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「達成することだけが、成功じゃない」。プロラグビー選手から人力車を経て、将来は餅屋へ……児玉健太郎さん流・キャリアの築き方とは

「達成することだけが、成功じゃない」。プロラグビー選手から人力車を経て、将来は餅屋へ……児玉健太郎さん流・キャリアの築き方とは NEW

7歳からラグビーを始め、プロ選手として10年間プレー。現役引退後はラグビーと一切関連のない人力車の車夫の仕事を選び、将来は海外に餅屋をオープンすることを目指す――そんな、周囲が驚くようなキャリアを構想するのが、児玉健太郎さんだ。キャリアの話から見えてきたのは、世間体ではなく自分の幸せや考えを追求する姿勢、決めたら迷いなく進む潔さだった。キャリアに対して迷いが生じたときの考え方、健太郎さん流・成功の哲学とは。今回は、コーヒー好きの健太郎さんが行きつけだという浅草の「コーヒーカウンターニシヤ」で話を伺った。

児玉 健太郎さん/元ラグビー選手、浅草人力車「松風」車夫
1992年、福岡県出身。小学1年生の時に、福岡の名門「鞘ケ谷ラグビー・スクール」でラグビーを始める。小倉高校時代は高校日本代表に選出。慶應義塾大学に進学。大学を卒業した2014年、パナソニックに加入。2016年アジアラグビーチャンピオンシップ第1戦韓国戦に先発出場し、日本代表初キャップを獲得。同年7月にはスーパーラグビーのサンウルブズに追加招集。2017年にオーストラリアの「レベルズ」、2018年に「神戸製鋼コベルコスティーラーズ」でプレーした後、2021年、「NECグリーンロケッツ東葛」に加入。2023年、現役引退。現在は、人力車の車夫として働きながら餅屋の開店準備を進める。

10年間ラグビー選手として活躍後、2023年に引退

― ラグビーを始めたきっかけは何だったのでしょう。

7歳の頃、父から「何かスポーツをしなさい」と言われたことがきっかけです。父は住友金属の実業団のバレーボール選手でした。姉もバレーボールをしていたんですが、僕は何か別のスポーツをしたいな、と思って。それで、ちょうど友達がやっていたラグビーを始めることにしたんです。そのままずっと続けて、高校ではラグビー部に所属し、日本代表にも選ばれました。

― 子どもの頃からプロ選手を目指していたんですか。

いえ、全然。プロでやっていこうと決めたのは、大学4年のときです。ちなみに、ラグビー部の同期は44人いましたが、僕以外は全員就職しました。僕はスカウトされていたこともあって、まわりの皆が就職活動で忙しくしている中、ゆったりとしていましたね(笑)。

いくつかのチームからスカウトされていた中、最終的にパナソニックワイルドナイツ(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に加入したのは、自分が干されている時期もしっかり見てくれていたから。実は大学2~3年のとき、監督と合わなくて全然試合に出ていなかったんですよ。パナソニックはそんな不遇の時代から声をかけてくれていたんです。

― 実際、プロになられていかがでしたか。

チームメイトのレベルも環境も、当然ながら大学時代とはまったく違いましたね。当時、パナソニックは一番強かったこともあり、僕が所属していた4年間は3回も優勝しているんです。ストイックに突き詰めている選手や素晴らしい才能を持っている選手がたくさんいる中、必死に食らいついていきました。

プロラグビー選手として生き残るため、常に他の選手と切磋琢磨してきた

― その後は、オーストラリアの「レベルズ」、「神戸製鋼コベルコスティーラーズ」、「NECグリーンロケッツ東葛」でプレーされました。2023年に現役引退されましたが、その理由は。

NECグリーンロケッツ東葛と契約終了になりました。他のチームへ移籍することも考えましたが、32歳のこのタイミングでまったく別の道に進むのも良いかもしれない、と。そもそも僕は、ラグビーのプレー自体が好きというより、チームで勝利に向かって戦う一体感が好きで、そこにやりがいを感じて続けていました。プレーすること自体に、以前ほど情熱を持てなくなっている今、この先ラグビーを続けても……と思ったんです。

世間軸ではなく自分軸で選んだ、人力車の仕事

― セカンドキャリアを模索するにあたって、大事にしたことは何ですか。

外からの見栄えを気にして仕事を選ぶのはやめようということ。大企業や有名企業などに勤めていても、幸せそうじゃない人っていますよね。いくら世間的な評価や印象が良くても、自分がハッピーじゃなかったら意味がない。だから自分がいきいきできる仕事、自分の能力やスキルを活かせる道に進むことを一番に考えました。

僕の場合は、体力がある・英語を話せる・人と話すことが好き――この3つを軸に考えました。それで、人力車の車夫が良さそう、と。いまインバウンドが増えていますしね。

― コーチやトレーナーなど、スポーツ関連の仕事は考えなかったのですか。車夫は、少し意外ですが、思いついた理由やきっかけは。

そうですね。ただ僕の中では、車夫以外の仕事はあまり思いつかなかったんです。人力車の会社はいくつかありますが、いま所属する「松風」を選んだのは、親方と女将さんにお会いして「ぜひここで働きたい」と思えたこと、制服がカッコいいこと、大勢の人が所属するような大手ではないので「小さい会社のエースになりたい」と考える僕にはぴったりだったからです。

