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服の先に、デザイナーは何をつくるのか?──ジョルジオ・アルマーニの遺産

服の先に、デザイナーは何をつくるのか?──ジョルジオ・アルマーニの遺産 NEW

2025年7月、ジョルジオ・アルマーニが逝去した。アンコンジャケットによってメンズウェアを刷新し、時代の顔をつくった彼は、半世紀以上にわたって「モードの帝王」と呼ばれてきた。その死は、単なるひとりのデザイナーの喪失以上の意味を持つ。

なぜなら、アルマーニは服だけを作る存在ではなかったからだ。レストラン、ホテル、家具、生活のあらゆる場に自らの美学を広げ、「服を着る」ことを起点に、人が生きる環境そのものを設計した。アルマーニは、裏地や肩パッド、芯地を使わないというテーラードの常識を打ち破り、ファッションデザイナー=服を仕立てる人、という常識を根本から書き換えた人物である。

いま、ファッションデザイナーはSNSやビジュアルディレクション、デジタルコンテンツまでを担い、複数の領域を同時に手がける存在になっている。それは現代の「当たり前」だが、その先駆的な姿を最も大規模に、そして成功裏に形にしたのがアルマーニだった。

この記事では追悼にとどまらず、アルマーニの実践を他のデザイナーとの交差で捉え直し、彼が遺したものについて考えてみたい。


デザイナー像の転回──アトリエから生活へ

ファッションデザイナーとは何者か。かつて、その答えは明快だった。布を裁ち、服を仕立て、顧客のために一着を作り上げる人、デザイナーの職能は「服を作る」ことに限定されていた。その象徴が、1950年代に活躍したクリスチャン・ディオールやクリストバル・バレンシアガといった伝説のクチュリエたちである。彼らは服そのものを極めることで時代をつくり、デザイナー像をアトリエの中にとどめていた。

だが1960年代に入ると、状況は揺らぎ始める。イヴ・サンローランは高級服から一歩外に出て、プレタポルテ(既製服)のブティック「リヴ・ゴーシュ」を開き、日常の服をデザイナー自身の手で提示した。それまで特定の顧客のために特別な一着を仕上げていた「メゾン」を、日常生活の服を不特定多数の人々に提案する「ブランド」に変貌させた、最初の例である。

また、ピエール・カルダンも挑戦的だった。ライセンスビジネスに取り組んだ最初のデザイナーであり、インテリアや車まで手がけ、劇場を買い取り、若いアーティストの活動を支援し、高級レストラン「マキシム」までも経営した。大胆な拡張はデザイナー像の広がりを先取りしていた。

カルダンは、服という枠を超えてビジネスの可能性を切り拓いた点で画期的だった。ただし、その広がりは持続的な「帝国」には結びつかず、アルマーニが後に実現する規模や安定性には届かなかった。とはいえ、カルダンの挑戦があったからこそ、デザイナーが服を超えて事業を展開し得ることが明らかになったのも事実である。

そして1980年代、カルバン・クラインが広告戦略でその可能性を決定的にした。ブルック・シールズが登場したジーンズのキャンペーンは、服以上にブランドの世界観を前面に押し出し、広告そのものがブランド価値を創造する時代を告げた。服の外側にある物語や演出が、ブランドの競争力を左右するようになったのである。

こうした流れの中で、従来の「服を作る人」としてのデザイナー像は限界を見せていた。服と広告が乖離すればブランドの魅力は半減し、店舗や空間が美学とつながっていなければ顧客は一貫性を感じられない。デザイナーには服だけでなく「その外側まで統合的に構想する力」が求められるようになった。

その要請にもっとも大規模に応えたのが、ジョルジオ・アルマーニである。アンコンジャケットに象徴される彼の美学は、やがて服を越えて生活全体に及んでいく。アルマーニは、デザイナー像を「服の仕立て屋」から「ライフスタイルの設計者」へと塗り替えたのである。

その特異性をより鮮明にするため、ここでは二人のデザイナーと比較してみたい。物語を紡ぐラルフ・ローレン、文化を横断するヴァージル・アブロー。その二人との対比で、アルマーニの像は「生活を設計する建築家」として浮かび上がる。

アイコン シングルブレストジャケット キュプラ製(画像:ジョルジオ・アルマーニ公式サイト)

