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「売れない」と言われていた常識を覆し、スポーツ選手の本をミリオンセラーに導いた編集者 ヒット作は、フットワークと好奇心、リスペクトから生まれる|株式会社幻冬舎 メディア本部 雑誌局 ゼネラルプロデューサー 二本柳 陵介氏インタビュー

「売れない」と言われていた常識を覆し、スポーツ選手の本をミリオンセラーに導いた編集者 ヒット作は、フットワークと好奇心、リスペクトから生まれる|株式会社幻冬舎 メディア本部 雑誌局 ゼネラルプロデューサー 二本柳 陵介氏インタビュー

ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。第6回目は、株式会社幻冬舎の編集者でゼネラルプロデューサーの二本柳陵介氏にお話を伺う。二本柳氏はライフスタイル誌『ゲーテ』の創刊から携わりながら、ヒット作を作るのは難しい、と言われていたスポーツ選手著書の分野で、初のミリオンセラー(153万部)達成した編集者でもある。エーバルーンコンサルティング株式会社 代表取締役の代表である池松孝志氏が、数々のヒット作が生まれた背景、また二本柳氏ならではの仕事術や編集者としての軸などについてお話を伺った。

二本柳 陵介さん/株式会社幻冬舎 メディア本部 雑誌局 ゼネラルプロデューサー
集英社で編集アルバイトを経て、講談社『ホットドッグ・プレス』の編集を担当。2001年当時珍しかったブランドブック『NIKE FOOTBALL』を手掛け、即完売した。2004年幻冬舎入社。雑誌『ゲーテ』の創刊メンバーで2015年より5年間編集長を務めた。雑誌編集の傍ら、長谷部誠『心を整える。』、内田篤人『僕は自分が見たことしか信じない』、『ウチダメンタル』、中村俊輔『察知力』、桑田真澄『心の野球』、香川真司『心が震えるか、否か。』などのベストセラーも担当。時計ブランドや百貨店のカタログや、ゴルフ場運営会社『アコーディア』や『コーンズ』などの会報誌も手掛ける。

池松 孝志さん/エーバルーンコンサルティング株式会社 代表取締役
1980年生まれ。広島県出身。アメリカ留学時代、古着屋のディーラーとして全米各地を飛び回る。国内の紹介会社を経て、2008年にエーバルーンコンサルティングを設立。代表取締役として主にエグゼクティブ人材のサーチやM&A案件を担当。

パソコン通信で送った1通のメールがすべての始まり

―まず、二本柳さんが出版業界に入られたきっかけを教えてください。

大学生の時は、わりとぼーっとしていて。将来を考えた時、本と雑誌と写真が好きだったので、安易ですが編集者かな?と思っていました。当時、集英社の男性ファッション誌『メンズノンノ』に読者投稿欄があって、そこにFAXとパソコン通信のアドレスが書かれていたんです。それで「アルバイトをしたい」とメールを送ったところ、3ヶ月後くらいに編集者から「今いるアルバイトの子が1週間夏休みをとるから、手伝ってほしい」と言われて。自分で言うのもなんですけれど、結構チャキチャキ動いていたので、編集部内で「いいね、あの子」という話になったらしく、継続して働かせてもらうことになったんです。

当初は『メンズノンノ』編集部で雑用をしていました。そのうちに他の女性誌編集部のかたからも、「柳くん、こっちも手伝って」と頼まれるようになり、地方でファッションスナップして原稿を書いたりしていました。当時のカメラはフィルムでしたので、1日中、街角に立っても3人くらいしか撮影できていなくて、注意されていました(笑)「もっと撮れよ」って(笑)でも、ほとんど採用でしたから、効率と経費を両立させていたと自負しています。