― 実際、車夫の仕事を始めてみていかがですか。

将来的に、海外で働くことを視野に入れているので、外国人を相手にするこの仕事は楽しく、学びが多いですね。どんな国の人が、何に興味を示し、どんな反応をしたのか、どんな考え方なのかというデータを肌で得られるんです。例えば、1日に2名×6組くらいを乗せるとします。そうすると、1日に12名分、1か月で300名分近くのデータが自分の中に刻まれます。この積み重ねは結構大きいと思います。

「体力がある・英語を話せる・人と話すことが好き」という自分の強みや個性を活かせるという理由で人力車の車夫の仕事を選んだと話す健太郎さん

― 今後は、海外での仕事も視野に入れているのですね。

海外が好きですし、夏に日本にいたくないという理由からです。日本の夏は暑すぎるので(笑)。具体的には、オランダでお餅屋さんをやろうと考えています。オランダだと、日本人は比較的容易にビザを取得することができるんです。

― なぜ、お餅屋さんなのですか。

いまから寿司の技術を習得するのは難しいですが、餅は初心者でも再現性高く提供できます。僕の海外の友人たちもみんな餅が好きですし、餅は主役にも脇役にもなれる食べ物。ビジネス的観点から良さそうだなと考えています。

― 西荻窪のお店でバイトをして、餅づくりも学ばれたそうですね。

そうなんです。餅づくりの最初から最後までを体験したかったので、あえて大きい店ではなく、美味しいと評判の小体なお店で約半年間、バイトしました。餅屋の仕事は、なかなか長時間の重労働でびっくりしましたが。オランダに店を出す前に、まずは浅草でお店を開こうと考えていて、そのためにいま少しずつ準備しています。今年の秋あたりには開店できればいいですね。

複数のコミュニティに属すことで、視野が広がる

― ラグビー人生から一転、新しいことにチャレンジされていますが、自分の中で物の見方や考え方で変化したことはありますか。

これまでは、「成功を目指して頑張る」「これをクリアしたらその先に成功がある」という考え方でした。でも今は「成功を目指している過程が、すでに成功」という考えになりました。だから僕はいま、すでに成功の真っ最中なんです(笑)。

だって「何かを達成した先にしか成功がない」となると、それまでの期間がアンハッピーじゃないですか。なので成功は目標を達成した瞬間に終わってしまうもので、本気のチャレンジを始めて、それを達成するか、諦めるまでは成功している――そう思えれば、人生、楽しい時間が長いですよ。プロセスを楽しみたいし、「プロセス自体が成功である」という捉え方です。

― 健太郎さん流、成功の定義ですね。

振り返ると、この気づきは大学時代にあったのかもしれません。チームで日本一になることを目指していましたが、結果はベスト4で終わりました。では、この大学4年間は意味がなかったかというと、決してそうではない。「結果がすべて」だと突き詰めて頑張った先で、「結果がすべてではない」という学びを得ました。かといって、「今が楽しけりゃそれでいい」「結果が大事ではない」という考えとも違います。そこは誤解してほしくないんですが。

― ラグビーから車夫、そして餅屋。異分野への挑戦が続きますが、自分の中の不安や恐れとはどのように向き合っていますか。

どれも心からやりたいと思っていることだから、あまり不安と向き合ったという感じはないですね。イメージして、自分ならやれると思えているので。

僕は、物事を始めたいと思ったときに、“我がままに、軽いノリ”で始めてもいいと思っています。周囲から「世の中そんなに甘くない」「そんな感じではうまくいかない」など言われるかもしれませんが、そんなのは一切無視していい、と。

周りからの意見はあくまでも参考程度に聞き、自分が心からやりたいと思ったものはまずはやってみることが大事だと語る

― そこまで強く踏み切れないとき、迷いを感じるときはどうしますか。

様々なタイプの人に意見を聞きますね。そのためには、日頃からひとつのコミュニティのみに属さないこと。ひとつのコミュニティだけにいると、どうしてもそこの意見に影響されてしまうからです。僕の場合は、もともとオープンな性格で自然とそうなったのですが、学生時代はラグビー部のチームメイト以外にも、サッカー部や野球部の人、勉強好きの人……と幅広く仲が良かったんです。そうやって複数のコミュニティに属していると、様々な立場や属性の人の意見が聞けます。すると、迷ったときも考えが凝り固まらずに済み、ベストな選択をしやすくなるんです。

― 確かに、より多くの意見や考えを聞くことで後押しとなったり、迷いが解消したりしそうです。お話を伺っていると健太郎さんはポジティブで潔い印象ですが、もともとの性格でしょうか。

割と直感を信じてポジティブに突き進むタイプですね。あとは、父の影響もあると思います。父は割と厳しいタイプで、例えば僕が子どもの頃、ラグビーの練習や試合について文句や不満を言っていると、「だったら辞めろ!」と言うような人。そう言われると、「いや、まだ頑張ります!」と前向きになるものです。

― 今後も様々なチャレンジをなさると思いますが、ご自身の中にある揺るがない価値観、人生観はありますか。

「自分の人生を生きる」です。死ぬときに後悔するのではなく、ハッピーな人生だったと心から思いたい。先々を見据えつつも、いまを大事に、日々を積み重ねて生きていきたいですね。

文:鈴木里映
撮影:加藤千雅

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