「新しいもの、初めてのものにロマンを感じる」フジテレビアナウンサーという華やかな経歴から離れて、スポーツを軸とした新しい世界へ|株式会社Inflight/代表取締役 田中大貴氏インタビュー
ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。今回は、株式会社Inflight/代表取締役の田中大貴氏にお話を伺う。フジテレビで情報番組のリポートやスポーツキャスター、スポーツ実況などを担当し、お茶の間でもすっかりおなじみの顔となった田中氏だが、30代半ばの2018年に独立。MCやスポーツ実況の仕事は継続しながら会社を立ち上げ、スポーツを軸としたビジネスに挑戦している。人気アナウンサーとして走り続けたフジテレビ時代のこと、そして外に出たからこそ知った新しい視点について、ブランドコンサルティング企業 H-7 HOUSE(エイチセブンハウス)の代表である堀 弘人氏がたっぷり聞いた。
田中 大貴さん/株式会社Inflight 代表取締役
兵庫県出身。慶應義塾大学を卒業後、2003年にフジテレビに入社。アナウンサーとして朝の情報番組「情報プレゼンターとくダネ!」ではリポート、「すぽると!」「スポーツ LIFE HERO’S」ではスポーツキャスターとして、約10年近く担当する。これまで多くの報道、スポーツの現場にて1,000人を超えるインタビュー取材を行ってきた。2018年4月末にフジテレビを退社し独立。番組MC、スポーツ実況、執筆連載などメディア出演のほかに株式会社Inflightを立ち上げ、スポーツチーム・団体・企業とのビジネスコーディネーション、コンサルティングなどに取り組む。
堀 弘人さん/H-7HOUSE合同会社 CEO ブランドコンサルタント
1979年生まれ。米系広告代理店でキャリアをスタートさせ、アディダス、リーバイス、ナイキ、LVMHなど世界的に業界をリードする数々の外資系ブランドでマーケティングディレクターを含む要職で活躍したのちに、大手日系企業 楽天にグローバルビジネスディレクターとして入社。また、国際部門にて戦略プロジェクトをプロジェクトリーダーとして率いてきた。2021年、自身の経験を国内外企業の活性に役立てたいとブランドコンサルティング会社H-7HOUSEを設立。メディアNESTBOWLのブランドディレクターも務めている。
「広末涼子さんと会いたい」ミーハー気分で学生服のまま採用試験に臨む
―田中さんはもともと最大手メディアからキャリアをスタートされていて、今ご自身でもYouTubeや数々のメディアに携わっていらっしゃいますが、メディアを作るというのは、やはり大変ですか?
そうですね。メディアづくりにおいて何が一番難しいかというと、続けることだと思います。毎日、違う新聞を買う人は少ないじゃないですか。テレビ番組、特にデイリーの番組は、長くやればやるほど、ファンの方がついて離れないんですよね。だから5年続けてようやくメディアと呼べるのではないか、と思っています。
―大学時代は野球選手としても非常に著名でいらっしゃいましたが、野球選手からメディアの仕事にいきつくきっかけを教えていただけますか?
正直に言うと、広末涼子さんや優香さんといった、僕らと同じ世代の有名タレントさんに会えるかもしれないと思い、野球部みんなでフジテレビのアナウンサー職を受けにいったのがきっかけですね(笑)。慶応は学生服なので、その姿のままお台場に行って、アナウンス試験を20人くらいで受験し、奇跡的に内定をいただいたんです。
―え!?アナウンサーにあこがれて、といった理由ではないんですか?
はい(笑)。だからアナウンサーの詳しい仕事の中身は知らなかったですし、アナウンスメントなんて、まったく分かっていなかったですね。
でもアナウンス試験を受けながら、“もしかすると、野球にまつわる仕事ができるかもしれない”という、淡い期待はありました。それで採用試験を受けながら、“自分がアナウンサーになった場合、どこに親和性があるんだろう?”というのは考えていて。
その中で思ったのが、テレビというプラットフォームがあって、テレビを作る側と見る側がいる。アナウンサーはその間に入って、番組の意向や思いを伝え、そのコンテンツの面白さに視聴者が喜んでくれる。視聴率が上がれば番組側も喜ぶ、ということです。
私も学生時代、スポーツの世界において、キャプテンだったり選手兼任トレーナーをやってきて、チームと選手の間に入っていました。チーム、監督の意向を選手に伝えて、それに選手たちが反応して結果が出て、日本一になった、優勝したとなったら、間をつないでいる自分は一番喜べる。そういったところにアナウンサーと自分の親和性を感じ、1つのストーリーを作って面接でお話し、採用していただいたんです。
フジテレビ在籍時代にはよく採用試験官もやっていたので、OB・OG訪問で学生にアドバイスすることが多くて。「これまで生きてきた過程の先に、アナウンサーという仕事があったんだな、と思わせる人生を歩んできたかが一番大事。それを自分の生活の中に見つけなさい」という話をしているんです。アナウンサーは努力すれば、ある程度のレベルまでは絶対にいけます。なぜならしゃべるという職業であり、しゃべる能力はほとんどの人に備わっていて、特殊能力ではないからです。
―誰しもができるしゃべるという技術がゆえに、その精度を高めていくのは逆に難しいことかもしれませんね。言葉で何かを表現する時に気をつけていることは何でしょうか?
