ラグジュアリー帝国を築き上げたベルナール・アルノーのキャリア術 NEW
総資産35兆円。あまりに巨額な資産に、驚きを通り越して何も感じられなくなってしまう。巨大すぎる数字は、時に感覚を麻痺させる。
LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループの会長兼最高経営責任者(CEO)、ベルナール・アルノー(Bernard Arnault)。「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」「ディオール(DIOR)」「フェンディ(FENDI)」「セリーヌ(CELINE)」など数々のラグジュアリーブランドを傘下に収めるこの帝国の主は、アメリカ経済誌「フォーブス」の世界長者番付で2023年(推定約28兆円)、2024年(推定約35兆円)と2年連続で世界一の富豪となった。
ランキング上位には、イーロン・マスク(Elon Musk)、ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)、マーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)といったテクノロジー業界の経営者が名を連ねる。そんな中、高級ファッションを主軸とするアルノーの存在は異彩を放つ。
現在76歳のアルノーは後継者の育成にも隙がない。5人の子どもたちは、それぞれLVMHグループの重要なポジションで経験を積み、着々と後継者としての準備を進めている。磐石の体制とはこのことを言うのだろう。
稀代の経営者アルノーはどのような道を歩んできたのか。まずアルノーの歩みを振り返り、その後、「歴史あるブランドの価値を上げる戦略」、そして「1987年に始まるLVMHの経営権争い」を軸に彼の行動原理を探っていきたい。
一人の学生がLVMHを掌握し、ラグジュアリー界の王になるまで
1949年3月5日、フランス北部のルーベに生まれたベルナール・アルノーは、裕福な家庭に育つ。彼の父親は建設会社を経営しており、幼い頃から「ビジネス」という言葉が家庭の会話の中に溶け込んでいた。父親の事業は堅実で成功していたが、アルノーの視線は、父の築いた事業の枠を超え、より大きな野心へと向かう。
アルノーは優秀な学生だった。フランスのエリート養成機関グランゼコールの一つで、最高峰の理工系学校であるエコール・ポリテクニークに進学し、数学と工学の厳格な思考を身につける。1971年に父親の会社に入社するが、彼のキャリアを決定づけたのは、その後のアメリカでの体験だった。
ニューヨークを訪れたアルノーは、タクシーの運転手にフランス大統領の名前を知っているか尋ねた。
「知らない。でも、クリスチャン・ディオールなら知っているよ」
この何気ない会話が、アルノーの運命を変える。ブランドビジネスの持つ影響力と、ファッションの可能性を痛感した瞬間だった。
アルノーは受け継いだ父の会社の事業を、建設業から不動産開発業へと転換する。ビジネスのシフトを機に、企業買収を通じて着実にブランドビジネスへの足がかりを築いていった。
1980年代、フランスの高級ブランド業界は混乱し、経営難に陥るブランドが相次いでいた。この状況を、アルノーは絶好の機会と捉える。彼が目をつけたのは、フランスの象徴とも言えるブランド「クリスチャン・ディオール」。それは、彼にとってニューヨークでの体験を呼び起こすブランドだった。
当時のクリスチャン・ディオールはその名声にもかかわらず、親会社であるボサック社の経営不振に巻き込まれ、存続の危機に瀕していた。そこでアルノーは資金を調達し、この苦境にあるブランドを手に入れるための準備を進める。
1984年、35歳の彼はついにボサック社を買収し、クリスチャン・ディオールのオーナーとなった。アルノーは不要な事業を切り離し、ブランドの象徴的な価値を守りながら、経営を立て直す手腕を発揮する。これが彼のキャリアの転機となった。
アルノーの次なる標的は、より大きな帝国だった。
1987年、バッグが主軸のルイ・ヴィトンと、酒造メーカーだったモエ・ヘネシーが合併し、「モエ・ヘネシー・ルイ・ ヴィトン(LVMH)」が誕生。しかし、創業者同士の対立により、経営方針をめぐる争いが勃発した。ここにアルノーが介入する。
アルノーは巧みな戦略でLVMHの株式を買い増し、法廷闘争を経てCEOの座に就く。当時のフランス大統領フランソワ・ミッテランも非難した過激な経営権争いは、アルノーの勝利に終わった。フランスのラグジュアリー業界が、彼の時代に突入した瞬間と言えよう。
LVMHのトップとして、アルノーは次々とブランドを買収していく。 「ジバンシィ(GIVENCHY)」(1988年)、「セリーヌ」と「ロエベ(LOEWE)」(1996年)、「タグ・ホイヤー(TAG Heuer)」(1999年)、「ブルガリ(BVLGARI)」(2011年)、「ティファニー(TIFFANY & CO.)」(2021年)など、数々のラグジュアリーブランドを傘下に収めた。
これらの買収は単なる拡大ではなく、すべてに「ブランドの再生」という意図があった。アルノーは価値あるブランドを選び、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)、マーク・ジェイコブス(Mark Jacobs)といった若く眩い才能を持つデザイナーたちをクリエイティブ・ディレクターに起用し、ブランドを鮮やかに蘇らせた。彼は投資と経営戦略を駆使して、歴史がありながら価値が低下しているブランドや、さらなる価値向上のポテンシャルを持つブランドを革新する天才だった。
2020年代に入ると、LVMHは世界最大のラグジュアリーグループとしての地位を確立し、アルノー自身も「世界一の富豪」として名を連ね、その巨大な影響力から、アルノーは「ファッション界の法王」とも称される。今やLVMHグループは単なる企業体ではなく、ラグジュアリーという「文化」を守るための要塞と呼ぶにふさわしい。

ブランド再生の基準となるブランドとは?
