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働き続けることが、美徳だった時代は終わった──フィービー・ファイロという生き方

働き続けることが、美徳だった時代は終わった──フィービー・ファイロという生き方 NEW

フィービー・ファイロの服には、見るだけで人々が語り出す、語りたくなる魅力がある。しかし、彼女自身は多くを語らない。それでも、ファイロの仕事は長く人々の記憶に残っている。

クロエ、セリーヌを率いたその軌跡で印象的なのは「手放し方」だ。出産を理由に制作を託し、観客席からショーを見守ったクロエ。絶頂期に退任を選んだセリーヌ。長い沈黙ののち、自身のブランドで静かに復帰したが、その活動も決して過剰ではない。

この10年、働き方は変化し続けている。彼女の「距離をとる」「離れる」という選択は、現代の働き方の一形態になるのではないか。ファイロの歩みを働くという視点から読み直すことで、その意味が変わってくるかもしれない。

クロエで見せた「働き続けない」という逆説

フィービー・ファイロという人物は、働くことに真正面から向き合ってきたデザイナーだ。ただし、その向き合い方は、多くのデザイナーとはまったく違っていた。彼女は、自分の働き方を、自分で選ぶ人だった。

ファッションの世界では、長時間労働や睡眠を削ることさえも「情熱」として称えられることがある。次々に押し寄せるシーズン、止まらないSNSやマーケティング、求められるスピード感とビジネス成果。デザイナーは創造者であると同時に、過酷なスケジュールを生き抜く「プロジェクトマネージャー」でもある。

だがファイロは、そのリズムから一度も全面的に巻き込まれた印象がない。そんな彼女の信念が初めて現れたのは、2001年からクリエイティブ・ディレクターを任されたクロエ時代だった。

2005年秋冬シーズンのファイロは、産休のためにコレクションをデザインチームに託した。ショー当日、ファイロはランウェイを見守る観客のひとりとして現れる。この判断に驚いた関係者は少なくなかっただろう。

そして翌シーズンの2006年春夏コレクションから復帰。発表されたのは、それまでのレトロなフレンチガールスタイルではなく、白を基調にしたガーリーシルエットのピュアなコレクション。クロエの新スタイルは、ファイロの復帰を待ち侘びていたファンを喜ばせた。

Chloé Spring 2006

クロエはパリを発祥の地とするブランドだが、ファイロは活動拠点のスタジオを、ロンドンの自宅近くに設立させた。クロエが彼女の希望に応えたのも、圧倒的実績あってこそだが、どれほどファイロが家族を大切にしているかを証明する逸話でもある。

復帰直後に発表した2006年春夏コレクションを最後に、ファイロはクロエのクリエイティブ・ディレクターを退任する。その理由は、家族との時間を優先するためだった。家族は誰にとっても大切な存在だ。一方で、成功を収めた仕事もまたそうだ。巡ってきたチャンスを掴み、世界的名声を得た。

この立場を簡単に手放すことができるだろうか。

しかし、ファイロは手放した。

ファイロは「離れる」という選択を躊躇わない。いや、私たちの知らないところで、逡巡したのかもしれない。だが、彼女の決断には清々しさがあり、迷いが感じられない。それは、自己犠牲的に働くことを「美徳」とする空気に対して、静かに疑問を投げかける態度にも見える。

もちろん、ファイロはキャリアを捨てたわけではない。クロエでも、2008年に就任したセリーヌでも、彼女は時代を更新する服を発表してきた。だがその背景には、働き方そのものに対するフィロソフィーがあったのではないか。そんな仮説が立ち上がってくる。

ファッションデザイナーは「常に仕事をしている存在」と見なされがちだ。しかし、ファイロは、「働きつづけること」そのものを疑っていたのではないか。彼女のキャリアを見直すことは、私たち自身の「働くこと」への感覚を問い直すことにもつながる。

距離を操るセリーヌと“その後”のディレクション

前章で触れたクロエ時代の「離れ方」を出発点とするなら、セリーヌでのファイロは、より緻密に「関わり方」を選び取っていたように見える。

2年間の沈黙を経て、2008年、ファイロはセリーヌのクリエイティブ・ディレクターに就任した。当時、業界内におけるセリーヌの注目度は芳しくなく、アイデンティティの再構築を求められていた。経営陣の期待にファイロは応える。セリーヌは刷新され、実用的で知性ある女性像を打ち出し、ミニマリズムを提示した。

セリーヌは瞬く間に世界有数の注目ブランドへと変貌し、ファイロ就任後の飛躍は驚異的だった。2008年から2017年までの期間、ファイロはクロンビーコートなどヒットアイテムを誕生させ、セリーヌの売上高は、彼女の在任中におよそ3倍にまで成長したとも言われている。

Céline Fall 2011

だが、その仕事の進め方は、他の多くのディレクターたちとは異なっていた。ファイロは滅多にインタビューを受けることはなく、SNSとも距離を置き、クロエ時代よりもさらに沈黙を深めていた。ブランドを前に出し、自分自身は一歩引く。いや、一歩よりさらに後方へと引いていた。

