アスリートの悩ましいキャリア形成に、三菱総研が光を当てる。企業とのマッチング促進のカギは、“強み”の可視化
オリンピックをはじめ、華やかな舞台で活躍するアスリート達。しかし競技に集中するために必要な支援を受けられるのは限られた選手のみで、多くのアスリートはアルバイトや仕事と両立しながら競技を続けている。また引退後についても、相談先の少なさなどからセカンドキャリアのイメージを持ちにくく、悩むことが多い。株式会社三菱総合研究所はこの課題に対し、アスリートと企業をマッチングさせる「アスリートFLAP支援サービス」を2022年より開始した。労働市場における人材不足の解消や競技人口の増加にもつながるこの取り組みについて、人材・キャリア事業本部新事業推進グループ 研究員の小林学人さんにお話を伺った。
小林学人さん/株式会社三菱総合研究所 人材・キャリア事業本部 新事業推進グループ 研究員
新卒で大手人材総合サービス企業に入社。人材紹介、人事労務のコンサルティングサービス営業、マーケティング等に約十年間携わる。海外支社にて企業側・求職者側どちらの支援についても現場からマネジメントまでを経験。2022年、株式会社三菱総合研究所による「アスリートが現役・引退後に社会で輝ける場を作る」という新たな取り組みに惹かれ、立ち上げに携わるべく株式会社三菱総合研究所に入社。
アスリートが社会と接点を持つ機会を創出する
ー まずは三菱総合研究所(以下、三菱総研)について教えてください。
三菱総研は、主に官公庁や民間企業に向けた調査研究やコンサルティングサービスを提供している企業です。創業50周年を機に経営理念を刷新し、社会課題解決を企業のミッションにしました。私が所属する人材・キャリア事業本部は、人や働き方をテーマとして扱っています。
ー 小林さんが担当されている「アスリートFLAP支援サービス」とは、どのようなものですか。
現役あるいは引退したアスリートと人材を求める企業・自治体を、プラットフォームでマッチングさせるサービスです。アスリートが社会と接点を持つ機会を創出し、多様なキャリアの選択肢を増やすことをコンセプトとしています。
ー なぜ、アスリートのセカンドキャリアに着目されたのでしょうか。
弊社は東京オリンピック・パラリンピックの開催の決定に伴い、未来のレガシーを考えるレガシー共創協議会を立ち上げました。その議論の中で、大会までは潤沢な支援を受けていたアスリートが、大会が終わった途端に支援が途絶えてしまい競技を継続できなくなってしまうこと、それどころか生活に困窮してしまうという課題が明らかになったのです。
アスリートの引退後のキャリアと言えば、解説者などをイメージする方も多いでしょう。しかし、トップオブトップ以外の層の選手は引退後はもちろん、現役時代においても競技だけでは生活ができない方が多いのが現状です。アルバイトをしている方、昼間は働き、夜に練習されている方もいらっしゃいます。また競技に専念できていたとしても、怪我などにより、思いがけないタイミングで引退せざるを得なくなることもあります。
ー アスリートのキャリアに関する課題を解決するのが「アスリートFLAP支援サービス」なのですね。
はい。事業名にもある「FLAP」という言葉は、三菱総研の造語です。自立的なキャリアを実現するために重要となる一連の行動サイクルを「知る(Find)」「学ぶ(Learn)」「行動する(Act)」「活躍する(Perform)」と定義し、頭文字を取ってFLAPサイクルと呼んでいます。
アスリートの悩みのひとつに「競技で培った強みを言語化する方法や、その強みを社会で活かす方法がわからない」というものがあります。しかし、アスリートが競技の上で日々行っている「自分を知り、強みの伸ばし方や弱みの克服の仕方を学び、練習で実践し、試合で活躍する」ことは、実はFLAPサイクルそのものです。FLAPサイクルを競技を通じて経験していることは、ビジネス等の競技以外のキャリアでも活かすことができる強みと考えます。
アスリートと企業、双方に寄り添ったサービス展開
ー 具体的にはどのようなサービスがあるのでしょうか。
メインとなるのが「athlete.in(アスリート・イン)」という、招待制かつ承認制のアスリート専用のポータルサイトです。登録無料で、現在600人を超える方にご登録いただいています。内訳は6割が現役の方、4割が引退された方です。競技の種類を超えた交流や、引退された方と現役の方との関わり、賛助企業とのつながり作りに活用いただけます。月に一度イベントを行い、リアルで会っていただく場も設けています。
「athlete.in」では職業紹介事業者と提携し、アスリートの力を必要としている企業の求人をスクリーニングした状態で載せています。また、いわゆる人材紹介だけではなく、インターンやアルバイト、業務委託として単発の仕事なども用意していますので、現役選手の方も隙間時間を活用して挑戦していただくことが可能です。このように競技以外のキャリアを経験するハードルを下げることで、社会と接点を持っていただける仕組みを構築しています。