私ははじめテレビというビッグメディアにいたので、ポピュリズム(大衆主義)が一番大事だったんです。大勢の人たちが思っているボリュームゾーンを取りに行かないと、ユーザーに共感してもらえず、視聴率が取れません。
たとえば今日、青山という土地のお店に来た時に、“大多数の人はどう感じるんだろう?”とまず1つは考えるんですね。これが言えないと、テレビ・メディアの世界では生きていけません。
もう1つは、“自分の独特の感性でいくと、何て感じるのだろう?”という両極でいつも考えるんです。スポーツの実況も同じで、目の前で起きていることを皆さんの共感を呼ぶようにシンプルな言葉で伝えていく、というのがスポーツ実況のスタイルなんですけれど、その中に自分の感性や考え、自身が感じていることのエッセンスを少しだけ入れていくことが、多分“伝える”という言葉選びの一番のポイントかな、と思います。
―メディアの仕事は華やかだけれど、視聴者にさらされる仕事ゆえに、その裏側には個人の苦悩もあるでしょうね。
人は見られれば見られるほど、喜びと自己承認欲求が満たされる一方、真逆の作用もあって。初めて話す人に対して、気を遣うじゃないですか。だから無意識でもストレスは溜まっていくものです。そしてそれが1人なのか、100人に見られるのか、1,000人なのか10,000人なのか、2,000万人なのかによって、ストレスの差はすごくあるんです。視聴率20%というのは簡単に計算すると、同時瞬間で2,000万人が見るんですね。2,000万人に見られるストレス、苦しさがあるんです。
「伝えたくて、表に出たくて立っているんでしょう?だからいいじゃない?」というロジックは正しいんですけれど、その反面、見られてしまっているストレスは、実は自分には感じ取れないぐらいものすごく大きいんですよ。その感覚と常に共存していかなくてはならないことを、自分の中で納得できるかですね。“経営者は憂鬱であれ”と言う言葉があるんですけれど、私は基本的に“憂鬱であれ”と思っています。満足して喜んでいると、逆にそれはリスクになります。何か大きなことを成しとげる裏側には、必ず憂鬱さというものが共存しますから。
失敗した時ほど、印象に残る言葉が返ってくることが多い
―2018年に会社を辞めてどんなことを感じましたか?
これまで自分は多くの人たちと触れ合ってきた、と思っていたんですよ。でも会社を辞めてみると、狭い世界で生きていた、とすごく感じるんです。もちろんそれは仕方のないことで、フジテレビというメディアは、エクスクルーシブ(独占的)にしていないと価値は上がっていかないですから。「大谷翔平選手を独占インタビューできます」とか、エクスクルーシブにしておかないとメディアの差別化ができないので、ある種、狭い世界で価値を高めていくのがひとつの勝利への王道だったんだな、と思っていて。でも会社を辞めると、初めて出会う人の数が違うんですよ。自分も予期しない人たちに出会える。皆さん「会社を辞めるのはリスク」と言うんですけれど、それをはるかに超える喜びがあります。
自分でもビジネスをやろうとトライしている中で、経営者の皆さんとお話をする機会も多いんです。現在、ロッテホールディングス株式会社の代表取締役社長である玉塚元一さんにお話を伺うと、一人でできることは本当に小さくて、できるだけ多くの人たちに賛同してもらい、手を貸してもらって成しとげることがほとんどだということが分かりました。24時間365日死ぬほど自分で働いてビジネスをやっても、全くスケールしない。その答えはどこにあるかというと、人と繋がっていくのが一番なんです。
―最近はどんな方とお会いしたことが印象に残っていますか?
さきほど元プロ野球選手の斎藤佑樹さんと一緒に収録をしていたんです。私はキャスター時代から斎藤さんを知っていたんですけれど、彼は今までフジテレビのアナウンサー、「すぽると!」のキャスター、実況アナウンサーの田中大貴さん、という見方だったんです。でも私がフジテレビを退社することでその枠が外れ、さらに彼も引退して、人と人との付き合いになっていったんです。以前とは違った関係でしゃべることができるようになったので、初めて聞く話がいっぱい出てくるんです。だから面白いんですよね。今まで会ってきた人たちが、真新しく見える感じがするんです。
―フジテレビの田中大貴さんから経営者の田中大貴さんになって、何が変わりましたか?