二本柳氏のフットワークの良さは、この業界に入った当初からだった

―1通のメールから、今の仕事につながっていったのですね。

電話する勇気はなかったので(笑)。すっかり出版社の仕事に魅了されて、いくつか出版社を受けました。その中で、講談社が嘱託社員を採用する話があったんです。当時、武田正彦さん(タレントの山田五郎さん)が講談社にいらして、『ホットドッグ・プレス』の編集長になる時に、「一緒にやろう」と声を掛けてくださったんです。日本で一番大きな規模の出版社だから、ここで仕事をしたら勉強になるかな、と思って決断しました。

―その後、幻冬舎に転職された、と。

日韓ワールドカップのあとですね。『ホットドッグ・プレス』もファッション誌に移行するタイミングでもあり、自分の中で一区切りついたというか、違うことをしたいなと思って会社を辞めたんです。ある時、朝日新聞の求人広告の中に幻冬舎があって、「見城(徹)さんの会社で働いてみたいな」と思って応募しました。広告は本当に小さなスペースだったんですけれど、出版社が華やかな時代だったので、履歴書は1,100通ぐらい来たそうです。それで採用(1人!)となり、2004年から働き始めました。

見城徹氏の座右の銘
社内には幻冬舎の代表取締役社長である見城徹氏の座右の銘「正面突破」の書が飾られている

この人の本を作りたい!その情熱がミリオンセラー『心を整える。』を生み出した

―二本柳さんといえば、プロサッカー選手である長谷部誠さんの著書『心を整える。』を世に送り出されたことが有名です。この本は2011年に発売されて、スポーツ選手著書では初のミリオンセラー(153万部)を達成するという大ヒット作になりました。手掛けられた当時のことを教えていただけますか?

私が幻冬舎に入社したのは、ちょうど新しい雑誌を創刊する、という話があったからなんです。私は新雑誌の担当ではありますが、最初は新雑誌のコンセプト作りにはあまり参加していませんでした。それで時間があったので「書籍、僕も作っていいですか?」と言って、書籍を作ることになりました。普通の出版社ではありえないかもしれないですが、幻冬舎は許してくれました。最初に手掛けたのが、プロサッカー選手である中村俊輔選手の『察知力』という本です。当時は新書ブームが起きていて、また安易ですがそこに乗っかってみたかった。これは、23万部のベストセラーになりました。

それから料理研究家のケンタロウさんの本や女優の長澤まさみさんの写真集などを作っているうちに、雑誌『ゲーテ』が創刊されることになって。雑誌の創刊も大変なんですけれど、書籍を作る面白さを知ったので、これは継続したいと思ったんです。いわゆる二刀流です(笑) 意識していたのは、どこからも後ろ指をさされないように黒字にすることでした。雑誌に注ぐ時間と力を、少しでも書籍に使うわけなので。

―どんな方法で企画を通していたのですか?

社長の見城さんのところに行って、「こうしたいんです」と口頭でバーッと説明するんです。それで「面白いんじゃない?」と言ってもらったら、そのまま進める、という仕組みでやっていました。その方法は、今でも続いていますね。

『察知力』を手掛けた当時は、日本の出版界において「スポーツ選手の本は売れない」という認識がありました。実際、それまでヒット作はあまりなくて、書店での配置も悪かった。でも私は選手の生き方や考え方といったものが、部活をやっている子どもたちにはもちろん、ビジネスマンといった人たちにも響くのではないか、とずっと思っていたんです。だから中村俊輔選手の本がヒットしたことによって、それは確信に変わりました。

あとは単純にサッカーが好きなんですね。日本でワールドカップが開催されたり、ワールドカップでベスト16までいったのは、やはり漫画『キャプテン翼』の影響なんです。あれを読んで、中田英寿も中村俊輔もサッカーをはじめた。裾野が広がった。だから僕も何かサッカー界に貢献したいと思っていました。それが書籍作りでした。

長谷部選手との出会いは、2009年10月頃に行った『ゲーテ』の取材でした。当時、長谷部選手は目立つ存在ではなかったのですが、サッカー雑誌ではワールドカップ予想スタメンリストでほとんどの専門家から名前が挙がる存在であり、「この人はワールドカップで欠かせない人になりそうだな」と思っていたんです。そして実際にお会いした時、一瞬で「素晴らしい人だ!」と感銘を受けました。

―それはどういったところで感じられたのでしょうか?

