童・北林氏の熱のこもったパフォーマンスは圧巻。

― 今回、鼓童やアース・セレブレーションとコラボをした「REDLIST」ですが、代表の廣橋さんは佐渡島出身だそうですね。改めて次世代型ファッションブランド「REDLIST」について教えていただけますか?

廣橋 博仁さん(以下、敬称略):REDLISTは一言でいうと、次世代の環境を考えるブランドです。今いる人たちは過去の人たちによって支えられて今があります。だからこそ今生きている私たち世代が、まだ見ぬ次の世代に向けて何かできることはないかと思い、2年前にファッションという1つのツールを使ってブランド化しようと思いました。

REDLISTという名前は英語で「絶滅危惧種の掲載されたリスト」を意味します。今、世界では約4万数千種類の絶滅危惧種がいるとされています。そして動物に限らず私たちを取り巻く地球環境も危機にさらされているし、人間自体もいつREDLISTになるのか分かりません。次の世代に向けてできることに取り組んでいこう、と環境に気づくブランドにしたいという思いで名付けました。

売上の一部は環境保全団体に寄付していく一方で、私たち自身もクリーン活動を行い、その場に鼓童の皆さんやインフルエンサーの方々など発信力のある方々に参加していただいています。ファッションやエンターテインメントの力を使って、さらに活動を広げていきたいと考えています。

― 絶滅危惧種をモチーフにプレミアムスニーカーを展開している「REDLIST」。象徴するモデルとして「朱鷺(トキ)」がありますが、やはり廣橋さんのルーツである佐渡島にインスピレーションを受けていますか?

廣橋:そうですね。朱鷺はその昔、この佐渡島で年中飛んでいたようです。そこから時が経ち、朱鷺も繊細な動物ですから、だんだん減ってきて、日本に何羽しかいないような時期がありました。野生絶滅の危機を経験した朱鷺は、現在は保護施設である朱鷺センターの人たちの丁寧な保護活動をもとにしながら、行政、地元の人たちの努力も含めて、再び数が増えていきました。保護するだけでなく、復活しているんです。復活した朱鷺をみて感銘を受けました。もちろん自分のルーツですし、羽ばたくという観点からもぴったりだと思い、朱鷺をモデルとしたスニーカーを開発しました。

一度絶滅の危機に瀕した朱鷺。今では少しずつ復活して佐渡島の田んぼでも見かけるようになってきた。

佐渡島は日本の縮図

― 佐渡島は伝統文化が根付いていますが、どのような特徴があげられますか?

北林:私はやはり鬼太鼓(五穀豊穣祈願や厄払いを目的に、佐渡島にて行われている伝統芸能)です。佐渡島の代表的な伝統芸能はたくさんありますが、その中でも鬼太鼓は地区でいうと120種類くらい鬼太鼓の種類があるんです。

廣橋:佐渡だけで、そんなにたくさんあるんですか?

北林:今は人と集落が少なくなってきて、同時に鬼太鼓もなくなってしまうこともあるようなのですが、だいたい隣の町に行けば違う鬼太鼓があります。

廣橋:違う鬼太鼓とは、いったい何が違うんですか?演奏方法でしょうか?

北林:演奏のリズムもちょっと変わっていたりとか。あと鬼太鼓のあり方もいろいろあって。型もあるんですよ。佐渡の南東部あたりは前浜型。佐渡真ん中あたりにいくと潟上型とか、相川に行くと豆まき型などがあります。

― ちなみに鼓童に参加するためには、何をすればよいのでしょうか?

北林:鼓童のメンバーになるためには、研修所で2年間修業する必要があります。佐渡市柿野浦地区にある鼓童文化財団研修所は、廃校となった中学校を一部改造した建物で、舞台を目指す研修生は、そこで2年間共同生活をしながら、身体作りや、太鼓、笛、唄、茶道、踊りなどの稽古に打ち込みます。その集落にも鬼太鼓があって、毎年4月15日は祭りの日なんですけれど、そこに向けて一緒に集落の方と鬼太鼓を稽古して、鬼を打たせていただくんですね。そして祭りの日には「門付け」といって、その地区の家を一日中一軒一軒回って、鬼太鼓を1日中披露するんです。

廣橋:それは佐渡全体ですか?知らなかったです。

北林:私は神奈川出身でそういう経験がなかったので、非常に新鮮でした。鬼太鼓も120種類くらいあるのですが、皆さん自分たちの地区の鬼太鼓に対してすごくプライドがあって。どこに行っても「私たちの所の鬼が一番だ」とおっしゃるんですよ。

そしてこういった佐渡の芸能は、日本の伝統文化の縮図と言われていたりするんです。

廣橋:そうそう、それは言われますね。

北林:私が住んでいる集落は人が少なくなり、鬼太鼓はなくなってしまったのですが、かつて能がさかんな地域だったんです。だから集落のおばあちゃんたちは、みんな謡(うたい)が歌えます。私は今、古民家を買い取って住んでいますが、前に住んでいた人がそのまま残していった謡本がたくさん出てきました。