歴史はあるが価値が低迷しているブランドを買収し、新進気鋭のデザイナーを起用してその価値を何倍にも高め、ブランドを復活させる。この手法こそが、アルノーの代名詞だ。
近年でいえば「パトゥ(PATOU)」。1914年創業の歴史を持つが、1987年からブランド活動は休止状態だった。それを2018年にLVMHが買収し、ディレクターに「カルヴェン(CARVEN)」を大成功に導いたギョーム・アンリ(Guillaume Henry)を起用することで、ブランドを長い眠りから目覚めさせた。
ここで一つ、疑問が浮かぶ。
「歴史あるブランドの中から、投資対象として選ぶブランドの基準とは?」
創業から長い歴史を持つブランドは少なくないが、その中でもアルノーが投資対象と見なすブランドには、いくつかの共通点がある。アルノーは単に歴史が長いブランドに注目するのではなく、特定の条件を満たすブランドに投資する傾向がある。
その中でも注目したいのが「強い象徴性と独自性があるかどうか」という点だ。
アルノーは、ブランドが単なる高級品メーカーではなく、「象徴的な存在」であるかを重要視している。たとえば、ルイ・ヴィトンは「旅の象徴」、ディオールは「フランスのエレガンス」、ティファニーは「愛と婚約の象徴」といった「独自の地位」を築いている。ブランドが特定の価値観やライフスタイルと結びついているかどうかが重要なポイントになっている。
言い換えれば「コンセプトが明確かどうか」ということ。ティファニーが「愛と婚約の象徴」としての地位を築いているように、ブランドの特徴が一言で表現できるほど際立つ存在になれたら、それこそが価値だと言える。
コンセプトの明確化はブランドだけに限らず、ビジネスパーソンにも当てはまるのではないか。自分自身のコンセプトを確立し、そのコンセプトを形にするためにスキルを磨き、経験を重ねていく。その結果、価値のある人材として成長していく。
コンセプトは「得意な技術」と捉えてもいいだろう。自分がやりたいことが必ずしも得意であるとは限らない。むしろ、自分があまり好まないことが実は得意だという場合もある。
自分の好きなことをして結果が出るなら、それが理想だ。しかし、現実は理想通りにはいかないことも多い。最も重要なのは結果を出すこと。そう考えると、やりたいことよりも得意なことを優先する冷静な視点が必要ではないか。
得意なことを見つける方法は、これまでを振り返り、結果を出してきた事柄を振り返ることだろう。たとえば、嫌いなことでもやってみると結果が出る確率が高い技術や分野があれば、それが自分の得意な武器である可能性が高い。マーケティングが得意だと思っていたら、実はセールスの方が得意ということがあるかもしれない。
失敗すること、思い通りにいかないことは多い。それを、自分の得意を見つけるためのチャンスと捉えるのも一つの方法。自分のコンセプトを作り、武器を磨くことで、市場で価値を生み出せるようになる。アルノーの基準と判断は、キャリアのヒントを教えてくれる。

冷徹な経営権争いから、見えてきたこと
アルノーのキャリアの中で特に注目すべきは、LVMHの経営権を巡る争いだ。アルノーがとった手法は、率直に言えば「非常に巧妙で非情」だった。
1988年、LVMHはルイ・ヴィトン社長のアンリ・ラカミエと、モエ・ヘネシー社長のアラン・シュヴァリエの間で派閥争いが激化しており、ラカミエは自らがLVMHを主導したいと考えていた。
そのため、ラカミエは当時ディオールを経営し、自分と同じく高級ファッションのビジネスを知るアルノーに協力を呼びかけた。アルノーはラカミエの支持を得て、LVMHの株を取得し、LVMHへ深く入り始める。この時、ラカミエはその後の自分の運命を知る由もなかった。
ラカミエはアルノーを信じ、シュヴァリエを追放するための協力関係を結び、計画を進める。その結果、シュヴァリエをLVMHの経営から排除することに成功した。しかし、ここからアルノーの非常さと巧妙さが明らかになるのだった。
ラカミエはシュヴァリエ追放後、自分がLVMHを支配する立場に立つと考えていたが、アルノーはすでに次の手を打っていた。アルノーは市場でさらにLVMHの株を買い増し、ラカミエの経営権を奪う準備を進める。