長谷部選手をインタビューしている時、周囲がすこし騒がしかったんです。でも長谷部選手は私の目をしっかり見続けて、インタビューに真摯に答え続けてくれました。その姿を見て、私は「この人の集中力はすごい」と感動し、彼の本を作りたいと衝動的に思いました。お会いした当日の夜に企画書を書いて、マネージャーさんに送ったことを覚えています。

長谷部選手は「僕なんかが本を出せるとは思いませんけれど、ワールドカップが終わったら、相談しましょう」と言ってくれて。一般的な知名度はなかったので、私も企画を通すのは若干苦労したのですが、とにかく「この人の本を出したい!」という思いで燃えていました。そうしたら大会直前に日本代表の岡田武史監督から「長谷部誠をキャプテンにする」という発表があって。彼はリーダーにぴったりだから、「きた!」と思いましたね。数年後に岡田さんとゴルフをする機会があって「ありがとうございました」と伝えました(笑) 実際にワールドカップが始まったら日本は決勝トーナメントまで行って、長谷部選手はキャプテンとして大活躍。その直後、ドイツで取材を重ねて本を作っていったんです。

それで「3月18日に発売しましょう」と決まったのですが、3月11日に東日本大震災が起こって。長谷部選手からすぐに連絡が来て、「震災の時に自分の本を出すのは……」とおっしゃったので、こちらも「長谷部さんのお気持ちとしたら、そうですよね」と受け止めて1回電話を切りました。でもその時は、原発や福島の問題などいろいろあって、世の中の人たちの気持ちが揺れていた。皆がザワザワしている今だからこそ、まさに『心を整える。』というタイトルが当てはまるし、この本は多くの人の気持ちに寄り添えるはずだ、と思ったんです。それで翌日、もう一度ご連絡して最終的に当初の予定通り発行することに決まりました。

さらに3月29日に大阪で『東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!』という試合が行われました。その時、長谷部選手が非常に立派なスピーチをされたんです。それを聞いた人たち、特に30代、40代の女性たちが、「長谷部誠みたいな息子が欲しい」とか、「素敵な人柄!」という評価になって、そこからまた彼の人気が高まり、この本もどんどん売れていきました。すると長谷部選手は「印税を被災地に寄付する」と言われ、印税の全額1億円余りを日本ユニセフ協会へ寄付し、東日本大震災で津波にのみ込まれてしまった、宮城県南三陸町のあさひ幼稚園の園舎再建にあてたんです。ヒット記念にロレックスでもねだろうと企んでいたんですが、、、(笑)

―本日は『心を整える。』を作る際も参考にされたという、長谷部選手の記事をまとめたスクラップブックをお持ちいただきました。

ちょっと手法としては古いんですけれど。サッカー選手のインタビューは、もちろんサッカーの話題がほとんどですけれど、いろいろなヒントがあるかな、と思って。こういうのが4冊くらいあるんですよ。

スクラップブックは選手ごとに作っています。私は担当している雑誌の特性上、彼らの一部しか見れません。でもスポーツ記者は選手とずっと一緒にいるので、いろいろな面を知っている。その情報をなるべく逃さないようにしています。

スクラップブック
スクラップブックは、いつか選手のお子さんにプレゼントしようかと考えているそうだ

勉強のため風呂場に持ち込んだ時計雑誌は、何度も湯船に落とした

―『ゲーテ』は2020年、2021年に名刺アプリ「Eight」と株式会社テレビ東京と共に、オンラインイベント「Climbers(クライマーズ)」を開催しました。これはメディアになかなか出てこなかったトップランナーの方々から「難局をどう乗り越えたのか?」といったお話を聞くという内容です。今回は、二本柳さんの「Climbers(クライマーズ)」をお聞きしたいと思っています。