ファイロの姿勢は「ファッションデザイナーの仕事は服をつくることだけ」と言わんばかりで、SNS時代への反発のようであった。ファッション界がしばしばデザイナーを「人格」や「神話」と結びつけようとする中で、ファイロはその構造を距離をとりながら使いこなしていた。

2017年、ブランドが絶頂期にある中で退任を発表。唐突に見えたが、ファイロにとっては自然な選択だった。必要なものを与えきったあと、執着せず去る。その潔さが印象的だ。そして、6年の沈黙を経て、2023年10月、今度は自身の名を冠したブランドを静かに始動した。Instagram開設とECローンチのみで大きな話題を集めたが、その動きは意外なほど静かだった。

最新コレクション発売に先立ち、開設されたブランドのInstagramアカウントも、唐突に立ち上がるが、アカウントの存在が知られるや否や、ファンは次々とフォローしていく。ローンチも大々的なショーではなくECサイトだった。

この手法がビジネス的に正解だったとは言えないかもしれない。ファイロほどの実力と人気なら、ファッションウィーク期間中にショー形式で発表すれば、世界中のメディアが発信してくれ、ファンを大きく刺激し、ビジネス規模も現在より大きくなっていた可能性が高い。

しかし、ファイロはそんなファッションビジネスの王道を選ばなかった。ファッション界に復帰したとはいえ、前面に出ることはしない。服はあくまで服として語られ、本人は影にいる。これは単なる控えめな姿勢というよりも、「どこまで関与するか」「どこまで語るか」を自ら選び取る感覚に近い。

セリーヌでの「引く」、自身のブランドでの「沈黙」。そのふたつの距離感は異なるようでいて、「役割を引き受けすぎない」という点で地続きにある。求められることをすべて引き受けず、自分のスタンスと時間軸で関わる。その姿勢は、働き方における自己裁量の最たる形かもしれない。

「関わる/離れる」の二元論ではなく、「どの程度関わるか」を自分で定めるということ。ファイロの仕事における距離感は、そのまま彼女の人生観そのものだと言ええるのではないか。

SNS時代の中、沈黙がつくるブランド価値

ファイロは、仕事との距離をとってきた。だが、それによって「何かを失った」という印象は不思議なほど薄い。むしろ、彼女が距離をとったことで、ファッションという領域において新たな価値が立ち上がったようにも思える。

そのひとつが、「ブランドとしての信頼」である。セリーヌ時代のファイロは、多くを語らないにもかかわらず、ブランドの世界観はぶれなかった。服が語り、スタイリングが語り、ビジュアルが語った。つまり、ファイロが自らを語らなくても、「統合された美意識」によってブランドが信用されていたということだ。

これは逆説的だが、すべてに関与するのではなく「語らない」「登場しない」ことが、かえってブランドの静けさや重みをつくり出していたのではないか。

過剰な発信や自己演出が前提になりがちな現代において、「語らない」という判断が、どれほど希少で強い姿勢だったかを思い知らされる。

もうひとつ特筆すべきは、ファンとの関係性である。ファイロはSNSで日常を共有せず、プライベートを切り売りすることもなかったが、それでも彼女のファンたちは強くつながっていた。セリーヌを去ったあと、「ファイロ時代のセリーヌ」として区別して語られる現象や、自身のブランドを設立しての復帰時、爆発的にフォロワーが集まったInstagramアカウントの動きが、それを物語っている。

これは、「ファイロの服=自分の人生の一部」として記憶されているからだ。着る人の感情や記憶と結びついた服。ファイロは、過度に自分を語らないことによって、ファン自身が「自分の意味」をその服に与える余白を残したとも言える。つまり、ファッションの物語を、作り手ではなく「着る側」に委ねたのだ。

また、他のデザイナーたちと比較すると、ファイロの選択がいかに異質だったかが際立つ。コレクションごとにメッセージ性を強調し、インタビューやSNSでその意図を積極的に伝えるデザイナーとは異なり、ファイロは一貫して沈黙を選んだ。それは単なるスタンスではなく、「語りすぎないこと」が作品の魅力になるという戦略的な判断でもあった。

結果として彼女の仕事は、商品としてだけでなく思想や信頼のかたまりとして機能するようになった。働き方としての「距離」が、ブランド価値や文化的影響力というかたちでリターンされていた。それが彼女のキャリアから見えてくるひとつの結論である。

働かない日が、仕事を濃くする

ファイロの仕事には、意外なほど「感情の起伏」が少ない。語らず、演出せず、ただ自分の関わり方を選び取り、去り、また静かに戻ってくる。その一連の選択は、いわば「働く」という行為に対する彼女なりの定義の積み重ねだったのかもしれない。

私たちは、「働く=関わり続けること」と信じている節がある。責任を持つこと、成果を出すこと、期待に応えること。それらを「持ち続けること」が働くことだと教わってきた。だがファイロは、まったく別の方向を指し示している。

