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ディズニーで究極の体験をクリエイトするゼネラルマネージャー、高いハードルを乗り越える推進力の原点はソフトボールへの情熱|ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 井原 多美氏インタビュー

ディズニーで究極の体験をクリエイトするゼネラルマネージャー、高いハードルを乗り越える推進力の原点はソフトボールへの情熱|ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 井原 多美氏インタビュー

ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。今回登場いただくのは、ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 コンシューマ・プロダクツ バイスプレジデント&ゼネラルマネージャー井原 多美氏。スポーツが大好きで、特に学生時代はソフトボールに熱中した井原氏は広告代理店を経て、アディダスの宣伝広報の責任者として日韓ワールドカップに携わった。その後、ウォルト・ディズニー・ジャパンに移り、マーケティングを経験した後、現在はライセンス事業、小売り事業を統括している。明るくパワフルな性格でさまざまな壁を乗り越えてきた井原氏に、業界屈指のエグゼクティブ人材紹介実績を持つ北川 加奈氏がこれまでのキャリアでのできごと、ディズニーブランドが目指すものといった幅広いトピックについて聞いた。

井原 多美さん/ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 コンシューマ・プロダクツ バイスプレジデント&ゼネラルマネージャー
上智大学卒。広告代理店、アディダス・ジャパンにおけるコミュニケーション全体統括などを経て、2008年、テレビ部門におけるマーケティング責任者としてウォルト・ディズニー・ジャパンへ入社。2013年よりスタジオ・モーションピクチャーズ部門のマーケティング責任者、2017年には、メディア・ディストリビューション部門の責任者。2018年より現職。

北川 加奈さん/エーバルーンコンサルティング株式会社 ヴァイスプレジデント
静岡県浜松市出身。大学卒業後イギリスへ留学。帰国後は地元の静岡にて塾講師として勤務。2008年にウォールストリートアソシエイツ(現エンワールド)入社のため上京。2017年にAllegis Group Japanに入社、ASTON CARTER プリンシパルコンサルタントとして勤務。2021年1月にエーバルーンコンサルティング入社。

スポーツを通して見つけた自らのミッションは「みんなを幸せにする仕事をする」

―まず、井原さんがキャリアをスタートされるまでの経歴を教えていただけますか?

小学3年生まで大阪に住んでいて、4年生から父の仕事の関係でマレーシアのクアラルンプールに移住して8年間滞在しました。最初の4年間が日本人学校で、後半の4年間はアメリカンスクールに通っていました。

―アメリカンスクールに移ったのはなぜですか?

もともとソフトボールをやっていて、さらに真剣に打ち込みたいと思ったからです。本当はソフトボールが盛んな日本に帰りたかったのですけれど、「アメリカンスクールなら地方の大会に出ている」と友だちのお姉さんから聞いて「絶対にアメリカンスクールに行く」と決めて。英語は得意ではなかったのですけれど、とにかく“ソフトボールをやるために”と強い決意で、父を説得する作戦として「英語を勉強したい」と主張しました。

入学していかがでしたか?

最初からレギュラーになって地区予選に出場し優勝、地区の代表にもなりました。地区の代表チームはマレーシア人が過半数ですが、アメリカ人、オーストラリア人、ペルー人といったようにいろいろな人種の人がいました。マレーシアの現地の子どもたちと一週間合宿をしてから試合をしたり、家から離れてほとんど日本語をしゃべらない環境で過ごしたりしたので、自然に英語は上達しました。14歳くらいの時の出来事ですが、本当にいい体験ができたし、子供の頃何かに情熱を注ぐ時期があるというのは、後から振り返っても、非常に重要だと思います。

そういったことも関係して、今、新しい女子のソフトボールリーグが始まりますが、その理事をやっています。私はソフトボールをやっていたから英語も身についたし、インターナショナルスクールに通い多種多様な人種に囲まれて思春期を過ごしたことは、今になって非常に役に立っています。本当にソフトボールには感謝しています。

ボールを持つ少女
地区代表チームの合宿では現地の子どもたちと一緒に生活して、ソフトボールが大好きな仲間とたくさん出会えたという

なぜ大学では日本に戻られたのでしょうか?

