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反骨を経営に変える──レンツォ・ロッソが築いた、もう一つのモード帝国

反骨を経営に変える──レンツォ・ロッソが築いた、もう一つのモード帝国 NEW

LVMH、ケリング、リシュモン。ファッション界でその名を轟かす巨大ラグジュアリーグループ。頂点に君臨するベルナール・アルノーやフランソワ=アンリ・ピノーは、誇るべき伝統を持ちながらも眠っていたブランドに資本を注ぎ込み、さながら錬金術のようにそれらを眩い存在へと蘇らせてきた。

そんなコングロマリットとは異なる道を歩み、一代で巨大グループを築き上げた経営者がいる。それが、レンツォ・ロッソだ。ジーンズブランド「ディーゼル」を世界的ブランドへと成長させた彼の手腕は、広告を武器としたアーティスティックなものであり、やがて独自の美学を持つブランドを次々と傘下に収め、ファッション界に新しい波を起こしていった。

「メゾン・マルジェラ」「マルニ」「ジル・サンダー」といったロッソが束ねたブランド群は、既存のファッションシステムに従わず、自らの美学を貫く反骨の集合体だった。グループの名「
OTB(Only The Brave)」には、「勇気ある者だけが未来を切り拓く」という信念が感じられる。彼にとって経営とは資本の運用ではなく、クリエイションの延長線上にある行為だった。

ロッソの歩みから浮かび上がるのは「反骨」。彼の冒険は、一台のミシンから始まった。


始まりは自らミシンで縫ったジーンズ

1955年、レンツォ・ロッソはイタリア北東部にある小さな村に生まれた。家は農家で、ロッソも幼少時から農作業に携わっていた。父は畑を耕し、母は家庭用ミシンで服を縫っていた。生活の中心にあったのは、土地と手仕事。幼少期から彼の目の前には、自分で作るという行為が日常として存在していた。

15歳のとき、ロッソは母のミシンを使って初めてジーンズを縫った。生地を裁断し、縫い合わせ、形にする。出来上がった一本は評判となり、友人から注文が入るようになった。夜になると、ロッソは家で服を作り続けた。それは彼が「服を作る価値」を知った瞬間だった。

ロッソは地元の工業テキスタイル学校で素材を学んだのち、1975年、衣料品を生産する地元の企業「Moltex」に入社する。生産現場で工程や仕組みを体で覚えていった彼は、経営者アドリアーノ・ゴールドシュミットと出会い、その後のディーゼル誕生につながる関係を築いていく。

この歩みを見ても、ロッソがアルノーやピノーとは全く異なるタイプだとわかる。ロッソはものづくりの現場で自ら経験を積んだ人間だった。

生産現場の環境が、その後のロッソの経営思想を形づくった。彼にとって「反骨」とは、誰かに逆らうことではなく、誰かの仕組みに頼らずに生きるためのもの=自立の意識だった。都会的な憧れや流行への反発ではなく、「自分の手で成り立たせる」という生活のリアリティ。後年、ロッソがミラノやパリといった、ファッション業界の中央から距離を置き、自身が生まれ育ったヴェネト州の田園地帯にグローバル企業を築いた背景には、この「自分の手で作る」という感覚があったのかもしれない。反骨の原点は、労働と手仕事の中にあった。

ミシンを踏む現場で仕上がりを見るレンツォ・ロッソ(画像:OTB公式サイト)

ジーンズと広告の常識を壊す

1978年、ロッソはゴールドシュミットとともに、ディーゼルを設立した。ブランド名は、世界中で同じように発音されて覚えやすく、当時新たなエネルギーとして注目されていたディーゼル燃料のように、世間を活気づけたいという思いから名付けられた。

今では当たり前のダメージ加工を施したジーンズ。しかし、ディーゼル設立時は、薄汚れたジーンズに価値はなかった。ロッソはその常識を破壊する。洗練ではなく、不完全さ、ダメージ、色むら。擦り切れたジーンズを高額で販売する。人々が価値がないと思った「汚れ」を、価値あるものに作り変えた。人々はディーゼルを、ロッソをクレイジーに感じたかもしれない。しかし、恐れを知らない精神と行動が、ロッソ最大の武器だった。

1985年、ロッソは共同経営者の持株を買い取り、独立を果たした。イタリアファッションの中心ミラノではなく、生まれ育ったヴェネトの工場から世界に挑んだ。この時点で、ロッソの「反骨」は職人的姿勢を超え、経営理念へと変わり始めていた。

ロッソの意志を最も明確に示したのが、1990年代初頭から始まる広告キャンペーン「For Successful Living」だった。

登場したのは、幸福を賛美するようなビジュアルではない。自動車事故の現場で微笑む若者。全身を金色に塗った男たちに囲まれる、ジーンズ姿の女性。白いシャツを汚しながら肉をむさぼる男たち。どの場面も、日常の裏側にある不安や矛盾を、ユーモアとともに映し出していた。

広告は明るく、けれど、どこか不穏だった。

ロッソにとって広告とは、商品の良さを伝えるための道具ではなく、社会に問いを投げかけるための装置だった。笑いと風刺を使いながら、当たり前とされてきた価値観を軽やかにひっくり返す。ファッションの広告を、思想を語る舞台として使った。

