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心と身体が一致する人間らしい生き方を見つけた田舎暮らし。京丹波の里山から発信するデザイナーズブランド「ROGGYKEI」の挑戦

心と身体が一致する人間らしい生き方を見つけた田舎暮らし。京丹波の里山から発信するデザイナーズブランド「ROGGYKEI」の挑戦

京都生まれの興梠仁氏と神戸生まれの景子氏のデザイナーデュオによるブランド「ROGGYKEI(ロギーケイ)」。“UNISEX・TIMELESS・NEUTRAL”なライフスタイルをコンセプトに、パリファッションウィークで展示会形式によるコレクションを発表し、レディー・ガガを始めとする国内外のアーティストへの衣装製作や、様々な分野のユニフォームデザインを手がけている。2020年に京都・京丹波に生活制作拠点を移し、ブランドの直営店となるショップをスタート。新しい環境では、服作り以外のお互いの興味があることにチャレンジしている。自然に包まれた「田舎暮らし」がクリエーターにもたらす刺激や恩恵を聞いた。

興梠 仁さん・景子さん/株式会社ROGGYKEI
共にインポートセレクトショップ、ストリートセレクトショップ、古着屋などで働いた後、大阪ファッションデザイン専門学校の社会人コースでパターンメイキングを学び、パターン検定2級・3級を取得。2012年に初の展示会をパリで発表し、大阪・本町にアトリエをオープンする。その後も、パリで展示会を開催するが、新型コロナウイルスをきっかけに京丹波に移住。2021年6月に、ROGGYKEIの直営店となる「tomoribi」をオープンした。

ファッション好きが出会って、一緒に専門学校で学んだ日々

― お二人のファッション業界でのキャリアは販売からスタートされたそうですね。

興梠 仁さん(以下、敬称略):僕はスケボーが好きで、ファッションとしてのスケータースタイルから始まり、古着、裏原系、ストリート、インポート、モードなど、いろんなカテゴリーのショップで販売をしていました。

興梠 景子さん(以下、敬称略):私もストリートセレクトショップやインポートセレクトショップで販売を経験しました。

:景子と出会って、漠然とですが「2人でお店を持ちたいね」という話になり、扱いたいブランドの話をよくしましたが、特にピンとくるブランドもなくて「それなら2人で作るしかない!」と意気投合。でも2人とも販売の経験しかなく、洋服の作り方が分かりませんでした。

景子:それで、仕事をしながらでも行ける学校を探して、大阪・野田にあった専門学校に通い始めました。入ってみたら面白い学校で、授業というより、生徒一人ひとりが作りたいモノをマンツーマンで教えてくれるんです。

:その学校は、パターン検定に特化している専門学校だったのですが、こちらはデザインや素材のことも学びたい。先生から検定を薦められて、しぶしぶ受けましたが、今思うとそれがしっかり自分たちの基礎になっています。卒業というカタチも特にない学校でしたが、5年ほど通いましたね。

景子:2003年にユニットを組んで、別の名前でブランドをスタートしました。05年ぐらいからアクセサリーやバッグを作りはじめて、評判も良く、買ってくれる人も出てきて。06年に二人の名前を取って、ブランド「ROGGYKEI(ロギーケイ)」としてスタートしました。

「最初は周りの友人や知人が商品を買ってくれて徐々に口コミで広がっていった」と語る

展示会というシステムに疑問を感じながら、知人の後押しでパリへ

- ユニットのスタート当初は洋服ではなかったんですね。「ロギーケイ」はいきなりパリで展示会を開いたことで話題になりました。

:2011年にアトリエ兼ショップを大阪・本町に開きました。もともとブランドの展示会というシステムに疑問があって。展示会は見に来てくれたバイヤーにオーダーをつけてもらいますが、それは要するにお金の関係でしかないなと。それより、ショップでファッション好きの人に見てもらう直販のようなカタチの方がよかった。でも、知り合いから「展示会に出す以外、どうやって服を売るの?」とも言われましたね。展示会以外の何かしらの方法があるはずだとずっと考えていましたが、あるとき知人から「パリに行こうよ」と背中を押されたんです。

景子:2人で作っている洋服に関しては、作り始めた当初から、国内外問わず、世界中で着て欲しいという思いがあり、海外で見てもらうことには抵抗はありませんでした。

:それでサンプルを持ってパリに行きましたが、自分たちのブースにはバイヤーが来てくれなくて、1回目はオーダーが付きませんでした。後から分かりましたが、展示会にはセールスという役割の営業が必要で、そういう売り込みがないと、忙しいバイヤーが時間を割いて来てくれないんです。それで悔しくて再チャレンジしました。

景子:パリでの2回目、3回目の展示会ではイベントを催したり、とにかくがむしゃらにやりました。気がついたらパリに行くことで得るものが多くて、最初は“展示会アンチ”だったのに、年4回展示会を開いたり(笑)。

:パリは日本より展示会の時期が早くて、パリに照準を合わせるようなサイクルになっていきました。そうすると、展示会のオーダー分を作るのと、次の展示会用の新作を作る時間ががっちり一緒になってしまって、いつしか新作を作る時間がなくなっていくわけです。

展示会への出展を繰り返し、都度改善したことで、お客様も増えていったという

パリで天然素材が注目されて「レクレルール」が買ってくれた!