アメリカンスクールではソフトボールと並行して、サッカーをやっていました。サッカーもそれなりに一生懸命取り組んでいて。ある時ワールドカップを見て、「こんなすばらしい大会がサッカーにはあるんだ」と感動しました。ソフトボールでは自分の力を出し切ったと思えたので、将来はサッカーを盛り上げる仕事をやりたいと考えました。サッカーの場合、英語以外にスペイン語を学んだ方がいいと思って、“スペイン語学科に行きたい”と決めて。日本に住むことにも興味があったので、大学から日本に帰ってきました。

大学では就職活動が始まりますが、キャリアをスタートするにあたって、どんなことをしたいとイメージしていましたか?

仕事はどこの会社に行くかではなく、自分が何に時間を使いたいか、ということだと思います。就職活動では、自分はどういうふうに世の中に貢献して、何を成し遂げていくのか、というように、自分なりのミッションを意識しました。

そんな中、サイパンで行われたトライアスロンの大会で通訳兼雑用のアルバイトをしました。トライアスロンはすごく過酷なスポーツなので、みんなが帰ってくる場面は感動の嵐。自分の力を出し切って幸せな顔をしているのが印象深く、“みんなを幸せにする仕事がしたい”と思うようになりました。

そのイベントの関係者に、「こういうスポーツイベントの仕事をしてみたいのですが」と相談したら、「それは広告代理店でやっているよ」と言われて、広告代理店にしぼって就職活動をしました。

自分の個性を出し“おもしろい人”とネタになることもビジネスでは大切

ご自身のやりたいことをまず見つけて就職活動をする。それが広告代理店だったということですね。

はい。最初はラジオ局担当でした。新人だけど仕事は任せてもらえて、それが楽しかったですね。いろいろな人にあれこれ指図されるよりも、自分の意志で動いて、何かの成果を上げる方が自分の性格に合っていました。

朝と夜、必ず2回くらいラジオ局に行きました。なぜかというと、自分の顔を売りたいことと、情報を聞き出したかったからです。用事があってもなくてもとにかく行く。結果的にはその時の担当者だけではなく、局全体に可愛がっていただき、放送局の忘年会の代表あいさつを任されたこともありました。おもしろい新人がいる、ということでネタになっていたのですね。私はネタになるのは大切だと思っていて。自分自身を他の代理店の人よりも目立たせるとか、自分の個性を出すことができるのも、ビジネスマンとして重要だと思っていました。

広告代理店はどのくらいの期間いらしたのでしょうか?

最初の会社には3年間在籍して、その後、別の広告代理店に転職して6年半を過ごしました。その後アディダスが1999年に正式にデサントとのライセンス契約を打ち切って日本法人を設立するということで、「人を探しているのだけれど、どうかな」とお誘いいただきました。“そういえば、私はサッカー関係の仕事をしたいと思っていたな”と思い出して。そのころは広告代理店での仕事はすごく楽しくて充実していましたが、同じことの繰り返しみたいな感じでした。

アディダスは自分がサッカーをやっていた時に履いていたシューズだし、これはもしかしたらいいかなと直感的に思い、面接を受けに行きました。ただ、アディダスはスポーツメーカーとはいえ、シューズとアパレル中心の会社なので、いまさら私がメーカーに行って、何か役に立つのかな、という疑問もありました。面接に行ったら、“広告の経験と知識があって、ブランドビジネスの経験があって、スポーツが好き”という3つの条件を言われたので、それだったらできると思ったのです。

アディダスには8年半在籍しました。念願の日韓ワールドカップのタイミングだったので、その時に宣伝広報の責任者として関わることができました。高校生の頃に思っていた、「サッカー関係の仕事をしたい」という願いが叶ったのです。スペイン語は関係なかったけれど、つながっているな、と思いました。

