世界のビールファンを魅了せよ!日本が誇るクラフトビール「ISEKADO」成功の歩みとこれから目指す未来 NEW
ビール界のオスカーとも称される世界的なコンペティションで、4大会連続金賞を受賞するなど快挙が続くクラフトビールブランド「ISEKADO(伊勢角屋麦酒)」。伊勢神宮近くに本社・醸造所を構え、現在は科学的アプローチを採り入れた商品開発や海外でのビールづくりにも力を入れる。代表を務めるのは、450年続く老舗和菓子店・二軒茶屋餅角屋 本店の21代目・鈴木成宗さん。家業の伝統を守る傍ら、クラフトビール事業を立ち上げた理由とは何だったのか。世界一を獲得するために行ったこと、売れない時期に学んだ教訓、昨年実現したインドでの展開や今後目指す未来について語っていただいた。
鈴木成宗(すずきなりひろ)さん/有限会社二軒茶屋餅角屋本店 代表取締役社長
1967年、三重県伊勢市生まれ。東北大学農学部卒業。1575年(天正3年)創業の家業・二軒茶屋餅角屋本店に入社。1997年、クラフトビール製造販売事業「伊勢角屋麦酒」をスタート。2003年、「Australian International Beer Awards」金賞を受賞。「INTERNATIONAL BREWING AWARDS」で2017年、2019年、2021年、2024年連続金賞受賞。酵母の可能性に魅了されるあまり、40歳を過ぎてから三重大学大学院に入学し、博士号を取得。2023年、インドに進出。現地のメーカーと組み、日本産のブランドビールとして製造販売を開始。
“微生物好き”が高じて、新事業を立ち上げる
― 鈴木さんの幼少期から、家業を継ぐまでの経緯をお教えください。
幼い頃から家業の二軒茶屋餅角屋 本店を間近で見て育ちました。周囲の人からは「角屋くん」というあだ名で呼ばれ、家業を継ぐものと思われていましたし、私自身もそれが当たり前だと感じていました。ただ新しいことが好きで好奇心旺盛な性格だったので、大学では大好きな微生物の研究に没頭していました。それこそ、研究職への憧れもあったくらいです。しかし祖父の死をきっかけに一度家業を継ぐことを決意し、伊勢に戻りました。
家業へ戻ってからは、餡焚きやきな粉を振る作業などから始めました。しかし、それらは子供時代に行っていた作業と変わらず。この先も恒常的な家業のみを続けるのは、自分の性格的に難しいと悟りました。最初は二軒茶屋餅の変革を考えましたが、二軒茶屋餅の価値は“変わらない良さ”。二軒茶屋餅の伝統を守りながらも、自分自身が新しい挑戦をする場をつくるべきだと思いました。
― 挑戦の場として、なぜクラフトビール事業を選ばれたのですか。
幼少期から大好きだった微生物を活かせるものにしたいと考えたんです。1994年、酒税法の改正によってクラフトビールの製造が可能になったことを知り、ピンときましたね。ビール酵母という微生物と遊びながら、自由にものづくりができる点、さらにビールを通じて海外とも繋がれる可能性がある点が自分の性格ともマッチしました。そして、1997年に「伊勢角屋麦酒」をスタートさせました。
― クラフトビールの国際審査員としてもご活躍されています。審査員になった理由は何でしょうか。
クラフトビール事業の創業当時、「二軒茶屋餅の跡取りとしての私」には信頼があっても、「クラフトビール事業での私」には信頼はありませんでした。営業もことごとく失敗です。だから信頼を得るために世界一を目指そうと決め、さらに“最短距離”で実現させたいと考えました。どれだけ良いものでも、“ゆっくり”だと絶対に世界一にはなれません。まずは「世界一を選ぶ側(審査員)」になって、プロの審査員の目線や評価軸を知ることが重要であると思ったんです。その考えから、創業した年に国際審査員の資格を取得し、3年目には全米大会の日本代表審査員に選ばれました。
また、社員たちにも「一生かけてビールを作るのなら、世界一を目指すべきだ」と伝え続けています。富士山ではなくエベレストを目指そう、という考え方です。それは単にタイトルを取ることが目標ではなく、自分たちのビールの世界観を確立するための通過点でした。
微生物と遊ぶような感覚で始めたビールづくりは、今では多くの国際的な賞を受賞するまでになり、私たちの強みとして確立されています。
世界タイトル獲得後に学んだ教訓「お客様の声をきく」
― 審査員として見る目を養ったこともあり、数々の賞を受賞されましたね。
