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自分の周囲にあるささやかな幸せや楽しさ―そんなライフスタイルを提案する背景にある人生観・仕事観とは

自分の周囲にあるささやかな幸せや楽しさ―そんなライフスタイルを提案する背景にある人生観・仕事観とは

ビジネス界のトップランナーのキャリアと仕事への想いを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。今回登場いただくのは、29年にわたる海外生活を活かしながらファッションを中心としたライフスタイルの提案を行う大坪洋介氏。大坪氏ならではの、仕事・人生の楽しみ方とは。エーバルーンコンサルティング株式会社の代表である池松孝志氏が話を聞いた。

大坪 洋介さん/ファッション ライフスタイル コンサルタント
1956年生まれ。1970年代に単身渡米し、ファッションを中心としたさまざまなカルチャーを発信。「ローガン」「リーバイス」のディレクターとしても活躍。29年間LAを拠点に活動したのち、帰国。ファッション ライフスタイル コンサルタントとして型にはまらない提案を行う。

池松 孝志さん/エーバルーンコンサルティング株式会社 代表取締役
1980年生まれ。広島県出身。アメリカ留学時代、古着屋のディーラーとして全米各地を飛び回る。国内の紹介会社を経て、2008年にエーバルーンコンサルティングを設立。代表取締役として主にエグゼクティブ人材のサーチやM&A案件を担当。

目標も仕事も見つからなかった20代前半

― 大坪さんは1970年代にアメリカ留学をされていますが、留学されたきっかけは何だったのでしょう。

大学に進学し、親孝行のために教職免許は取ったんです。その当時、これから日本の社会に出て仕事をする自分が想像できなかった。そこで、職業別電話帳を取り出してきて最初から最後まで見て、どんな職業があるのかを調べてみたのですが、ピンとくるものがなく。

迷いの中、あるときカリフォルニアに宝石鑑定士を育成するGIAという学校があることを知ったんです。宝石鑑定士という職業は当時日本では興味深く、ここで学んで手に職をつけよう!と。とはいえ、半分は今思うと現実逃避したいという気持ちが大きかったのでしょうね。

― 学んでみていかがでしたか。

GIAには世界中からの留学生がきていて、日本人は少なかったですが、有名な真珠会社のご子息もいらして。高校時代から毎日のようにサーフィンに明け暮れていた私のようなタイプはほとんどいませんでした。でも美しいものへの憧れは強く、大切に学びを深め、勉強に一生懸命あけくれました。宝石関連のアルバイトもしましたが、やはりしっくりこなかったのです。

GIAは卒業したものの、結局宝石鑑定士の資格取得はこころざし半ばで、またまたキャリア探しの振り出しに戻ってしまいました。

1970年代に留学すること自体が珍しく、自身の世界を広げる大きなきっかけとなった。

「好き」を楽しむうちに、人生の転機となる出会いが

― でも、大坪さんは留学時代を含めて、その後29年間もアメリカで生活されていますよね。挫折後、何があったのでしょう。

何がしたいのかわからないまま、とりあえず好きなことをしていました。音楽が好きだったので、1年半ほど毎日のようにクラブやライブハウスに通っていた頃、ファッションやライフスタイルの師匠と呼ぶべき日本人に出会ったんです。師匠とたくさん話をするうちに、「君はファッションにこだわりがあるから、自分の会社をつくったほうがいい」と勧められて。

―「ファッション」というキーワードがやっと出てきましたね!師匠の言葉通り、ファッションにはずっとこだわりをお持ちだったのですか?

実はそうなんです。高校時代は欧米輸出用のサイケデリックな柄の生地を買って母にボードショーツを縫ってもらったり。確かにファッションには人一倍こだわりがありました。

師匠から、いろいろなセレクトショップ等を紹介して頂き、アメリカの服や雑貨を日本に輸出する仕事を始めました。ありがたいことに当時の日本市場は、アメリカブームでしたから、たくさんのアパレル会社とつながることができました。

その後、時代の変化とともにトレンドがアメリカからヨーロッパに移りましたが、色々なつながりがあったおかげで、「今期はこんなファッションコンセプトで」みたいな、情報を発信する仕事もやるようになりました。そうそう、バイヤーもやっていたんですよ。

― どんな商品を扱っていたのですか?