男女の写真
アメリカンスクールではソフトボールだけでなく、サッカーにも打ち込んだ井原氏。「こんな仕事をしたい」と学生時代に描いた夢をアディダスで実現した

そして次のステップとして、マーケティングコミュニケーションではなく、1から商品を作るなど、もっとビジネスの方をやりたいと考えていました。そうしたら組織改革があり、考えていた方面に異動することができたのです。だからアディダスではマーケティングコミュニケーションが半分、あとの半分がビジネスサイドの方で、非常にいい経験をさせていただいたと思います。

ただ、すごく忙しかったこともあって、1年くらい休みたいと思っていました。そうしたところ、人材紹介会社からディズニーを紹介されて。ディズニーというと、どうしても圧倒的ナンバーワン企業だから、とにかく守ることに必死で、あまり成長するとか、広げるといった考えはないのではないかと思っていましたが、それは面接しているうちに違うことが分かり、話も少しずつ合ってきました。

私はその企業を創業した人がどんな人なのか、どのような思いでこの会社を作ったのかということを調べて、共感することにこだわる方です。アディダスも共感できたから入社したのですが、ディズニーもウォルトがどういう気持ちで事業を立ち上げたか、何を達成しようとしたのかを学びました。その結果、人を幸せにすること、特に子どもたちを幸せにするという考え方は、私のライフタイムミッションと同じだと思いました。

ただ、最初はディズニーチャンネルのテレビ部門のマーケティングディレクターということで、「ケーブル局のマーケティングって何だろう? 自分は役に立つのかな?」と、まったく先が見えない状態でしたが、自分がどうなるか分からないところがおもしろい、とも思いました。

結局、今の会社は14年間在籍していて、ほとんどの部署を経験してきたくらい、社内転職を繰り返しました。非常にありがたいと思うのは、業界経験がないながらも新しいチャレンジをどんどんさせてもらったことですね。

直筆の手紙で謝罪、社長の激怒で学んだ相手に対するリスペクト

今まで、特に印象に残っている失敗したエピソードを教えていただけますか?

私にとって失敗とは、学びとネタという感じです。でも、あえて1つお話すると、広告代理店にいた時のこと。私は物事を前に進めるのが得意ですが、前に進めたいという気持ちがあまりにも強いがゆえに、コミュニケーションが不十分になるところもありました。

私がタレントさんの契約窓口を担当して、所属事務所の社長とやり取りをしていたところ、あるキャンペーンの戦略を、どうも社長はあまり良いと思っていなくて、反対意見を言ってきたのです。でも、私が「やってもらわないと困ります」と伝えたところ社長が怒ってしまって、まったく連絡が取れなくなってしまいました。

ええ!? もっとも困ることですよね。

そうなんです。まったく返事がなくて、電話をしてもつながらない。“これは私の責任だ”と思ったので、お手紙を書くことにしました。

“信念を持って仕事をしている社長さんの立場があるのに、お気持ちを無視したような進め方をしたことは、非常に反省していて、本当に申し訳なく思っています”という思いをまずお伝えして。“ただ、せっかくすばらしいキャンペーンができたので、やはり成功させたいです。だからもう1回チャンスをいただけませんか”と書いて速達で送りました。そうしたらやっと連絡が来て、仕事を再開することができました。そのキャンペーンは結果的には特大ヒットになって、商品はすごく売れました。

その社長とは懇意にさせていただいていたので、「時間がないので」とこちらが強引に前に進めれば妥協してくれるだろうという甘えもあったのですね。信頼関係があったとしても、人に対しての敬意を忘れないというのは、すごく重要だなと感じました。