編集者として「二本柳さんは、この分野が強いよね」と認知してもらうことが大事なので、常に自分のタブを増やそうとしています。これまでの経験を踏まえて、サッカー、野球、ゴルフ、ファッションと得意分野はいろいろありましたが、実は時計に関してはあまり詳しくなくて、弱点だと思っていたんです。

34歳くらいの時に、時計の担当者が会社を辞めることになりました。男性誌をやるんだったら、時計に詳しくないとまずいなと思い、担当になろうと決めて。それで、お風呂に入ってる時だけは時計の雑誌を読もうと思ったんです。でも時計の雑誌は難解だから、なかなか頭に入って来なくて、途中でウトウトして何回もお風呂に落としました(笑)。そのうち時計は構造や中身も大事だけれど、自分がつけて周りの人からどう見えるか、というところも大きいなと気づきました。「人と仕事と腕時計」の関係性を考える、という視点で勉強していったら、それが徐々に仕事へとつながっていって。時計の本を作らせてもらったり、時計販売で有名な百貨店さんと組んで企画を行ったりして、いつの間にか得意分野に変わっていきました。当時は年に7回くらいはスイスにも行き、その前後にはドイツなどでサッカー選手の取材も入れていました。

ちょうどそのころ、ウブロがサッカーワールドカップのスポンサーを始めました。サッカーはいわゆる庶民スポーツなのですが、そこに初めてラグジュアリーブランドが広告を入れたと話題になりました。スポーティなラグジュアリーウォッチが流行り始め、スポーツ選手がウブロなどのスポーティな時計をつけるというのがブームになっていきました。それを一緒に仕掛けたのがウブロでもあり、自分の人脈や仕事が活かせたと思っています。知らない電話番号から電話がかかってきて出ると、会ったことがないスポーツ選手だったりして、一緒に銀座のブティックに行く、ということもよくありました。「時計が欲しいんだったら、二本柳さんと行くといいかもね」となっていたのだと思います。

スポーティなラグジュアリーウォッチの流行を生み出した立役者の一人である二本柳氏

大切なのは、愛と信頼とリスペクト

―二本柳さんはこれまで何千人もの方々をインタビューされていらっしゃいますが、成功している人には、どんな共通点があると感じられますか?

周りに何を言われても、自分が正しいと思ったら、そこにひたすら向かっていく人が多いですね。たとえ「やめたほうがいい」「失敗するんじゃないの?」という場面でも、「いやいや、大丈夫でしょ」と言って、進む。主に成功している人しか見ていないからなのかもしれませんが、それはすごく感じます。

―その中で最も印象に残った方を挙げるとすると?

本当にたくさんの方が印象に残っているのですが、あえてお一人上げるとすると、元プロサッカー選手の内田篤人さんです。もともとサッカー選手としてファンだった、というのもあるんですけれど。

内田さんは基本的に自分の言葉で発言するんです。たとえばドイツで試合を行った後、日本人記者による囲み取材があって話すのですが、普通は3分くらいだと思うんですが、内田さんはずっと話している。20分とか。ありきたりな内容ではなく、すべてオリジナルの言葉。もちろん独自の表現をする分、何かあったら叩かれるリスクがあると思うのですが、非常に洗練された内容なので、そういった事態にはならない。

そして非常に男気のある人なんですよ。ドイツに若い選手が移籍してきたら連絡を取って、一緒にご飯を食べるとか、本当に些細なことも、よく気づく人。私より一回り年下ですが、とてもリスペクトしています。ありがたいことに、これまで7作ほど一緒に本やカレンダーを制作させていただいています。

―最新作としては、2021年8月に『ウチダメンタル 心の幹を太くする術』を発刊されました。内田さんのメンタルにフォーカスした内容ですが、なぜこういった内容にしようと考えられたのでしょうか?