-オーダーが入ってうれしい悲鳴ですが、新たな悩みも出てくるのですね。それでも「ロギーケイ」のパリでの挑戦は続けたと。

:パリで知り合った人がセールスを担当してくれて、僕たちは服作りに専念できるようになりました。展示会も大規模なものではなく、単独開催に踏み切ったり、パリでは様々な試行錯誤を繰り返しました。

景子:2015年春夏コレクションの展示会のときに、それまでの化学繊維に加えて、リネンやコットンなど天然素材の服を提案したらとても注目されて、パリの人気セレクトショップ「L’ECLAIREUR(レクレルール)」からオーダーがあったんです。あのときはうれしかったですね。

:16年に第3回TOKYO FASHION AWARDを受賞し、翌年にはINTERNATIONAL WOOLMARK PRIZE 2017にノミネートされるなど、やってきたことが評価されて、株式会社ROGGYKEIを設立しました。

景子:LADY GAGA(レディー・ガガ)がROGGYKEIを着てくれたのもブランドの知名度アップを後押ししてくれました。彼女がMTV記者会見や朝の情報番組に登場したときに着てくれて大きな反響がありました。

:僕たちが作る服は、カテゴライズをされるのも嫌だし、性別も年齢も国も最初から文字通りボーダーレスです。

景子:お客様は上は80歳代から、下はハタチまで、ROGGYKEIを着て楽しんでくれています。

コロナ禍をきっかけに京丹波へ移住、夢だった「田舎暮らし」を実現

— 順調に伸びてきたブランドビジネスですが、なぜこの京丹波に移られたのですか。

:2020年の年明けから始まった新型コロナウイルスの蔓延は、僕たちのライフスタイルを見直すきっかけになりました。それまでは、アトリエにこもる仕事中心の生活で、家には寝るために帰るだけで、休みがないのも当たり前。気がつけばどんどん視野が狭くなっていました。

景子:パリにも行けなくなったし、このタイミングで夢だった田舎暮らしを考え始めて、「家、アトリエ、店舗」を探していたら、理想的な物件が京丹波で見つかって。なぜか、心のどこかで安心しましたね。

:「家、アトリエ、店舗」の条件が揃った物件だったので即決しましたが、本当に「何色にも染まっていない場所」、ニュートラルな場所で、2人共とても気に入っています。

アトリエ、店舗、ご自宅は京丹波の大自然に囲まれている

景子:大阪にいた頃と比べると、正反対ぐらい暮らしが変わりました。今思えば、都会にいたときは、自分と向き合う時間がまったくなくて、目の前にあることをこなすだけで精一杯。でも、ここにいると自然を見ながらホッとできる=自分と向き合っているんです。さらに、「なぜ今、これを作るのか?」という背景や意味がとても大事なことに気づかされました。

:田舎暮らしを楽しんでいるのと同時に、密度が濃いんですよね。

景子:たとえば、ショップ「tomoribi」では古物も取り扱っていますが、大正10年に作られた袴(はかま)は手縫いなんです。でもそれは特別な手仕事ではなく、当時としては当たり前の営みです。私はそれをリメイクしたくて。捨てられたり、燃やされたりする一枚の布を「手縫いでリメイク」したい。100年前のものを生き返らせて、100年後まで大事にされて、また100年後の人が次に生かしてくれるような、「100年プロジェクト」です。「なぜそれを作るのか」が説明できて伝えられるモノづくりをしていきたいですね。

:「tomoribi」は、“日々の生活を照らし、日常に供える灯”ということから命名しました。ROGGYKEIの直営店ですが、京丹波で暮らすいろんな作家さんの作品も販売しています。

店舗には洋服以外にもこの土地ならではの伝統的な古物や京丹波在住の作家さんが手掛ける素敵な作品が並ぶ

景子:私は大阪時代から興味があった手織り機を使った手織りをしたり、染色をしたり、綿花を植えて育ててそれを紡いだり、田植えをしたり、野菜を作ったり、もう究極に楽しんでいます。

:そういう暮らしをすることで、必然的に服を作る時間は減ってきましたが、それも自然の流れで、自分たちにとっては心と身体が一致する人間らしい生き方ができていると思います。これからは、ここに来たら心の充足ができるような、リラックスできる環境を作りたい。「屋内にいるけど、外にいるような空気感」が理想ですね。

景子:草刈りをした後の草を使った草木染めとか、しめ縄などの藁(わら)細工を作るワークショップ、田植え体験など、やりたいことがどんどん出てきて、それぞれが全部繋がって、私たちが京丹波に引き寄せられたような必然性も感じています。

:皆さんがここに来ること自体が一つの体験になる、価値を感じる店に育てていきたいと思います。

今後は四季折々の自然を活かしたワークショップなどを開催予定とのことで、これからの二人の活動から目が離せない

ショップ「tomoribi
京都府船井郡京丹波町質志セトノモト7
営業時間:13:00~18:00(毎週土、日、月曜日)

8月からはtomoribiを皮切りにAW22の展示受注会を各取引先様やギャラリーで巡回します。
詳しくはインスタグラムまたはホームページをご覧ください。

撮影:渡邉力斗(Seep)

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