結局うまくいかなかったことは、「何か間違っている」ということを教えてくれるために起こりますよね。うまくいかないことによって私もすごく真剣に考えるし、どうやってこの状況を打破するのか、あれこれチャレンジする。また自分がとった行動や、相手に対してのコミュニケーションを振り返ったりする。そうすると、「うまくいかないのは、ここだったな」とか、いろいろ学ぶことができます。

女性の写真
仕事相手の社長と連絡が取れなくなり、コミュニケーションの大切さを学んだ。「本音をぶつけ合ったおかげで、いまだに社長とは仲良くさせていただいています」

ブランドを体現するには魅力的なストーリーテラーになること

先日、「ディズニーフラッグシップ東京」がオープンしたということで、そのお店について伺えますか。

2021年12月5日のウォルト・ディズニーの120回目の誕生日に、ディズニーストアの新たな旗艦店「ディズニーフラッグシップ東京」がオープンしました。私たちは究極のディズニーショッピング体験を実現することを目指しています。お客様のSNSやフィードバックを見たり聞いたりしていると、「今までのディズニーストアと違う」とか、「海外のパークに行った気分になる」と言われており、目標を1つ達成できたと感じています。

ただ、ウォルトが「ディズニーランドは人々の想像力がある限り、永遠に完成しない」と言っていたように、お店も永遠に完成するものではありません。ここは情報ステーションでもあるし、ディズニーのショップの中では最高峰に位置づけられるストアでもあるので、より良く進化を続けていきます。

それからもう1つの要素としてshopDisney(ショップディズニー)というオンラインビジネスがあります。そことうまく連携し、オムニチャネルとしてゲストの都合のいい方でお買い物していただけるよう、shopDisneyのコーナーを作ったり、shopDisneyのみで提供していたオンデマンドサービスを始めたりしました。

あとは私たちのブランドとして、「ディズニー」、「ピクサー」だけでなく、「マーベル」、「スター・ウォーズ」もあります。「マーベル」と「スター・ウォーズ」という、既存のお店だったらスペースの関係上なかなか展開しづらいブランド用の常設コーナーを作ってそこで商品を販売するなど、いろいろな試みをしています。

さらにダイバーシティ&インクルージョンに関連して、キャストのコスチュームのデザインを丸山敬太さんにお願いし、ジェンダーレスにするなど、ファッション要素を取り入れながら、ソーシャルグッドな部分を取り入れています。

また、スペシャリティキャストといって、「ディズニーの専門家です」、「マーベルの専門家です」と、私たちが持っている4つのブランド「ディズニー」、「ピクサー」、「マーベル」、「スター・ウォーズ」の専門知識を持ったキャスト制度を作りました。ディズニーストアに来るお客様は、自分が持っているディズニーに対する愛を語りたい、という方が多いので、自分が好きなことや興味のあることを誰かとシェアできるといった体験も、“究極のショッピング体験”の中に入ってくる、非常にいい試みだと思います。

ディズニーフラッグシップ東京が意識するのは「店舗のスタッフ(キャスト)による接客」井原氏も「嫌なことがあっても、キャストの皆と会うと元気になれます」と太鼓判を押す
ジェンダーレスなコスチュームを着用するキャスト

ディズニー流のダイバーシティ&インクルージョンについてお伺いできますか?

ディズニーではダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン、DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)という言い方をしています。能力を発揮していただけるかどうかで評価されるべきであり、ジェンダーだったり、ナショナリティだったり、LGBTQのような性的指向性で評価されるべきではない。そういったところはウォルト・ディズニー・カンパニーCEOのボブ・チェイペックを筆頭に、強く推進しています。

4月には全社員を対象にした会議があり、この2年間で会社がどういうことを行い、達成したかを皆にシェアするのですが、それに加えてアメリカでは月一回ぐらいのペースで、いろいろなゲストスピーカーを招いています。「こういう課題がある」とか「こうやって対策をとっている」とか、その人たちの悩みや経験を聞くことによって、私たちも初めて分かることがあります。

