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時間を止めて市場を変えた時計師──エドワード・ホイヤー

時間を止めて市場を変えた時計師──エドワード・ホイヤー NEW

F1、ル・マン24時間、インディ500。速度と緊張が交錯する現場で、鼓動を刻み続けるスポーツウォッチの精度と耐久性は、今日のタグ・ホイヤーを語るうえで欠かせない。現在、LVMH傘下にある同ブランドは、モータースポーツとの強い結びつきを通じて、マーケットで独自の個性を築き上げてきた。

今や最高峰の一角を占める時計ブランドの原点は、1860年にスイス・サンティミエで時計工房を開いたエドワード・ホイヤーにある。彼は、当時の時計技術に革新をもたらすと同時に、その発明を用途へと翻訳する視点を持っていた。

この記事では、エドワード・ホイヤーが築いた「技術と市場の接続」という思想を起点に、タグ・ホイヤーというブランドが築かれてきた歴史を振り返る。そしてそこから、現代を生きる私たちへのヒントを探していく。

創業者であり発明家は、技術のその先にたどり着く

1860年、スイスのサンティミエ。この地に、エドワード・ホイヤーは「エドワード・ホイヤー・アンド・カンパニー」を設立した。小さな時計工房は、腕時計を精密機器として進化させる数々の発明を生み出した。その中でも、1887年に特許を取得した「振動ピニオン」は、現代に至るまで多くのクロノグラフに応用され続けている。なお、現在のブランド名「タグ・ホイヤー」となるのは、1985年にTAGグループに買収されてからである。

クロノグラフとは、ストップウォッチ機能を備えた腕時計のこと。今では一般的な機能のひとつだが、19世紀当時はまだ開発途上にあり、極めて高い精度と耐久性が求められる先端技術だった。特に「スタート」「ストップ」「リセット」という操作を正確かつ瞬時に行うには、わずかなズレも許されない歯車の噛み合わせと、精巧で安定した構造設計が求められた。

エドワードが開発した振動ピニオンは、クロノグラフの仕組みを大きく前進させる画期的な発明だった。複雑な構造を簡潔化し、操作も容易にしたことで、作動はよりスムーズかつ信頼性の高いものとなり、計測器としての性能は飛躍的に向上した。

ちょうどその頃、1880年代にはスポーツ競技会が急速に広がり、正確な計時への需要が高まっていた。ホイヤーは懐中クロノグラフの生産を拡大し、1887年には振動ピニオンの特許を取得。この技術革新が加わったことで、クロノグラフは「技術のための技術」ではなく、現場で選ばれる道具へと進化していった。

技術を「誰が・どこで・なぜ使うのか」まで想像する探究心が、クロノグラフの精度を高めたのではないか。エドワードは、職人であると同時に、先見性ある実業家でもあったと実感させられる。

技術は用途と結びつくことで初めて社会に根づき、タグ・ホイヤーというブランドの核を形づくった。それは単なる機能の提供ではなく、使う人の課題を解決し、信頼を積み上げる道筋だった。

1860年にエドワード・ホイヤーが創業した会社は「家族経営」と「技術革新」という2つの基盤を拠り所としていた。(画像:タグ・ホイヤー公式サイト)

発明をマーケットに流通させる時計師

エドワードの歩みを語るとき、欠かせないのは「発明を世界へ届ける力」である。彼は工房に閉じこもる職人ではなく、自ら市場へ踏み出し、技術を社会に流通させる道を探った。

その視野の広さは、早くから取り組んだ国際展開に表れている。

創業の地スイスを拠点としながら、エドワードはイギリスでの事業展開に加え、アメリカ市場にも販路を広げ、フランスをはじめとする主要市場へ積極的に歩を進めた。1876年にはロンドンに支店を開設し、1889年にはパリ万博で銀賞を受賞。クロノグラフの精密な技術が国際的に認められたことで、ホイヤー社は確かな存在感を示すに至った。