ラルフ・ローレンとアルマーニ──物語と美学の分岐点

ラルフ・ローレンは、アルマーニより一歩早く「服を超える」実践を始めたデザイナーである。1967年にネクタイブランドとして出発した彼が提示したのは、洋服そのものではなく「アメリカン・ドリーム」という壮大な物語だった。

ポロシャツに象徴される「ポロ・ラルフ・ローレン」は、単なるカジュアルウェアではない。アメリカ東海岸のカントリークラブ、週末のヨットハーバー、名門大学のキャンパス。そこに流れる特権階級の文化を「体験」できる入場券として機能した。顧客は服を着ることで「物語の一部」になれたのだ。

この物語は1980年代から本格的にファッションの枠を超えて広がっていく。1983年に始まった「ラルフ・ローレン・ホーム」では、タオルからパジャマ、寝具、食器に至るまで、家そのものを「理想のアメリカ」の舞台に変える提案を行った。リビングルームは東海岸の邸宅風に、ベッドルームはナンタケット島のコテージ風に。日常空間が憧憬の物語世界へと変貌した。

2015年にニューヨークにオープンした「ザ・ポロ・バー」は、この戦略の完成形だった。パーケットフローリングの床、革張りのソファが配された空間で、顧客は19世紀の紳士クラブに通じる雰囲気に浸りながら食事を楽しむ。現実のニューヨークにいながら、理想化されたアメリカの黄金時代に「参加」する体験が提供されているのだ。

アルマーニのアプローチはこれとは根本的に異なる。1975年にブランドを立ち上げた彼は、夢物語ではなく「現実の洗練」を追求した。「ジョルジオ・アルマーニ」「エンポリオ・アルマーニ」「アルマーニ・エクスチェンジ」といったように、ターゲットを階層的に分けて、あらゆる価格帯とシーンに自らの美学を浸透させていく。

その後の展開も徹底している。「アルマーニ / カーザ」では、ミニマルで洗練されたインテリアで住空間を統一し、「アルマーニ / ドルチ」では上質なスイーツ体験を通じて味覚までもブランドの美学で包み込んだ。そして「アルマーニ・ホテル」では、宿泊というありふれた行為そのものが、徹底したデザイン哲学に基づく美的体験へと昇華される。

アルマーニが目指すのは、顧客の生活環境を丸ごと自らの美学で「再構築」することだ。それは夢への逃避ではなく、現実の質的向上である。グレーベージュを基調とした色彩、無駄を削ぎ落としたフォルム、上質な素材感、これらの要素が顧客の日常へ静かに浸透し、生活そのものを洗練された芸術作品に変えていく。

ラルフ・ローレンとジョルジオ・アルマーニはともに「服を超える」領域に進出し、巨大なライフスタイルそのものをブランド化した。しかし、その手法は対照的である。一人は「夢の物語」を紡ぎ、もう一人は「現実の美学」で世界を染め上げた。

この違いは、顧客との関係性にも鮮明に現れる。ラルフ・ローレンは「あなたもこの物語の主人公になれる」と誘う。憧れのライフスタイルへの「参加」を促すのだ。一方、アルマーニは「あなたの日常そのものを、この美しさで包み込む」と迫り、現実の「変容」を約束する。ローレンのデザイナー像が「物語を語る語り手」だったとすれば、アルマーニは「生活を設計する建築家」であった。

アルマーニ / カーザ(画像:アルマーニ公式サイト)
アルマーニ / ドルチ(画像:アルマーニ公式サイト)
アルマーニ・ホテル(画像:アルマーニ公式サイト)

ヴァージル・アブローとアルマーニ──拡張の方法論をめぐって

2021年に41歳で早逝したヴァージル・アブローは、アルマーニが築いた「服を超えるデザイナー像」を、まったく異なる方法で更新した存在である。両者の対比は、アルマーニが半世紀にわたって実現してきた「美学の帝国」の特異性を、より鮮明に浮かび上がらせる。

アルマーニが1975年にブランドを創設して以来、一貫して追求してきたのは「垂直方向の統合」である。構築性を削ぎ落とすアルマーニの美学は、あらゆる領域に浸透していく。「アルマーニ / カーザ」では洗練されたファブリックソファと大理石のテーブルに、「アルマーニ / ドルチ」ではエスプレッソとティラミスの上品な味覚体験に、「アルマーニ・ホテル」では客室の暖色照明と抑制された空間構成に、同一の設計思想が一貫して現れる。