当社の中でもジェンダー・イクオリティやLGBTQ、あとは日本だとジェネレーションのギャップといったテーマのワーキンググループを作って活動しています。

LGBTQに関していうと、プライドコレクションという、多様性を尊重する象徴であるレインボーカラーの商品プログラムをストアで展開しました。去年は渋谷の109さんと組み、渋谷Pride Monthでいくつかのブランドさんともご一緒して、109全体でのプロモーションを行いました。とにかくバイアスが一番やっかいですが、より深く知識を得ることによって、徐々にそのバイアスは取れていくと思います。そういう活動はパートナーさんと一緒に力を入れています。

さらに健康やサスティナビリティについても、いろいろ取り組んでいると伺っていますが。

アメリカでは過度な肥満にならないように、健康なカロリーだったり、塩分だったり、そういった適正な栄養構成比をベースにしたフードガイドラインを作っています。子どもの肥満も問題になっているので、ディズニーも協力しているプログラムもあります。

私たちはエンターテイメント会社として「楽しい」という方を担当することで、パートナーと協業したプログラム、「ディズニー ヘルシー・テイメント」を立ち上げました。「こういうことをやっていきますよ」とパートナーの皆さんに伝えることによって、新しいお客様と取引したり、協業したりする、という模索に繋げています。

ディズニーというブランドを体現するために、どんな人材が必要でしょうか。

当社では何を行うにも、ストーリーテリングが非常に重要です。いかに自分たちがストーリーテラーになるか。そして新しいことにチャレンジする姿勢が求められるので、好奇心やクリエイティビティも必要です。さらに誠実さ。さきほど私が失敗談でお話した、相手に対するリスペクトなどが求められます。私たちはステークホルダーが多いので、いろいろな人と協業しながら進めていかなくてはいけません。それだけ社会に対しての責任と影響力があるブランドなので、一人だけでドライブするというよりも、いろいろな人と手を取り合って協調しながら、ものごとを達成していきます。

Disney is special entertainment with heart
ディズニーが何よりも大切にしているディズニー・ブランドの原則「ブランドプロミス」

人を幸せにする仕事をしたいから、人を大事にすることが永遠のテーマ

ここまでずっとお仕事のお話を伺ってきましたけれど、プライベートはどのように過ごしていらっしゃるのでしょうか?

ゴルフが好きなので、ほぼ週一のペースで行っています。あとはゴルフのパフォーマンスアップのためにジムでパーソナルトレーニングを週に一回受けています。

1日のサイクルとしては、朝5時頃に起きて、ストレッチをしながらお風呂に入って読書。夜22時半くらいまでに寝る、という生活をしています。ですので、ゴルフ以外で好きなことというと、読書ですね。

最近、おすすめの本があれば教えていただけますか?

今、読んでいる本で、おもしろいなと思ったのは『マルクスが日本に生まれていたら』。出光興産を一代で築いた出光佐三さんの本で、社員たちと本音の議論を激しくぶつけあった記録です。他にも、喜多川泰さんの『手紙屋』や『運転者』もおすすめです。

ここまでお話を伺ってきて、井原さんは一貫して人を大事にされていることを強く感じました。

私は人を幸せにするために仕事をしようと考えていますが、幸せというものは漠然としていますよね。でも、それは例えば自分が大事に扱われたり、信頼してもらったりと感じてもらうことだと思います。さらに自分もそれに足る人間にならなければなりません。

それには自分自身が人に対する理解を深めて、相手の立場に立ち、自分から能動的に役に立つと思うことをしていく、 “どうやったら、もっと人を大事にできるのかな?”ということを考え続けることが、私にとって永遠のテーマですね。

女性の写真
「これからは信頼など目に見えないものが、ますます重要になってくるでしょう。そんな時にディズニーは共感を得られるブランドとして強い一方、お客様の期待を裏切らないようにするには、かなりの努力が必要だと思っています」と語る井原氏。

© Disney

取材:キャベトンコ
撮影:Takuma Funaba

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