2020年8月に、「内田さんが引退する」となって、この節目で集大成的な本を作りたい、と思ったんです。何をテーマにしようかずっと考えていたんですけれど、彼が引退後、いろいろなCMに抜擢されたり、テレビ番組に出演して話している様子を見ているうちに、「飄々と何でもこなせてしまう、彼のすごいところは、よく考えたらメンタルだな」と気づいて。最初の打ち合わせの時に内田さんは「メンタルが強い弱いではなく、心のメーターを上下動させないことが大事で、いつも一定にすることが大事」とおっしゃった。「面白い! 本になる!」と思ったんです。

書籍
これまで手掛けてきた書籍の多くに「心」や「メンタル」という言葉が使われている

―数多くの編集者がいる中で、なぜ二本柳さんは有名選手たちの信頼を獲得し、一緒に仕事をしたいと思ってもらえたのでしょうか?

たとえば元プロ野球選手の桑田真澄さんが引退する、となった時は、たぶんあらゆる出版社が「本を作りましょう」とお願いに行ったでしょう。わたしは巨人時代には接点がなかった。桑田さんがアメリカに行ったあとから、ベースボールライターの方に依頼して『ゲーテ』で連載していました。「日本にいるときは幻冬舎を知らなかったけれど、アメリカまで評判が伝わっていた」ということで、信頼を得て本を作らせていただいたんです。

あとは、「粘る」というのが私の特徴かもしれません。タイトルも紙質もデザインも色もコピーも、すべて正解がない。だから「これでいいのか?」ということをずっと考えていますし、怯えています。この怯えることに関しては自信があります、タイトルは特に。ネット書店には著者の名前は一生出ていますが、私の名前は出ません。だからこそ、もがきます。すぐ決まって、それが最後まで変わらなかったのは岡崎慎司選手の『鈍足バンザイ!』くらいです(笑) いいタイトルだと思います。香川真司選手は「本は生涯で一冊だけ!」と言っていました。だから必死でした。ご本人から「よくこんなカッコいいタイトル思いつきますね」と言ってもらったときは、嬉しかったです。

―小さなことを積み重ねていって、信頼関係を構築されているんですね。

よく「だれだれと仲がいい」と言ってしまう人がいます。結構います。でも、わたしはそれはやりません。それが選手の耳に入ったら「いやだな」と思う人もいます。言うとしたら「懇意にさせていただいている」と。そういう何気ない一言は大事です。あとは選手から言ってきた場合以外は、一緒に写真は撮らないようにしています。写真やサインをもらうことで、対等でなくなってしまう気もしてしまうし、何より選手に負担をかけますから。

それから、マネージャーさんを大事にしているかもしれません。決して戦略的にやっているわけではないですけれど、マネージャーさんは大変ですからね。これは意外と選手本人にも伝わるんです。一流選手の人たちは、周りの人をとても大事にしますから。SNSの発展で、選手との距離が近くなっている今だからこそ、きちんと一線を引かないといけません。

ランタンのように自ら光り、人を吸い寄せていく編集者に

―これから二本柳さんのことについてお話を伺いたいです。プライベートではランニングに熱中されているそうですが。

さっきのタブの話と関連するのですが、ここ2年くらいは身体やメンズ美容といった方面にフォーカスしていて。2020年4月7日に初めての緊急事態宣言があった時、それまでは外を飛び回って仕事をしていたんですけれど、いざ家から出るなと言われたら、酒量が増えた。“まずい”と思って、何かやろうと思った時に、このところ毎年0.2キロぐらい太っていたから、ダイエットでもしようと考えて、それで走り始めたんです。さらに小麦粉を9割カットし始めたら、4ヶ月で体重が11キロ(70キロから59キロに)落ちたんですよ。そうしたら、だんだん楽しくなってきて、トレイルに行ったり、マラソンのテレビ番組に出たりと活動が広がりました。今は61キロくらいです。