主にビンテージものの服を扱っていた時期もありました。当時は朝、銀行に行って現金を下ろし、安全のために靴下に現金をしのばせてLA郊外のデッドストックの商品が販売されている小売店に仕入れに行くんです。毎日謎の東洋人がキャッシュで仕入れに来て、掃除までして帰る(笑)。

そのうち店主にも信頼されるようになって、あるとき「実はもっと商品(デッドストック)があるんだよ」と、レジの壁のうしろにあった昔は売り場だったバックルームにあるデッドストックも見せてもらえるようになりました。

その後は、日本のファッション企業の買いつけ補佐もやりましたし、アメリカやヨーロッパトレンドリサーチやリポートに加え独占販売権、ライセンス権取得契約の仕事もあって、ヨーロッパにもよく行くようになりました。ファッションだけでなく、音楽、食、あらゆるトレンドを発信していました。

― ずっと日本のファッション、トレンドの最先端の企業や人々とつながって仕事をされていたのですね。

90年代初頭には、プラダの広告のロケーションコーディネーターの仕事もアメリカ国立公園でやりました。また、日本の大手商社と組んでLAのグラフィックアーティストを集めて年間約50万枚Tシャツを作ったり、日本の生産管理の素晴らしさをアメリカの縫製工場などに伝授したりなどなど、アメリカにいた29年間は本当にいろいろな仕事に恵まれました。

流れにまかせて帰国

― アメリカ生活の間に永住権(グリーンカード)はもちろん、市民権(米国国籍)も取得されたのに、なぜ日本に戻ろうと?

アメリカでずっと仕事をしてきて、それはそれで幸せなんですが、もう少し違った人生の送り方というか、仕事のやり方もあるんじゃないかと思い始めていた頃、ある日本人の方から、休眠している会社を任せたいという話を頂いて。カイタックインターナショナルのデニムブランドのアメリカ進出をサポートすることになり人生最初の会社勤めを経験しました。その後、ニューヨークのローガン、ルームステートブランドを東京をベースに発信したいという話を頂き、日本に拠点を移しました。その時はLAの家はそのままにして、長期出張扱いのような感じで日本に戻ったのですが、結果的にその後は日本で暮らすようになり、日本に戻ってかれこれ16年がたちました。

― 帰国後はリーバイスの仕事も手がけられて。

リーバイスの仕事では、10代の頃からリーバイス(ブランド)が大好きだったこと、またLAでのバイヤー時代の経験が活かされました。リーバイスへの憧れはとても強く、子どもが生まれたら1stジージャンを着せたいと思って、子供を授かる数十年前に用意していたほどです。リーバイスでの仕事も素晴らしい時間でした。

リーバイスでの経験は、海外の有名雑誌に取り上げられ、表紙を飾った。

大坪流の幸せ、心地よさの定義とは

― 大坪さんは、ファッションを中心にしながらジャンルを超えてさまざまなことをやっていらっしゃるので「職業名」がつかないですよね。帰国後はライフスタイルマガジンにも寄稿されて。大坪流のライフスタイルとは何なのでしょう。

幸せとは、決して物質的なものではない、ということでしょうか。しかし気に入ったモノや人が自分のまわりにいることでより幸せを感じられるかな、と。

今、私が幸せを感じるのは、朝、まず目が覚めることが幸せ。起きたら朝食のセッティングをするのが幸せ。といっても朝食は作らないんですけどね。大切な家族のために何かができること、それが幸せなんです。3.11とか、最近だと戦争とかコロナとか、何か大きな出来事があると、人にとっての幸せの物差しって変わりますよね。

私は今66歳なので、平均寿命まであと14年くらいだと考えると、その時間をどう大切に生きるか。そんなことを考えるようになりました。

― モノやお金も大事だけれど、感性で人を幸せにする。その空間にいるだけで心地いいって、確かに素晴らしいことですね。

そういえば、こんなこともありました。百貨店の仕事を通じて、現在海外で活躍されている日本人の大学教授と知り合ったんです。「幸せになるために勉強するんだ、ということを学生に伝えたい」とその方がおっしゃっていて、とても共感しました。奇遇にも私の母校に新設される学部で教壇に立たれるとことに驚き、機会があればぜひ母校での講義に呼んでいただいて、教授と共に学生に話ができれば、と思っているところなんです。

幸せって自分のことだけじゃない。会社を経営していれば、社員もその家族も幸せになってほしいし、お客様にも幸せになってほしい。働くことは家賃を払う、生活することだけではないんじゃないか、と。

一人ひとりの価値観というか、そこを大切にすると小さな幸せが見えてくるかもしれません。たとえば私は、娘が幼い頃に小さな手で拾ってきた石を大切に飾っているのですが、それもささやかな幸せなんです。そういう感性はこれからも大切にしたいですね。

― 百貨店の仕事といえば、大坪さんと日本橋三越本店コラボのオーダーシャツも大人気ですね。これはどういった経緯でスタートしたのですか?