彼女の姿勢は、「距離をとること」や「いったん手を離すこと」が、必ずしも「責任の放棄」ではないことを示している。むしろ、それによって仕事の密度が保たれ、創造の輪郭が崩れずに済んでいる。関わりすぎずに、芯だけはぶらさない。そんな働き方のかたちは、これまで語られてこなかったが、たしかにそこに存在している。

それは「止まる」「離れる」「沈黙する」といった行為を、「劣勢」ではなく「選択」として位置づけ直すことでもある。働きつづけることだけが誠実なのではなく、「関わることの密度」を自ら定めることが、本当の意味での誠実さにつながる。そんな視点が、ファイロの仕事には宿っている。

この10年、働き方改革は声高に叫ばれてきたが、その多くは「働きすぎ防止」が中心だ。「働かない選択」を語る言葉は少ない。ファイロの歩みは、その空白を埋める。

もちろん「働かないという選択」は収入の問題を起こす。誰もが直面し、誰もが避けられない現実だ。しかし、「働かないという選択」を「会社を辞めるかどうか」ではなく「休みを取るかどうか」という短期のスパンで、考えてみるのはどうだろうか。

自宅に帰っても仕事を続ける日、週末の休みも部屋に閉じこもり、仕事をしなければならない日があるかもしれない。しかし、そこで、休んでみる。

「仕事が遅れるじゃないか!」

その声は十分に理解できる。期限に間に合わない恐怖は、何よりも恐ろしい。

けれど、休んでみることが、進捗を早めることがある。休んだことで生まれた心の余裕が、作業効率を改善させるアイデアを生むことがあるし、休んだことが集中力を回復させ、作業スピードを上げるかもしれない。理由は人それぞれだが、そんな経験が、一度はあったのではないか。

距離をとることで成果が近づく働き方を、偶然ではなく必然として起こす。そんな働き方を試してみないか。

ファイロの働き方には、「更新」というよりも「異なる美意識の提案」がある。関わる時間の長さでも、メディアへの登場回数でもなく、「どれだけ潔く、自分の軸を保ち続けられるか」。そう考えたとき、私たちはようやく、「働くこと」の輪郭を、もう一度描き直すことができるのかもしれない。

縛られない、捉われない、恐れない

「フィービー・ファイロ」という人物を見つめ直すとき、彼女の誇りは、成果ではなく姿勢に宿っているように思う。多くの人に賞賛される服をつくってきたという自負ではなく、「どのように関わるか」を自ら選び続けてきたこと。その選択の連なりこそが、彼女にとっての誇りだったのではないだろうか。

私たちはしばしば、「仕事をしている自分」や「何者かとして認識される自分」に誇りを託してしまう。職能、役職、他者からの評価。そうした枠組みの中で自分の価値を測り、そこから逸脱しないよう努める。けれどファイロの生き方は、それとはまったく異なるところに軸足を置いている。

彼女は、服をつくることそのものに誇りを抱いているのではなく、「つくりたいときに、つくりたいかたちで関わる」という姿勢を見せてきた。言い換えれば、「働くこと」は彼女にとって「人生の一部」でしかない。そして、その「一部でしかない」という認識こそが、むしろ仕事の純度を高めていた。

クロエ時代に産休から復帰したファイロは、当時のインタビューでこんな言葉を残していた。

「クロエがあってこそ、私がある。でも、私はクロエだけではない」

この視点は、いまの私たちに大きな示唆を与えてくれる。働き方改革が叫ばれてもなお、「働いていない自分」にどこか後ろめたさを感じてしまうこの社会において、「働くことから離れる力」は、軽視されがちだ。だがファイロのように、「離れること」「戻ること」「選び直すこと」を肯定的に捉える視座があってはじめて、私たちは仕事という行為をもう一度自分の手に取り戻すことができるのではないか。

誇りは、常に持ち続けるものではない。それは、離れることで立ち現れることもある。手放したはずの仕事を、再び見つめ直したときにこそ、自分にとっての芯が浮かび上がる。

ファイロの姿は、「働かない自分を恥じないこと」「何者でもない時間を恐れないこと」、そして「関わるということに、自分自身で意味を与えること」の可能性を照らし出している。

私たちはまだ、その勇気を持てていないのかもしれない。だが、ファイロが歩んできた道筋をそっとなぞることで、その勇気の輪郭だけは、ほんの少し見えてくるような気がする。

著者プロフィール:新井茂晃 /ファッションライター
2016年に「ファッションを読む」をコンセプトにした「AFFECTUS(アフェクトゥス)」をスタート。自身のウェブサイトやSNSを中心にファッションテキスト、展示会やショーの取材レポートを発表。「STUDIO VOICE」、「TOKION」、「流行通信」、「装苑」、「QUI」、「FASHONSNAP」、「WWDJAPAN」、「SSENSE」などでも執筆する。

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