当時のヨーロッパにおいて、スイス製時計はすでに国際的な評価を得つつあったものの、イギリスやフランスと並ぶ存在であり、最高峰としての地位を独占していたわけではなかった。スイスは19世紀半ばには「世界一の時計生産国」として規模を誇っていたが、現在のように「高級=スイス」というブランド的評価が定着するのは、まだ先のことであった。

エドワードの業績は、後のスイス時計の価値を押し上げる一因になったと言える。

技術を開発するだけでなく、届ける。しかも、早く、正しく、広く。

そこには、職人の気質とは異なる、経営者としての感覚があった。

振動ピニオンのような発明を、いかに社会へ流通させるかを見据えていたからこそ、エドワードの技術は発明にとどまらず、「ブランドの資産」として蓄積されていったのである。 

つまり彼は、「技術が、誰が・どこで・なぜ使うのか」を想像すると同時に、「どの市場で・誰に向けて・どのように展開するか」を描いていた。技術と用途、発明と市場。その両面をつなぐ視点こそ、エドワードの真の革新性だったのだ。

エドワード・ホイヤー(画像:タグ・ホイヤー公式サイト)

スポーツから医療へ広がるクロノグラフ

クロノグラフの用途は、競技や工業だけにとどまらなかった。エドワードが見据えていたのは、「時間を正確に計測すること」が人間社会のあらゆる局面で必要とされる未来である。その未来は、彼の死後、現実になっていく。象徴するのが、医療の現場に投入されたクロノグラフだ。

1908年に特許を取得したクロノグラフは、医師による脈拍の計測を可能にした。ダイヤル上には脈拍を瞬時に読み取れる専用スケールが組み込まれ、医師はストップウォッチ機能を使って患者の心拍数を短時間計測するだけで、すぐに数値を把握できた。今日ではデジタル機器で容易に代替できるが、当時は画期的な「時の翻訳装置」だった。

ここで重要なのは、この発明が「ラグジュアリー」とは最も縁遠い場面に導入された点である。医療は、精緻な装飾や希少素材の価値とは無関係な世界である。そこに求められるのはただひとつ、「信頼性」だ。正しく作動すること。いつでも安定して計測できること。まさに命を支える道具として、クロノグラフが社会的役割を担った瞬間だった。

この「ドクターズ・クロノグラフ」は、売上規模で見れば決して主力ではなかったかもしれない。しかし、そこに込められた発想はブランドに深い意味を与えた。ホイヤーが作る時計は、単なる贅沢品ではなく、社会の要請に応える「実用の道具」。その姿勢が鮮明になったのである。

結果として、ホイヤーは二つの世界で信頼を築くことになる。ひとつはオリンピックやF1といった華やかな競技の舞台。もうひとつは医療現場という静かで緊迫した場面。その双方で培われた「計測の正確さ」は、ブランドの根幹を形づくった。

医師が脈拍を測る数秒。競技者がゴールを切る一瞬。そのどちらにも「時間を支配する技術」が応えている。そこにこそ、ホイヤーというブランドの本質が宿っていた。

「顧客を知る」だけでは不十分。顧客が直面する現場の空気を想像し、その時間を共に刻む視点が、エドワードが開発したクロノグラフには込められていた。

クロノグラフが医療計測にも革新をもたらした(画像:タグ・ホイヤー公式サイト)

1/100秒が、ブランド=記録と信頼を作った

エドワード・ホイヤーが1892年に亡くなったあと、工房を継いだのは息子のチャールズ・オーガスト・ホイヤーだった。彼は、父が遺した「技術と用途の接続」という思想をさらに推し進め、ブランドを「選ばれる存在」へと育てる道を選んだ。

象徴的なのは、1916年に発表されたマイクログラフとマイクロスプリットだ。マイクログラフは世界で初めて1/100秒単位の計測を可能にしたストップウォッチであり、精度そのものにおいて画期的な存在だった。一方のマイクロスプリットは、同じ精度を持ちながら、同時に走る選手のタイム差や中間タイムを計測できるモデルとして、実際の競技現場での利便性を高めていた。だが重要なのは、精度そのものではなく、「誰のために必要とされたか?」という点にあり、それはまさに父エドワードの意志を受け継ぐものだった。

