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ネイティブアメリカンの技法を用いたオリジナルのインディアンジュエリーに込められた想い

ネイティブアメリカンの技法を用いたオリジナルのインディアンジュエリーに込められた想い

手作業で細部にまでこだわり抜いたクオリティの高さ、そして自然を感じさせながらもどこか都会的なセンスを感じさせるデザインが、国内外から高く評価されている「TARO WASHIMI」。このインディアンジュエリーブランドはどのようにして誕生し、なぜ多くの人々の心を惹きつけるのか。クリエイションへのこだわり、次世代への想い。ブランド運営会社の代表であり、デザイナーである鷲見太郎氏のアトリエを訪ね、作品のインスピレーションの源泉などについてお話を伺った。

鷲見 太郎さん/株式会社 earthed-labo 代表取締役 兼 ジュエリーデザイナー
東京都立川市生まれ。画家の父とピアノ教師の母という芸術一家に生まれ、幼少期から優れたアート作品やアーティストたちに親しみながら育つ。10代後半からレザー作品の製作を開始。その延長線上でネイティブアメリカンインディアンジュエリーと出会い、強く惹かれるようになっていく。バックパッカーの旅、インディアンジュエリースタジオ勤務などを経て、2009年、ブランド「TARO WASHIMI」を立ち上げ、2016年に法人化。国内はもとより、海外からも高い評価を受けている。

芸術一家に生まれ、アートは常に身近にあった

― 鷲見さんは芸術一家に生まれ育ったそうですが、幼少期の頃からアートにふれたり、感性を高められるような体験機会は多かったのですか。

父親が画家、母親がピアノ教師だったので、そういう機会は本当にたくさんありました。父にはお弟子さんも多く、お酒が好きな画家や彫刻家の方達が集まって飲んでいるところに、幼い僕がちょこちょこ入っていったり、アーティストたちの展覧会を観に行ったり。それが当たり前のような環境でした。その影響もあってか、時間があれば自分で何かを作って遊んでいた記憶があります。

ただ、両親からは、「作品をこうやって観ろ」「アートはこう感じろ」とは一切言われませんでした。むしろ「自由に自分を表現しろ」と。自由にのびのびとモノを作ったり、絵を描いたりする幼少期でしたね。

― その頃から、将来は自分もアーティストになろうと思っていたのですか。

全く思っていませんでした(笑)。成長してティーンエイジャーになってくると、親よりも自分の周囲の環境からの影響が大きくなってきますから。僕の周りには、中学卒業後は大工になるとか、職人になりたいから弟子入りするとか、どこかでバイトするという人が多かったんです。自分もファミリーレストランやガソリンスタンドでバイトしたり。

ただ、僕がよく通っていたインディアンジュエリースタジオのオーナーの奥さんが以前父に絵を習っていたようで、遊びに行くとよくしてくれて。「レザーの端材をあげるから、何か作ってごらん」という感じで教えてくれたんです。

当時コインを付けたベルトが流行っていたので、そういったものの材料を手配してくれたり。自分でコインを叩いて膨らませて金具を取り付け、それをベルトに付けて知人に売ったりと、10代後半からものづくりはやっていました。レザーに合わせるパーツづくりから、指輪、ペンダントトップと、ものづくりが広がっていった感じです。

独学で身につけたデザインと技術。ジュエリーを楽しむシチュエーションを大切に

― ジュエリーデザイナーになったきっかけは?またデザインや技術についてはどのように磨いていったのでしょうか。

きっかけは母の他界です。そこで本気でやろうと心を決めたのです。2009年、僕が35歳の時でした。ジュエリーデザイナーとして独立し、「TARO WASHIMI」ブランドを立ち上げ、2016年に法人化しました。

デザインや技術は独学で習得しました。20代半ばから3年間、先ほどお話したジュエリースタジオのスタッフとして働いたのですが、モノをクリエイトするということに関しては全然教わっていないんです。

スタジオのオーナーも元々はレザー作品で世に出た方で、銀細工に関しては独学。だからスタジオの仕事をしながら、デザインやどうやったらカタチになるのかを自分で試行錯誤しながらつくっていきました。今もそうです。むしろ、それが手づくり感や人間味みたいなものになって、僕の味や僕にしか出せないおもしろさになっているのではないかとも思います。

― ブランドづくり、ものづくりにおいて大切にしていることは何ですか。

僕らしさ、こんなものがあったら楽しいよねという観点。そしてデザインをどんなシチュエーションで楽しむかを大事にしています。バケーションしている時に楽しめる、でも都会的なレストランでの食事に身につけていってもしっくり馴染む、自然にも都会にも融合できる…そんなデザインです。

僕のジュエリーはインディアンジュエリーの技法を用いていますが、そのデザインはさまざまな要素を取り入れており、「ずっと身につけていたい」と思えるものをつくりたい、だからしっかりとつくり込む。飽きのこない造形にすることが大事だと考えています。

ジュエリーはずっと残るものだから、後で後悔しないデザインをクリエイトすること。高いレベルでいろいろなものを融合できるところが自分らしさなのかなとも思います。発想力がおもしろく、形の美しさ、精巧さといったクオリティの高さでも驚きを与えられるような。確かな技術に立脚した独自表現の追求ということでしょうか。

他の真似はせず、自身のオリジナルを追求することで新しいデザインを生み出していく姿は生粋のクリエイターだ。

物事に固執せず、間口を広く。音楽がクリエイティビティを高めてくれる

― クリエイションをするうえで、日頃から意識されていることありますか。

特別意識していることはないんです。ただ、間口は広く持つようにはしています。たとえばランニングも、コースを変えて、いろいろな景色を見ながら走ったり。そういう経験が何のデザインになるのかと聞かれても、はっきりとは答えられないけれど、ふわっと湧いてくるイメージを光と陰で表現したりとか。あまり固執して物事を考えないことでしょうか。

あとはとにかく何でも徹底的にやってみる。ランニングはコロナ禍になってから始めて2年くらい経つのですが、レースにも挑戦しています。

― 月に100km走るそうですね。日課にされているのですか。

僕の年齢で筋肉や疲労の回復を考えると、1日おきに走るのがちょうどいいんです。1回に走る距離は7~20km。ランニングというのは脳の発達によいらしく、海馬への刺激によってクリエイティビティや気持ちにポジティブな影響をもたらすそうですよ。

― その他に普段から取り組んでいることは?