2007年の広告「Global Warming Ready」では、地球温暖化で沈んだ世界が、まるで休暇の舞台のように描かれた。

ヨットの上で笑う男女、水没した摩天楼を背にくつろぐ恋人たち。危機のはずの光景は、どこか幸せそうだった。これは環境を訴える広告ではない。環境危機さえもファッションの背景として消費してしまう社会を、静かな皮肉として映し出していた。ロッソはファッションの華やかさを使い、現実の無関心を鏡のように映した。それがこの広告の静かな不穏さを支えていた。

2010年の広告「Be Stupid」は、常識への反抗だった。

監視カメラの前で服を脱ぐ女性。白鳥の浮き輪に乗って食事をする男。どの場面も、社会が「愚か」と切り捨てる行動を肯定していた。この広告のメッセージは明快だ。賢さが安全を守るなら、愚かさは挑戦を生む。ロッソは「失敗を恐れずに動くこと」こそが創造の原点だと考えていた。効率よりも直感、合理性よりも行動。それがディーゼルの哲学であり、経営の中心にもあった。

ロッソの広告は、時代を挑発するためのショックな演出ではない。企業の思想を、誰もが理解できる形に変える方法だった。「反骨」はここで、初めて明確な言葉を持った。

ディーゼル 2025年春夏キャンペーン(画像:OTB公式サイト)

Only The Brave──もう一つのモード帝国誕生

ロッソはブランドのグループ化にも独自のビジョンを見せた。その始まりは2000年。ディーゼルの生産を担っていたヴェネトの企業「Staff International」を買収した。これはサプライチェーンの再構築だった。多くのブランドが製造を外部委託する中、ロッソは逆を行く。創造と生産を切り離さない。その二つを一つにして動かすことが、ロッソの経営だった。

2002年、ロッソは持株会社OTBを設立する。将来のブランド投資の受け皿を整えた形だ。早くも同年、フランスの「メゾン・マルタン・マルジェラ(現メゾン・マルジェラ)」への資本参加(筆頭株主化)に踏み切り、独自性の強いメゾンをグループに迎えた。

その後、ロッソは業界で注目のブランドを次々と傘下に収めていく。2008年、OTBはオランダのヴィクター&ロルフに出資し、関係を強化。のちに過半数を超えるまで持分を引き上げた。2012年末にはイタリアのマルニの過半数を取得し、2015年には100%を取得。そして2021年、OTBはドイツ発のジル・サンダーを買収。前オーナーのオンワードホールディングスからの承継で、同ブランドはOTBグループに加わった。

左から、ジル・サンダー/メゾン・マルジェラ/マルニ(画像:OTB公式サイト)

ロッソとOTBが選ぶブランドには共通点があった。それは、鮮烈な美学を持っていること。メゾン・マルジェラ、マルニ、ジル・サンダー、ヴィクター&ロルフ──いずれも独立した思想と語彙を持つブランドだった。メゾン・マルジェラの匿名性と構造への批評、マルニの自由な色彩感覚、ジル・サンダーの厳密なミニマリズム、ヴィクター&ロルフの演劇的ユーモア。それぞれが異なる価値観を持ちながらも、共通していたのは自分の美学を譲らない強さだった。

ロッソの基準は明快だった。歴史よりも個性。伝統よりも美学。デザイナー(ディレクター)が交代する時は、タイミングが来た時。決して急進的にブランドの体制を変えることはしない。

LVMHやケリングが迎え入れるブランドも、それぞれに個性がある。だが、彼らが重視するのは「歴史」だ。価値が毀損した老舗ブランドに資本を注ぎ、新しいディレクターを迎えて再生させる。アルノーやピノーが築いたのは、伝統を現代的に再演するための帝国だった。

だが、ロッソはその逆を行った。彼は異なる美学を持つブランドを集合させた。創造性の衝突を恐れず、むしろ多様性をエネルギーに変える。人は大きな力を持てば、自分の意向に添わせたくなる。だが、経営者ロッソはクリエイターの創造性を尊重した。様々な感性を持つブランドが、一つのグループを成す。OTBは、さながら様々なアーティストの作品を収める美術館のようだった。


反骨は、経営の言語になる

ロッソにとって、反骨とは反発ではなかった。それは、誰かに抗うための力ではなく、自分の仕組みを自分の手で作ることだった。若き日にミシンに触れたときから、ロッソの根底にあったのは、他者に頼らず形にするという意志だった。そこにあるのは、反抗心ではなく、生きるための構造的な自立である。

やがてその反骨は、ものづくりから経営の思想へと変わっていく。ディーゼルの広告は、既存の価値観を笑いながら問い直し、社会への鏡となった。OTBは、異なる美学を持つブランドを一つの仕組みの中で共存させ、反骨を制度として維持するための構造となった。職人の技術も、デザイナーの思想も、どちらかが上に立つことはなかった。その水平な関係性の中にこそ、ロッソが信じた「自由の形」があった。

反骨とは、破壊ではなく更新である。古い体制を否定することではなく、自らの手で世界を動かすこと。それは芸術にも、ビジネスにも通じる原理だ。ロッソの経営は、その原理を社会の中で実装する試みだった。反骨を情熱の言葉ではなく、経営の構造として成立させたこと。そこに、彼の革新性がある。

Only The Brave──勇敢なる者だけに

そのスローガンは、単なる企業の標語ではない。勇気とは、信念に形を与える行為だ。反骨は破壊のエネルギーではなく、更新の意志であり、ロッソはそれを最も現実的な言語──経営──で語った。ロッソの経営は、静かに伝える。

「勇気ある者だけが、未来を切り拓く」

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