この出会いもおもしろくて、きっかけはInstagramなんです。私のフォロワーさんから「お会いしたいです」と連絡を頂いて。実は彼、日本橋三越本店のアシスタントバイヤーだったんです。シャツのオーダーメイドはアメリカ時代に経験があったので、早速、日本橋三越本店本館2階メンズフロアのパーソナルオーダーサロンに会いに行きました。シャツのオーダーっていくらぐらいでできるのかと伺うと、『約2万円くらいです』と。縫製技術も生地も素晴らしいオーダーシャツが約2万円からパーソナルオーダー可能なんて、衝撃でした。既製品だってもっと高いものがいくらでもあるじゃないですか。

オーダーシャツを注文する人は、体を鍛えている方、海外からの方、服にこだわりをお持ちの方や、既製服が合わないからという理由がほとんどということでした。パーソナルオーダーは、既製服を着られる人にもニーズが高い商品(サービス)だと思いましたし、新たな市場を獲得出来ると考え、ご一緒させて頂くことになったのです。今では関係者の方々のお陰でOtsubo Shirtsは常設になっています。時々イベントも開催されて、30代~80代、性別問わず幅広い層のお客様に出会う機会を頂いています。

インタビュー時に着用されていた「大坪シャツ」。大坪氏のこだわりがふんだんに散りばめられている。

出会いと縁、そして常識にとらわれない自由さから何かが生まれる

― すごくステキなコラボですね。NESTBOWLでは、さまざまなコラボレーションを応援しています。こんなコラボができたら、と考えていらっしゃることはありますか?

これまでいろいろな仕事に関わってきましたが、私はひとつのジャンルに特化したスペシャリストではありません。ただ守備範囲は広いので、コラボの可能性はたくさんあると思っています。いわゆる「多様性」と言われているものは、まだまだ具現化されていないものが多いので、何かできれば楽しいでしょうね。

コラボのポイントは、常識を一旦外して考えること。そこから何かが広がり、生まれていくのではないかと思っています。私の立ち位置は、「常識じゃない考え方」に寄り添っているだけなので、周囲から「どうしたらできる?」と問われたときに「こんな方法があるかもしれませんよ」と提案できれば、と。

企業、商品、サービス、何かに貢献したいとつねに思っているので、「大坪コンサルティング」にぜひお問い合わせいただけたらと思っています。

― お話を伺っていると、大坪さんは、本当に人とのつながりや縁を大切にされていると感じます。

出会いは本当にありがたいものです。私は、お礼のメールや手紙はまめに書くように心がけています、名刺をいただいたら日時と何のためにお会いしたかを必ずメモしています。今は相手との連絡手段がたくさんありますよね、SNSでもなんでもいい。繋がりは大切にしています。

― 海外で長く仕事をされていらしたお立場から、最後にメッセージをいただけますか。

日本をスタンダードに考えず、他国と日本の違い、たとえばそれぞれの長所をよく理解しておくことが、仕事をうまくすすめるコツだと思います。日本の常識は世界の常識ではない事も多いですね。ただ、そういうことって海外に行ってみないと体感しづらいことでもあると思います。ようやくコロナも落ち着いてきましたから、特に若い人にはチャンスがあればどんどん海外に出て行ってほしいですね。

「これまでの経験や人との出会い、学んだことでしあわせの伝承ができる」とインタビューを締めくくった大坪氏の言葉には、愛を感じることができた。

大坪さんとのコラボレーションにご興味をお持ちの方はこちらからお問い合わせください。

取材:伊藤郁世
撮影:Takuma Funaba

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大坪洋介

大坪洋介

大坪洋介(おおつぼ・ようすけ)
ファション ライフスタイル コンサルタント