なかでも、ミラノの「アルマーニ・ホテル」は象徴的だ。エントランスから客室まで、すべての空間がアンコンジャケットと同じ美学で統一されている。壁面はソリッドなラインを描き、照明は柔らかな光で迎え、色彩は徹底してニュートラル。宿泊客は足を踏み入れた瞬間から、静寂のエレガンスに包まれ、アルマーニの世界観を生きることになる。

一方、アブローが示したのは対照的な「水平方向の拡散」だ。「オフホワイト」から「ルイ・ヴィトン」のメンズアーティスティックディレクターまで、彼の活動は既存文化を解体し、再構築する「リミックス」の手法に貫かれていた。

「ナイキ」とのコラボレーション「The Ten」では、エアジョーダン1にオレンジのタブやクォーテーションマークを追加し、「デコンストラクション」を視覚化した。「イケア」との「MARKERAD」コレクションでは、「イケア」のアイコンであるブルーバッグに「SCULPTURE」、グリーンのラグに「WET GRASS」といったテキストをあしらった。それは、マルセル・デュシャンが便器を「泉」と名づけて芸術に転換したレディメイドを彷彿させた。

さらに彼は、「コーチェラ」など音楽フェスティバルでDJとして登場し、ファッションと音楽を同時並行で展開する。インスタグラムではそんなアブローの創作の日々が、日常的に発信されていた。

両者のアプローチの違いは、それぞれが活動した時代の要請と密接に関わっている。アルマーニが帝国を築いた1980年代から2000年代は、グローバル化が進展し、ブランドに「一貫性」と「統合性」が求められた時代だった。

一方、アブローが活躍した2010年代は、SNSの普及により情報が高速で拡散し、文化の境界が曖昧になった時代である。SNSによってコンテンツの断片化と再編集が促進される中で、彼はそのスピードと分散性を創作手法に取り込んだともいえる。

アブローとの対比によって浮かび上がるのは、アルマーニが実現した「ライフスタイル提案の完全統合」という前人未到の偉業だ。アブローが異なる文化領域をつなぎ合わせる「文化のDJ」だったとすれば、アルマーニは生活のあらゆる場面をひとつの美学で貫く「生活の建築家」だった。

SNS時代の断片的なクリエイティブが注目される今だからこそ、アルマーニが半世紀にわたって築き上げた統合的な美学帝国の価値は、より鮮明に浮かび上がる。彼が証明したのは、ライフスタイル提案における最も困難で、最も価値ある挑戦。日常生活の全域を、ひとつの洗練された世界観で統一することが可能だということだ。

ARMANI Hotel Milano(画像:アルマーニ公式サイト)

アルマーニが残した問い

ラルフ・ローレンとヴァージル・アブローというふたりとの対比を経て、あらためて浮かび上がるのは、アルマーニが示した「服を超える」ことの可能性である。彼は半世紀以上にわたり、服を入口に人間の生活そのものを美学で包み込み、ライフスタイル帝国を築いた。

そのアプローチは、ラルフ・ローレンのように物語を紡ぐのでもなく、ヴァージル・アブローのようにカルチャーを水平に拡散するのでもなかった。アルマーニが選んだのは、現実の日常をひとつの美学で統合するという、最も困難で、最も徹底した方法だった。

アルマーニの死は、ひとりの巨匠の終焉であると同時に、現代のデザイナーに課せられた課題を改めて突きつける。服を超えて、次にデザイナーは何を作るのか。その問いこそ、ジョルジオ・アルマーニが遺した最も大きな遺産だろう。

著者プロフィール:新井茂晃 /ファッションライター
2016年に「ファッションを読む」をコンセプトにした「AFFECTUS(アフェクトゥス)」をスタート。自身のウェブサイトやSNSを中心にファッションテキスト、展示会やショーの取材レポートを発表。「STUDIO VOICE」、「TOKION」、「流行通信」、「装苑」、「QUI」、「FASHONSNAP」、「WWDJAPAN」、「SSENSE」などでも執筆する。

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1975年にジョルジオ・アルマーニにより設立されたラグジュアリーブランド。
アパレル、アクセサリーのほか、インテリア家具、化粧品、リゾートホテル、レストランと幅広く展開している。