さらに、自社で開発した自己分析ツールである「AIメンター」も無料で提供しています。このツールはAIチャットボットとの会話から自分史を作成し、自分史を深掘りすることにより強みを診断するツールです。FLAPで言うところの「知る(Find)」を考えるきっかけとしてご活用いただいています。
ー 企業の立場から考えても、能力が未知数なアスリートをいきなり採用することはハードルがありそうです。
おっしゃる通り、企業にとっても、今まで組織にいなかった人材をどのように迎え入れるかは難しい問題です。場合によっては、30歳でビジネス経験のない方をどのような処遇で迎え入れるのかというような、制度や環境面の整備も必要になってきます。そのサポートも含めて私たちが成功事例を積み重ねることにより、アスリートにとっても、受け入れ側の企業・自治体にとっても、ミスマッチを解消していけると考えています。
そのため、企業・自治体に向けて「アスリートサポートラボ」というコミュニティを運営しています。これは本事業に賛同してくださっている企業・自治体を組織化し、企業からは賛助会費をいただいて運営しているもので、現在は50団体が参画しています。現段階ではアスリートの支援に関心のある企業・自治体や、アスリートの潜在的な能力、競技で獲得した強みに価値を感じておられる企業・自治体を中心に参画いただいている状況です。
強みの可視化により、アスリートの輝くキャリアを実現
ー 今までのマッチングの事例をお伺いできますか。
例えば、現役サッカー選手が広告代理店に採用された事例があります。これは、昼間はフルタイムで働き、夜は練習、週末には試合に出ることを受け入れてくださる企業とのマッチングでした。残業があると競技との両立が難しいので、現役の方々の多くは、競技と仕事を両立できるデュアルキャリアが可能な仕事を探すケースが圧倒的に多いですね。
今はまだアスリートにポテンシャルを感じている経営者や人事の方がいる企業とのマッチングが主であることが現状です。しかしゆくゆくは、一般ビジネスパーソンとは違うキャリアを歩んだことで獲得した“アスリートの強み”が、データとして広く採用側に示せればと考えております。そうすればアスリートに代表されるような一般とは異なるキャリアを歩んできた方々が労働市場の成長領域へ参画する障壁が低くなり、さまざまな業種に広がって活躍していただけると思っています。他の企業・団体とも連携しながら、この事業を面で進めていきたいです。
ー コロナ以降、リテール業界も活況になってきています。水戸ホーリーホック(Jリーグ)の現役選手がインターンとして表参道のブティックで働いている事例も。選択肢が広がることは、人材不足の労働市場の解決にも繋がるのではないでしょうか。
弊社では、将来の職業別の人材需給の試算を行っていて、その結果、2030〜2040年にかけて、職業別に人材の需給の差が顕著になってくるという結果が得られています。特に創造的・分析的なタスクをこなすいわゆる専門職のような仕事は顕著に人手不足になっていくでしょう。アスリートがリスキリングなどを行うことで、これから人材が不足していく職業に挑戦できることも充分にあり得ると思っています。
具体例として、今後人手不足が顕著となるであろう職種のひとつに、ITエンジニア職があります。実は意外にも、アスリートの方を求めるIT企業は非常に多いです。「目標を設定し、逆算して練習メニューを組み立て、コツコツ目標に向かって練習メニューをこなしていく」という行動パターンが、ITエンジニアの行動様式と深いところで共通していると考える企業が多いようです。
ー 最後に今後の展望と、小林さんの想いをお聞かせください。
事業の最終目的は「アスリートの強みを可視化することにより、アスリートの強みが社会に認識され、その結果、アスリートと社会の接点を多く生み出し、広く社会で活躍していただくこと」です。アスリートが社会で活躍する可能性についての事例やデータを集めて分析することは、今まであまりなかった試みだと思います。弊社にはシンクタンクとして調査研究のノウハウがあります。アスリートの活躍事例のデータを蓄積・分析し、その結果を世の中に示すことができれば、企業側のアスリートの活かし方の理解が進み、双方のマッチングが進んでいくと思います。
例えば、子どもが「将来はプロアスリートになりたい」と言った時、今はまだ親御さんが止めることも多いのではないでしょうか。プロとしてトップになれるかどうかわからない上、引退後のキャリアも不透明だからです。この事業を通じてアスリートが社会で活躍する事例が増えれば、次世代を担う子どもたちのキャリアの選択がより自由になると考えます。また競技人口も増え、日本全体の競技力も上がるでしょう。私は人が自由にキャリアを選択していける世界を実現したいです。
文:梅原ひかる
撮影:船場拓真