ラカミエはアルノーの動きを察知し、LVMHの支配権を守るため、1987年の新株予約権発行を取り消すよう裁判所に求める。この発行はアルノーが支配権を獲得するために利用したものだった。だが、アルノーはこれに対して法的に反撃し、フランスの控訴裁判所はアルノーの34.5%の議決権を認める判決を下した。その結果、ラカミエは辞任を発表し、LVMHを去ることに。これにより、アルノーがLVMHを事実上支配することになった。
アルノーは最初はラカミエの味方として、シュヴァリエを倒す。しかし、今度はラカミエの敵として行動を起こし、最後は自身がLVMHを完全掌握した。アルノーの目的は、LVMHの経営権にあった。内部の対立を利用し、段階を踏んで計画的に主導権を奪ったのだ。
人間の感情を巧みに利用した冷酷な手法と言えるが、一歩下がって冷静に見てみると、目標達成のための基本が露わになっている。
目標を達成するには、バイヤーになるためにセールスとして経験を積むといった具合に段階が必要だ。実現したいこと、やりたいことがすぐにできるとは限らない。むしろ、それが大半だろう。目標は1日でも早く達成したいもの。誰もがそう思う。それは自然な感情だ。
しかし、自然な感情が焦りを生み、誤った判断を促すことがある。自分の目標を達成するためには、一見すると遠回りで時間が掛かるように思えることが、実は最短で最速のルートだったりする。
アルノーはキャリアの過程で、非情な戦略を駆使して目的を達成した。目標を達成するためには必要な段階が何かを冷静に考える思考が求められ、目標達成のための道も一つではない。重要なのは、アルノーのように戦略的に階段を上り、自分にとって最適なルートを見極め、覚悟を持って進むことなのかもしれない。
ファッション界の法王も失敗している
成功ばかりに思えるアルノーのキャリアだが、すべての事業が順調だったわけではない。近年でいえば、2019年に世界のスーパースター、リアーナ(Rihanna)と立ち上げたファッションブランド「フェンティ(FENTY)」が該当する。業績不振から、2021年に休止となった。
35兆円もの資産を築き上げた人間でも、失敗はある。そう思うと、少しは気が楽にならないだろうか。
キャリアの選択に迷いや失敗はつきもの。
「あの時、あの会社を選んでいたら」
「あのオファーを素直に受けていたら」
振り返ってみて、後悔する決断もある。過去を嘆いても、すぐには答えが出ないこともある。
「気持ちを切り替えて、前を向いていく」
そんなふうに生きられたらカッコいいが、なかなか瞬時に切り替えられないのも人間ではないか。少し疲れた時は、一息ついて、後ろ向きな自分をむしろ肯定する優しさが大切。そんな軽やかな気持ちで、ベルナール・アルノーをテーマにした今回を締めたい。
ベルナール・アルノーが築いたラグジュアリー帝国。その成功の鍵は、ブランド価値を見極め、育てる戦略と判断力にありました。自分の「コンセプト」を磨き、強みを活かすことで活躍の場は広がります。あなたはどの分野で価値を生み出せるのか?今こそ見つけ、キャリアの新たな一歩を踏み出しませんか。LVMHグループで成長したい方、ぜひこちらから求人情報をご覧ください。
著者プロフィール:新井茂晃 /ファッションライター
2016年に「ファッションを読む」をコンセプトにした「AFFECTUS(アフェクトゥス)」をスタート。自身のウェブサイトやSNSを中心にファッションテキスト、展示会やショーの取材レポートを発表。「STUDIO VOICE」、「TOKION」、「流行通信」、「装苑」、「QUI」、「FASHONSNAP」、「WWDJAPAN」、「SSENSE」などでも執筆する。
Brand Information

LVMH Watch & Jewelry
市場でも最もダイナミックなブランドに数えられる、LVMHウォッチ & ジュエリー事業のメゾンは、
高級時計およびジュエリー & ハイジュエリーの2つのセグメントで事業を展開しています。
卓越と創造、革新の追求こそ、この事業分野におけるメゾンの原動力です。