―身体が明確に変わってきた、と。

SNSなどで「走ってます」と伝えていたら、「こういう大会があるから出ませんか?」とお誘いをいただくようになりました。そうしたら日を浴びることが多くなって。『ゲーテ』の企画にもなるかもしれないから、ルメッカ(シミとり)をやってみようかな、ハイフって何だ?綺麗な足で走りたいから脱毛でもしてみようかな、と。机の上が汚いとか、肌が汚いとか、自分はいいかもしれませんが、他の人は(目に入ることによって)ストレスに感じるかもしれないから、このジャンルはもう少し勉強していきたいです。

近年は健康や美容といったテーマを追い、新たな分野を開拓中

―身体の健康を取り戻すことで、仕事のパフォーマンスやメンタルにどんな変化がありましたか?

iPadやMacは使っていると、だんだん処理スピードが遅くなりますよね。それと一緒で、45、6年生きてきたら、自分のCPUが一時期に比べて落ちてきたことを感じたんですよ。でも運動や美容を実践するようになってから一気に盛り返して、脳の脂肪も取れた気がしました。クリニックで血液を計ったら、ホルモン年齢も31歳と出ました!

―生活が変わっていなかったら、ご自身のCPUは悪くなっていたでしょうか?

そうですね。以前は雑誌にタイアップなどで自分の丸い顔写真が掲載される時に、部員が何もやってくれないから、「もう少し、顎を削れませんか?」なんて色校で(赤字を)書いていたんですよ(苦笑)。そんな自分が嫌だったから、よかったです。

―二本柳さんが心がけている仕事の習慣を教えてください。

1日の仕事終わりにメールボックスを空にしています。メールが残っていると、どうも気持ち悪いんです。あと、自分の用事を自分にメールしていますね。「〇〇の本のタイトルをつける」ということも送るんですけれど、だいたい3つか4つくらいは残ってしまっているんです。また、常に残しているメールが1つだけあって。それは「編集者は企画が大事。企画を常に考えましょう」というものです。

―やはり編集者にとって企画は命だからこそ、企画を考えることを常に忘れないようにと、毎日リマインドしていらっしゃるんですね。

編集者にとっての名刺は、どんなヒット作を作ってきたかが大事だと思います。これは弊社の石原(正康氏)という編集者も言っていたのですが、ヒット作を出す人は出すし、出さない人は一生出さない。10万部出した人は、また10万部出せる。ヒットするツボを押さえられる人と押さえられない人がいて、いったん押さえると、そこにまたいろいろな企画が入ってくる。

私がよく例えで言うのは、キャンプに行った時にランタンをつけると、そこに虫が集まってくるじゃないですか。コンビニも深夜に吸い込まれるのは光っているから(笑)。一人の人間がボールだとしたら、そのボールをつねに光らせないといけないと思っていて。動き続け、インプットし続けることで光りたいなとは思っています。そうしたらいろいろな企画が浮かぶだろうし、いろいろな人から「あいつに頼んだら、何かやってくれるんじゃないか」となる気がしています。

今は話題のシェフ、鳥羽周作さんの本を作っています。5月上旬には出しますので、ぜひ手に取っていただければと思います!

対談者・池松氏の感想
当日、取材時に並べられた二本柳さんの著書を拝見すると、「心」をタイトルに使っている本が多いことに気づきました。二本柳さんが心の大切さを強く感じている証が、ここに表れているのでしょう。
私はヘッドハンティングで数多くのエグゼクティブにお会いしますが、スキルと経験値だけではなく、ほとんどの方が「心=メンタルタフネス」を持っています。だからこそ、日々、心のケアやメンテナンスを行うことが重要なのだと思います。
二本柳さんも、心技体の揃ったビジネスパーソン。今回は筋肉、美容といった楽しい話や、今後の幻冬舎の新たな取り組みに関してもお伺いすることができました。取材をお引き受けいただき、ありがとうございました。

取材=キャベトンコ

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