1997年のスタートから、6年をかけて世界大会で金賞を受賞しました。当時のクラフトビール業界において、国際的なタイトルの獲得は非常に希少なこと。これで「伊勢角屋麦酒」のクラフトビールも売れると思っていました。しかし期待とは裏腹に、受賞後もビールの売り上げはほとんど伸びませんでした。そこで初めて、「良いものをつくるだけでは商売は成り立たない」という現実に直面しました。
― 直面した現実に対し、どう対応していったのですか。
売れない原因を探るために、自らビールを持って伊勢神宮前の参道に立ち、直接お客様に販売することにしました。
サーバーから注いだビールはお客様に喜んでいただけたのですが、お土産に瓶ビールをおすすめしても「瓶だから、お土産として持ち帰れない」と断られたのです。これは私にとって大きな気づきでした。品質の観点からすべて瓶ビールで冷蔵販売を行っていましたが、観光地のお土産としては非常に扱いにくい商品だったのです。その声を受けて、私は参拝客向けに常温保存が可能な缶ビールの発売を決めました。
一方で、クラフトビールのコアなファンに向けては、徹底的にこだわった高品質な商品を提供する必要があることも感じました。こうした2軸のターゲットを意識した商品展開が、やがて売り上げを伸ばすきっかけになりました。
― 現場での手売りが大きな学びとなったのですね。
そうですね。現場に立つことで、「お客様が本当に求めているものは何か」を直接感じることができました。お客様に寄り添い、そのニーズに応えるための商品づくりを行う。それがこの事業を成功させるためのカギであり、私が学んだ大切な教訓です。
450年の歴史を守るのは、変化と不変の両立
― 今年、二軒茶屋餅角屋 本店は450周年を迎えられますね。
450年もの長い歴史を積み重ねてこられた理由は、伊勢という土地柄や創業地の立地の良さ、そして時代の変化に合わせた柔軟な事業展開ができたからでしょうね。家業の歴史を辿ると、代々受け継がれてきたものを守りながらも、4~5代に一度は革新的な挑戦をする人物が現れました。
例えば、味噌醤油業や造り酒屋、旅籠など新しい事業展開を行いながらも、家業である二軒茶屋餅だけは決して絶やすことなく守り抜いてきた。その「変化」と「不変」の両立こそが、450年の歴史を紡いできた原動力だと思います。
― 「伊勢角屋麦酒」の強みは何でしょうか。
最大の強みは、微生物に対する尊敬や憧憬の念がとても強いことです。博士や修士を持ったスタッフが多く在籍していますし、私自身も博士号を取っています。 だからこそ、大学や研究機関とも連携し、科学的アプローチを採り入れた商品開発にも力を注いでいます。その一例が、島津製作所との共同研究ですね。
こうしたアカデミックな研究開発は、単なるビールの製造にとどまらず、クラフトビールの新たな価値を創造していくでしょう。この強みはどこの会社にも負けないと自負しています。
ビールの世界を、もっと面白くする!
― 最後に、鈴木さんが考える今後のビジョンについて教えてください。
創業当初は、正直なところビジョンや経営理念といったものは一切ありませんでした。本当に、「酵母と遊べるから楽しい」という理由でビールづくりを始めたんです(笑)。ただ、会社が成長するにつれて、自分の視座が少しずつ変わっていきました。今は、ビールの世界を私たちがもっと面白くできたらと考えています。これは国内だけではなく、海外のビールシーンでも同じです。
― 海外への展開についても積極的に考えていらっしゃるのですね。
そうです。現在、インドでの現地生産やベトナムでのOEM生産を進めているのも、このビジョンの延長にあります。私たちが海外でビールをつくることで、その地域のビール文化に影響を与えられる存在になりたいんです。
社員たちともよく話しているのが「もし、ビールの歴史という本があったら、100年後にその1ページに伊勢角屋麦酒の名が載るような会社になろう」ということ。ビールの歴史は、約6,000年と記録されていますが、おそらく起源は1万年ほど前、人類が農耕を始めた頃にさかのぼるとされています。その中で、私たちが今後何か新しい価値を残せたら、それほど喜ばしいことはありません。世界中の人々にビールの新たな魅力を伝え、ビールの世界をより豊かで面白いものにしていきたい。それが私たちの目指す未来です。
文:金井 みほ
撮影:加藤千雅