僕は音楽がないとだめ。音楽がクリエイティビティを高めているところがあります。25、6歳の頃、テクノ音楽のイベントが国内外で開催されていて、それを回るバックパッカーの旅もしました。訪れたのはタイ、カンボジア、マレーシア、オーストラリア、インド。音楽を聴いていると、その時の風景や出来事を思い起こさせてくれたり、新しい可能性を開いてくれたりするんです。だからいつも音楽を聴いています。

バックパッカーの旅では、異なるカルチャーや伝統、歴史にふれたことも大きかったですね。たとえばインドでは、子どもの頃から労働している。物乞いの子どももたくさんいます。物乞いにもタイプがあって、「お金がない」「貧しい」と英語で書いた紙を見せてお金をねだる子、掃き掃除など何らかの仕事をしてその対価としてお金を求める子など。

インドの小さな子どもたちはそうやって家族に対してお金を作っているということに衝撃を受けました。その時感じた経験に、僕の中で働く意味について考えさせられ、今の僕の原動力にもなっていると思います。

20代のバックパッカー旅で生きることや働くことについて考える機会を得たと語る。

いち早くインスタグラムで情報発信。海外での人気に火がついた

― 台湾や中国など、海外でも「TARO WASHIMI」ブランドの人気は非常に高いですよね。ブランドをどのように展開されていったのですか。

最初に始めたのはヤフオク!です。ニコンのD90など機材も揃えて自分で撮影し、ヤフオク!で売ったところから人気に火がついていった感じです。その頃からインスタグラムも始めました。製作工程を見せたりして。Webストアをスタートしたのは2009年なので、それ以前からですね。

まだ日本ではインスタグラムは今ほど認知はされていなかったと思いますが、海外の方々の目に留まったんですよ。フォロワーもどんどん増えていきました。

初めての海外のバイヤーが台湾の方で、最初から大量購入してくれました。その後、香港、マカオ、中国へと購買層が広がっていきました。

― 中華圏での人気の理由については、どのように捉えていますか。

中華圏では日本や欧米の良いものや技術、デザインを取り入れようとする流れがあります。特にオシャレや流行には敏感で、それぞれの好きなものを見つけては身につけることが好きな方々が多い印象です。ルイヴィトンやブルガリ、カルティエとかも人気がありますし。そうしたブランドとミックスアップして身につけられる僕のデザインが受けているのだと思います。

また、インディアンジュエリーというとターコイズが一般的ですが、そこに自分なりのテイストを加え、ネイティヴアメリカンジュエリーに違うテイストを入れ始めたのは多分僕が最初。僕は登山、特に冬山が好きで、あのマイナス20度の青空のキラキラ感をどう表現しようかと考えて、チョイスしたのがオパールだった。人に見せるためではなく、自分の“好き”という感覚を大事にしたらそうなったんです。最近は、パライバトルマリン、ダイヤモンド、タンザナイトなど高価なジェムストーンもよく使っています。

ベースにあるネイティブアメリカンの文化を尊重しつつ、新しいテイストを打ち出しているところが評価されているのかもしれませんね。海外の方々だけでなく、国内の方々にも僕の想いが伝わっている気がします。

取材時に身に付けていたご自身の作品。既存の考えにとらわれることなく、トレンドを作り続けている。

技術は後からついてくる。自分自身を守ることを大切にしてほしい

― 次世代の育成について伺います。どのように教育指導をなさっていますか。

最初は僕が付きっきりで教えていましたが、今は先輩スタッフが後輩スタッフを教えてくれるので、僕はモチベーションの部分や当社の考え方、どう働くべきかといったところを伝えています。

いちばん最初に言うのは「あなた自身を守りましょう」。怪我はダメだよと。あなたがいちばん大事だよというところから始めるんです。「あなたの身体とあなたの家族とのつながりを大切にしなければいけない。あなたの身体や目や指を怪我したらいろんな人が悲しむ。だから面倒かもしれないけれど、きちんとルールを守って仕事をしましょう」と。技術は後からついてきますから。

― 今後のブランド展開について、どのような展望を見据えておられますか。

私にしかできない仕事を続けていきたいと思っています。新しいデザインを考えたり、新商品の企画をしたり、より高度な技術を追求したり。例えば、ジュエリー以外にアイウェアや洋服のデザインもしてみたいと思っています。自分の創造力をカタチにして、人に伝えるのが僕の仕事ですから。

― ジュエリーの枠を超えて、新しいチャレンジをし続けるということですね。

そうですね。また、コロナ禍以前に、日本各地、香港、マカオ、台湾、中国など各地で展開していたポップアップストアを、近々再開していく予定です。みなさんに喜んでいただけるような企画を練っているところですので、より力をつけた僕を見に来ていただけたらうれしいですね。

新しい挑戦をしながら常に進化を続けている「TARO WASHIMI」。現在、28の取扱先を持ち、国内では伊勢丹や阪急デパートにも展開している。今後の活動にも目が離せない。

文:カソウスキ
撮影:Takuma Funaba

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