チャールズは、スポーツ競技の現場に答えを見つけた。100分の1秒を競うアスリートにとって、従来の秒単位の計測では意味をなさなかった。そこでチャールズ率いるホイヤーは、1/5秒から1/50秒、1/100秒へと、スポーツに最適化した技術開発を進めた。

そして1916年のマイクログラフとマイクロスプリット発表からわずか4年後、1920年のアントワープ・オリンピックでホイヤーは公式タイムキーパーを務めることになる。その後もオリンピックでは1924年パリ、1928年アムステルダム大会で採用され、ホイヤーの技術は現場で実証されることでブランドの信頼を高めていった。

やがて用途はスポーツを超え、航空・自動車といった過酷な環境で活動するプロフェッショナルにも広がっていく。彼らが選んだのは、装飾性やステータス性よりも、「極限の状況でも確実に機能する時計」だった。ブランドは高級品にとどまらず、「信頼できる道具」としての存在感を確立していったのである。

ここで注目すべきは、ホイヤーが「誰に選ばれるか?」という問いを、実用の視点から捉えていたことである。プロフェッショナルの現場で機能することが、結果として「ブランドの社会的意味」を強めた。

技術は発明されるだけでは価値にならない。現場で使われ、信頼され、選ばれて初めてブランド資産となる。エドワードが築いた思想は、彼の死後も息子の手によって受け継がれ、プロフェッショナルの現場で実証されることで、現在のタグ・ホイヤーのブランド価値につながっていった。

タイムを極めるストップウォッチ(画像:タグ・ホイヤー公式サイト)

タグ・ホイヤーの原点は「誰のために」

エドワードが残した最大の教えは、「技術をどう社会に接続するか」という視点にあった。

その姿勢は、スポーツやモータースポーツ、航空、そして医療機器にまで及び、現場で試され、実証されてきた。発明が「現場で選ばれる道具」に変わったとき、ブランドは単なる製品ではなく、人々の信頼を背負う存在となった。

この視点は、私たち一人ひとりの働き方にも通じる。

どれほどスキルや知識を身につけても、「それを誰の、どんな課題に役立てるのか」を描けなければ、価値は社会に届かない。大切なのは、自分の強みを「翻訳」し、他者の現場とつなげる力である。

発明に終わらせず、実用へ。

機能にとどまらず、信頼へ。

このシンプルなプロセスを積み重ねることが、キャリアや仕事の持続性を高めていく。

エドワードの物語は、発明家や経営者の伝記にとどまらない。私たちにとっての問いかけでもある。

「自分の持つ力を、どこに届けるのか?」

「誰の信頼を得るために、どう役立てるのか?」

ブランドを築くことと、キャリアを築くことは本質的に同じ営みではないか。信頼を積み上げ、日々の現場で実際に役立つリアリティと結びつくことで、初めて持続する価値となる。

タグ・ホイヤーの始祖となったエドワード・ホイヤーは、160年を超えた今も問いかけ続けている。それは、誰のために、何を作り、どんな価値があるのかを。

エドワード・ホイヤーの「技術と用途の接続」の精神は、今もタグ・ホイヤーに息づいています。精密な計時と最先端のデザインに加え、お客様一人ひとりに寄り添うサービスを大切にしています。そんなタグ・ホイヤーで、あなたも「現場で選ばれる存在」として活躍しませんか。セールスアソシエイトとして、国内外のお客様にラグジュアリーウォッチの魅力を伝え、信頼と感動を届ける仕事です。語学力や接客経験を活かして、ブランドの価値を共に創っていくチャンスがあります。未経験からでも挑戦可能。詳しくはこちらからご応募ください。

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1860年の創業以来、時計製造のパイオニアであるタグ・ホイヤーは、技術革新と高精度の計時、そして最先端のデザインが融合した製品で、時の経過を形作ってきました。