廣橋:確かに私の祖父も能をやっていたし、父は千葉にいるけれど、謡を一生懸命練習しています。そういう文化に触れているからなんですよね。佐渡は古くから流刑地と定められ、貴族や知識人、そしてさまざまな地域から集まった人々が各地の文化を島にもたらし、それで「日本の縮図」と言われています。私も実は先祖が公家で島流しになったようで、REDLISTを始めたおかげで、自分のルーツも深く知ることができました。

昔ながらの伝統文化が根付く佐渡島。それに魅せられた2人の活動の原点にもなっている

北林氏がゲストで登場、「REDLIST IMPACTS in SADO」の活動で感じたこと

― REDLISTと鼓童は「アース・セレブレーション」の会期中にREDLIST IMPACTS(レッドリスト インパクト)としてビーチクリーン活動を一緒に行いましたね。どのようなきっかけでご一緒することになったのでしょうか?

※REDLIST IMPACTS:絶滅危惧種が生息する環境保護を目的に、REDLISTに共感するメンバーが実際に行うクリーン活動の総称。製品の売上の一部も寄付として活用されている。

廣橋:REDLIST IMPACTSは昨年12月に初めて佐渡島にてビーチクリーン活動を行いました。その時に紹介者の方を通じて鼓童の皆さんとお知り合いになり、お互いの活動を盛り上げるためにできることを行いましょうと意気投合。それで今回の活動に鼓童の北林さんにご協力いただくことになりました。

― 北林さんはREDLIST IMPACTS(ビーチクリーン活動)に参加されていかがでしたか?

北林:最初はきれいにしようといった気持ちで参加したんですけど、それよりもそこに集まること自体のその気持ちをすごく大事にされているということに触れられて、非常に良い体験だったと思いました。今後もっと大きな規模で行って、環境を考えるきっかけになればいいなと思っています。

廣橋:私も全く一緒だと思います。いろいろとできることからやっていくと気づくこともあると思うので。ゴミを拾っているといろいろなことが気になってくるんですよ。今朝もゴミを拾っていたのですが、木の板があったんです。そうしたら参加した人から「あれはゴミですか?」と聞かれたんです。私は別にゴミの判別役ではないのですが、「ゴミです」と答えたのですが、それから“ゴミとは何だ?”と考えたんです。

人間が何か手を加えたものは、どうしてもゴミになってしまう。一方で手を加えなくて自然に流木になったものは、ゴミではないというのが定義になるんだろうなと思って。人工物がゴミになるので、自分たちで出したものは、自分たちでどうにかしなければいけないと改めて思いました。

― ちなみに廣橋さんがREDLIST IMPACTSの活動を始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

廣橋:環境保護において身の回りの「できることから取り組もう」という想いがきっかけです。でも自分1人だけでやろうと思ってもなかなかできない。だからこのような想いに共感してくれる人を集めて行動に移せば、大きなこと(インパクトがあること)ができると思ったのです。現状REDLIST IMPACTSはまだまだ小さい規模ですが、もっと大きな規模で環境保護活動に行えたらと考えています。

そこには、もしかしたら多少のインセンティブとかも必要なのかもしれないし、そういうことを考える人たちが少しでもビジネスサイドからでも出てくるといい、と思うんです。今はどうしてもボランティアに近い形になるので、どうしてもエネルギー量が少ない。それを否定するつもりはありませんが、もっと別な観点を加えていくことで、このコミュニティが広がったり盛り上がったりするのであれば、それに越したことはないと思っています。

佐渡島・素浜海岸にてREDLIST IMPACTS(ビーチクリーン活動)を行う様子。

お互いを高め合うためのコラボレーションを考えていきたい

― 今後、鼓童とREDLISTではどのようなコラボレーションを考えておりますか?

廣橋:鼓童の皆さんは常に公演活動で日本をはじめ世界を周っており、とても忙しくしていると聞いています。そこで私たちREDLISTがお手伝いできることはないのか、かつ両社の価値が高まるようなことで接点を作れたらと思っています。

北林:私たちとしても固定概念に囚われず、さまざまな形でコラボレーションができればと考えています。私自身、鼓童で活動をして10年目を迎えるのですが、これまでグループに残るため、活躍していくために必死に頑張って来ました。ただ、これからはひとりのプレイヤーとしてもう少し自立できるようになりたいと思っています。自分が鼓童の一員として、一人のプレイヤーとして他の分野でも活動ができるとさらに幅がひろがるのではないかと考えています。

― REDLISTとしての今後の目標をお伺いできますか?

廣橋:立ち上げたばかりのブランドで、少しずつ丁寧に積み上げていっている状況です。製品観点ではクオリティを上げていくことや環境負荷を抑えた素材を靴やアパレルに取り入れたりしたいと考えています。

もう一方で、このREDLIST IMPACTSでは単純に自分たちがクリーン活動を行うだけでなくて、商品売上の一部をこの活動に還元するような仕組みをとっています。ビジネスとして規模を大きくすることと、地域環境・社会環境をよくしていくという両面で今後も活動していきたいです。

また、佐渡島での活動も大切にしたいと思っているので、今後も鼓童やアース・セレブレーションとご一緒できる機会を楽しみにしています。

文:キャベトンコ

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