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40年以上BEAMSとともに歩んできた人生。ひとつの会社の歴史そのものに関わる想いと、仕事への情熱、流儀とは。

40年以上BEAMSとともに歩んできた人生。ひとつの会社の歴史そのものに関わる想いと、仕事への情熱、流儀とは。

1981年、大学入学と同時にBEAMSでアルバイトを始め、以降40年以上同社に在籍し、BEAMSの生き字引とも称される窪氏。転職や独立によってキャリアアップする人材が多いファッション業界において、一貫してひとつの会社で仕事をする意義とは。BEAMSや仕事への想いについて話を伺った。

窪 浩志さん/株式会社ビームス取締役 株式会社ビームスクリエイティブ取締役
1962年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代からBEAMSでアルバイトを始め、卒業後に入社。「インターナショナルギャラリー ビームス」ショップマネージャー、「BEAMS BOY」初代ディレクター、メンズカジュアルの統括、ビームス創造研究所クリエイティブディレクター、社長室室長などを歴任。数々のコラボレーション企画や新規ブランドの立ち上げに携わる。神戸芸術工科大学客員教授、(一社)日本流行色協会「JAFCAファッションカラー」選考委員。

大学時代からBEAMS一筋

― 窪さんとBEAMSとのかかわりは、40年を超えているのですね。

服が大好きで、BEAMSのショップには高校時代からよく買い物に行っていました。その店で姉の友人が働いていて、「大学生になったらアルバイトにおいで」と。大学入学と同時にBEAMS店舗でアルバイトを始め、大学卒業後、そのままBEAMSに入社しました。

現在、BEAMSは洋服屋というより、広くカルチャーを発信するライフスタイルショップのような規模になりましたが、入社した当時は「商店」のような感じでしたね。まさかこんなに大きな会社になるなんて、想像もしていませんでした。

― 窪さんは、長年に渡ってBEAMSの成長をずっと見てきたわけですが、BEAMSがさまざまな事業に派生していった過程はどのような感じだったのでしょう。

BEAMSから新しいものが立ち上がる過程は、ものすごくシンプルです。簡単に言えば、世の中のニーズを察したスタッフからの提案が新しいものにつながるという流れです。

たとえば僕は、98年にウィメンズカジュアルのレーベル『BEAMS BOY』の立ち上げを担当しましたが、その背景も「観察+提案」です。当時の渋谷界隈はアメカジの古着ブームで、渋谷の店舗「ビームス 東京」だと、メンズのアメリカっぽいオリジナル商品に対する女性のお客様からのニーズがとても高かったんです。それなら約100品番あったメンズのオリジナルアイテムの中、25品番を女性でも着れるようにサイジングを小さくし、それを売るウィメンズの店舗をつくってみてはどうかと会社に提案してみたら、「それ、いいね」と。

ただ、僕はずっとメンズカジュアルをやっていきたいと思っていたので、ウィメンズを担当する気持ちはなかったのです。ところが出張先のイタリアで、上司から「今やっている仕事からは外れて、次は自分が提案したウィメンズをやってみろ。社長も窪に任せたいと言っているから」と突然言われました。それが、『BEAMS BOY』につながったのですが、あの時の驚きは今も鮮明に覚えています。でも、このようにいきなり思いもしない仕事を任されることって、「BEAMSあるある」だったんですよ(笑)。

BEAMS BOYを立ち上げた当時の渋谷の店舗

印象に残る仕事は、幼稚園の制服と、槇原敬之氏の衣装デザイン

― その後も窪さんは、さまざまな企画を立ち上げ、発信されていますが、窪さんにとって印象に残っている仕事や代表作は何でしょう。

いろいろありますが、最近の仕事だと、東郷幼稚園の創立70周年記念制服を手掛けたことが印象に残っています。

BEAMSの本社が移転して、原宿の東郷神社に隣接するようになった頃、社長室室長になったのですが、その頃から東郷神社さんとご近所づきあいをする関係に。そこであるときお守りのデザインを頼まれました。原宿といえばクレープだと思い、クレープのパッケージをイメージしたピンクとサックスブルーのボーダー柄のお守りを提案したところ、なんと宮司さんから一発OKをいただいて、ちょっとびっくりしました(笑)。今もこの「しあわせ守」は定番のお守りになっていて、人気なんですよ。

そうしたご縁から、昨年の創立70周年記念に、東郷幼稚園の制服デザインを依頼されました。園の制服としてはあまり他にはないデザインだと思うのですが、こちらも東郷神社さんからはNGがなく、園児や保護者の方々にも好評なんです。伝統ある幼稚園の歴史の節目に制服をデザインできたなんて、とても嬉しかったですね。