振り返ってみると、アナウンサー時代、サラリーマン時代は自分がアサイン(指名)されるのを待つ仕事だったので、受け身でした。たとえば「すぽると!」キャスターの椅子は1つしかありません。たとえその席を狙っていたとしても、指名してもらえないと座れないんです。でも自分で会社を作ってからは、基本的には自分から能動的に動いていって、むしろその席を作りに行く立場になりました。
もちろんリスクは取りましたけれど、リスクを取って良かったな、と思うことの方が多いですね。ご縁や出会い、チャンスを大事にすることの大切さに気づけたのが良かったと思います。
―田中さんは非常に勉強熱心な方ですよね。ご自身が経験された野球に限らず、サッカー、格闘技、バスケットボールその他もろもろのスポーツの深い知識を持ち、チーム、選手、それぞれの特徴を踏まえていらっしゃる。それは難しいことだと思いますが、どのように自分の能力を拡張されたのでしょうか?
スポーツは人がやっているので、選手に興味を持つところから入っています。そうすると最終的にその競技が好きになるんですよ。よく若手のアナウンサーからも「田中さん、どうやったらこの競技を好きになれますか?」と質問されるのですが、まずは自分が担当する選手全員を研究することだと思います。その人のルーツが見えると、その人の未来も見えるはずなので。各選手のパーソナルをとにかく勉強していくというのが、僕のやり方ですね。
―田中さんにとって、キャリア最大の失敗は何でしょうか?
細かいミスを挙げればキリがないんですけれど、意外と相手に失礼だったなと反省するできごとほど、印象に残る言葉が返ってくることが多いと思っていて。以前、中田英寿さんが海外でプレイしている時のインタビューは特に覚えています。当時は大学に行ってJリーグに行く、という流れの選手が多かったんです。でも中田さんは韮崎高等学校という、とても著名な学校から湘南ベルマーレに入団されました。「それはなぜですか?」と質問したところ、「スポーツ選手、特にサッカー選手のパフォーマンスが最も上がって、いい条件をもらえるのが何歳くらいか分かっていますか?」と逆に聞かれて。「20歳前後から20代半ばですよね。大学に行ってサッカー部に入るという道はあるかもしれないけれど、その4年は競技のパフォーマンスが最も上がると思っているので、プロのサッカー選手としてその時間を使いたい。大学は引退してから学べばいいと思っていますし、それは中学の時に考えていました」と言われたんですね。私自身、非常に失礼な質問をしてしまったと思って反省したのですけれど、ヒデさんの答えは非常に腑に落ちました。そういった失敗は、たくさんあります。
―独自の哲学をしっかり持っている方は、どの分野に行かれてもご活躍されますよね。
そうですね。あとは時代の流れもあります。たとえば桐生祥秀選手、大谷翔平選手といった今、20代半ばくらいのトップアスリートの考え方は、以前とは明らかに違います。昔は「9秒台で走るのは大変ですよね?」という質問をしたら、「そうなんです。大変なんですよ」と受け止めて一緒にインタビューが進んでいったのですが、桐生選手に「100メートルで9秒台を出すのは大変ですよね?」とか、大谷翔平選手に「二刀流は大変ですよね?」と言うのは、失礼にあたるんですよ。なぜかというと、彼らは“できる”と思っているからやっているんです。だから過去には通用していた質問でも、今はダメということも、しっかり認識しておかないといけないですね。
人のため、相手のためという他人軸で考えると、アイデアが生まれてくる
―後進の指導、若手の育成といったところにも目を向けていらっしゃいますが、今、ご自身がされている教育的な活動について教えていただけますか?
“スポーツで生きていきたい”という人たちはいっぱいいるけれど、どこかで諦めて、まったく違う職につく人たちも、ものすごく多いんですね。私の考え方としては、場を作りたいんですよ。その人たちがスポーツにまつわる仕事ができる。スポーツを軸に生きていける場を作るというのが、私のテーマなので。スポーツを1つのキーワードとして生きている子たちがたくさん活躍できる場を作っていくことを、常に意識しています。
あとは企業との取り組みの中で、少子高齢化になっていくと、スポーツをやっている人たちは、人材として間違いなくますます価値が上がるんですよ。でも企業側も、どうやってスポーツをやっていた人たちを採用したり、触れ合っていいのか分からない、というケースもたくさんある。そういうところに自分の会社が入ったりしています。
―今はどういう企業がどういう目的で、どのようにスポーツを活用されているのでしょうか?
スポーツはご存じのとおり、KPIやROIでは見えづらいですよね。果たして費用対効果は何なのか?というと、ポイントはそこではなくて。スポーツの価値は客観的に見ると、イメージがいいですよね。イメージが良いと、ブランディングに使えるわけです。それでプロモーションにも使いやすいコンテンツとして認識されています。
でも企業さんはリレーションがなかったり、アイデアがなかったりするので、機会損失になってしまうんです。だからそのリレーションやアイデアというものを紹介して作っていくことを大事にしていて。後は「単なるスポンサー契約ではなく、一緒にプロジェクトを進めていくんですよ」ということを、つねづね口酸っぱく企業とチーム、選手、団体にはお話ししています。
たとえば今「スポーツ×介護」という事業を手掛けています。全国に300ある介護施設を持っている企業の中に、未来ビジネス開発部という部署を弊社と一緒に作っていただいて。全国に300施設あるので、地方にある大中小のスポーツチームをだいたい網羅できるんですね。そして介護施設には管理栄養士がいるし、理学療法士もいます。リハビリもいいものを提供できるので、「お金ではなく、その二つをチームに提供します」ということにしました。そういったことを弊社ではたくさんやらせていただいていて、今までになかったものを創り上げています。
―田中さんは世の中のメインストリームにあえて飛び込まないというか、閉鎖的な人たちの扉を壊す1つの装置になっているのではないか、という気がします。
確かに、“初めてを超える価値はないな”といつも思っています。人生初、大偉業、新記録、初というのは、もっとも価値があると思うので。既存メディアには既存メディアのすばらしい価値があるんですけれど、メディアが変遷していく中で、「新しい、初めてのメディアを作っていきましょう」というところに、私はロマンを覚えたんです。自分が大手メディアで経験してきたスキルや経験則は、これから新しくできていく初めてのメディアで、たくさん落とし込んで行こうと考えていて。それで会社を辞めたというのは、確かにありますね。
道を切り拓けずに悩んでいる人たちは、いっぱいいらっしゃいます。そういう人たちをサポートしていける人間になりたい、と思っています。私は仕事上、幸せにもトップアスリートや一番ホットな話題の最先端の人たちに会えてきました。その人たちとのリレーションをつくり上げながら、道を切り拓こうとしているんだけれど、切り拓けない人たちを助けていく、ということを一番大事にしています。
―未来予測が非常に難しい世の中だと言われますけれど、この先どんなことを成し遂げたいですか?
つまらない答えになるんですけれど、「自分の中に成し遂げたいことが明確にありますか?」と聞かれると、はっきり言ってないんです。それよりも「あなたのやりたいこと、皆さんのやりたいこと、成し遂げたいことが、僕の成し遂げたいことです」というイメージなんですね。
会社を独立してから印象的だったできごとがありました。弊社のお取引先企業の年度初めの事業発表会に出席させていただいた時に、経営者が社員の皆さんに数字的なことは一切言わなかったんです。そして「人は自分軸で考えると、葛藤や憤り、悩みごとばかり増えるけれど、他人軸で他人のことを考えると、アイデアが生まれてクリエイティブになる」とお話されていて、その通りだなと思って。
自分、自分で考えていると何もアイデアが生まれなくて葛藤ばかりになるけれど、人のために、相手のためにという他人軸で考えていると、人ってアイデアが生まれてくるんです。「この人のために、何ができるだろう?」と考えていく先に、ビジネスはあるので。だから私が成し遂げたいことはありません。皆さんが成し遂げたいことが、私の成し遂げたいことなんです。それが当社のスタンスですね。
若い人たちから「スポーツビジネスをやりたいです」とか、「田中さんとお仕事させてもらえませんか?」という問い合わせをいただくことがあるんですよ。
ただ彼らはよくこんなことを言っているんです。「南青山にあるエイベックスのビル、渋谷にあるアベマタワーズは、エンターテインメントやメディア事業の収益から建てられています。スポーツも人を集めて感動させる、非日常体験をさせると言うことにおいては同じはず。集客でいうと、野球などはアーティストの何倍も集まる。試合数もイベント数も多い。でもなぜか日本だとスポーツでビジネスを成し遂げたことによって、大きいビルは建ったことがないんです。どこかのタイミングで、そういったビルが建てられる瞬間が来るといいですよね」。
確かに彼らの言う通り、スポーツというエンターテイメント、非日常感動体験事業において、絶対に横展開できるはずなんです。だから若い人たちには、「そういったことを考えられるんだったら、ぜひ一緒に仕事しましょう」と伝えています。
取材:キャベトンコ
撮影:Takuma Funaba