創立70周年を記念し、窪さんが一からデザインした東郷幼稚園の園服

― アーティストの槇原敬之さんがツアーで着用する衣装も、長年手掛けていらっしゃいますね。

かれこれ10数年担当しています。槇原さんは、プロの僕にも敵わないほど服が好きで、誰も知らないような国内外のマイナーブランドにも詳しいんですよ。一緒に仕事をしていて楽しいですし勉強にもなります。

毎回ツアーが始まる前に、槇原さんから提示されたイメージに基づいて、服のデザインを絵型にして提案しています。バンドの方々が着用するものも含めてやっているので、彼らのステージの衣装はすべて皆が気に入ってこだわりを持ったものなんです。最近は、ライブ中に僕がステージに呼ばれて衣装のコンセプトの説明もするんですよ。衣装の説明があるライブなんて、世界でも類を見ないでしょう(笑)。だからこそ衣装もライブの一部になっていることがファンにも伝わるし、衣装を通じてみんなが幸せになれるような不思議な空間がライブ会場全体にできあがっていて、毎回感激します。とてもやりがいがある仕事ですね。

ライブ会場でステージに登壇している様子

アイディアの源は「お題」と「お客様目線」

― 長年に渡ってクリエイティブに関わり、数々の「こうきたか!」を生み出している窪さんですが、ご自身のクリエイティビティの源とは何なのでしょう。

もっとも大切にしていることは、クライアントからいただく「お題」です。つまり、お客様が思い描く「こんなものが欲しい」というイメージですね。お題に応えられるデザインとは?機能とは?ということを何よりも重視して考えます。お客様目線をいかに大切にするかがポイントで、自分本位のデザインではダメだと思っています。

そのうえで、ただお題に応えるだけでなく、プラスαのひらめきを加えることも欠かせません。デザインが出来上がったとき、クライアントにとって、当社代表の設楽がよく言うキーワードの「こうきたか!」を、感じてくれるインパクトをプラスする。それが僕のデザインの源であり、流儀ですね。

― クリエイティブの仕事をしている方は、むしろ自分本位であることを大切にするというイメージがあったので、今の窪さんの答えは正直言って意外でした。

いや、僕はずっとこうしてきました。昔から変わらないです。なぜこうなったかというと、BEAMSにいることも無関係ではないと思います。というのもBEAMSの原点はセレクトショップなので、0から1を作るというよりは、1を1000にするのが僕らの仕事だったんです。僕は、BEAMSでのキャリアを通じて、たくさんの優れた洋服と出会ってきたから、いろんな服のデザインができるだけで、例えて言うならDJと同じかもしれません。場の雰囲気、つまりお客様の動向を見ながらタイミングを見計らって、その時代にマッチするデザインを発信する。お客様には気に入ってもらわなければなりませんから、お客様のことをよく観察して知ることが大切なんです。

本当に好きなことを仕事にできる楽しさ

― 転職が当たり前の世の中で、窪さんはずっとBEAMS一筋ですよね。なぜ40年以上もひとつの会社に寄り添うことができているのでしょう。

社内のいろいろな立ち位置でさまざまなことを発信する役割に恵まれたからだと思います。大好きな洋服だけじゃなく、いろいろな「コト」でもお客様が豊かになることに気づかせてくれた。そんな会社だから続いているのかな、と。そして何より一番の趣味であり、一番好きなことが「服」であることも、長続きの秘訣かもしれません。

― 一番好きなことは仕事にしない、という方も多いですが。

一番好きなことって、熱量が落ちないじゃないですか。僕は「服バカ」だから、服の仕事に関わっていると、本当に楽しいし、飽きないし、やりがいもある。

今、いくつかの学校で授業も担当しているのですが、学生たちにはいつも「商品企画をするときには、必ず自分の好きなことや趣味をのせて考えよう」と伝えています。学生が最初からマーケティングだけを重視していると失敗するかもしれません。もちろん、マーケティングでお客様を知ることは重要ですけどね。ただ、もっと自分の「好き」を大切にして、そこを軸にスタートしたほうが長続きするし、熱量も落ちないと思うんです。

― 最後に、窪さんにとってBEAMSとは?

人生そのものでしょうか。好きな部分もあるし、嫌いな部分もあるけれど、まさに自分にとっては人生ですね。不良っぽかったり、ダメそうなスタッフもいっぱいいるんですけど、そんなスタッフこそ、素晴らしい接客をしたりね。おもしろい会社です。

文:伊藤郁世
撮影:Takuma Funaba

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