「堂島ロール」“営業しない営業”の極意と、引く手あまたのグローバルブランドに成長した20年の軌跡
ふわふわのスポンジ生地と甘さ控えめのすっきりした味のクリームがたっぷり入った堂島ロールは、行列ができるほど話題となり、デビューから瞬く間に一世を風靡し、その人気は日本にとどまらず、中国、韓国といった海外でも人気となった。一見単純に見えるロールケーキというケーキを扱いながら、2023年に20周年を迎えるグローバルブランドに成長していった過程では、どんなできごとがあったのか。また今後の展開として、どんな取り組みを行おうとしているか、株式会社 Mon cher(モンシェール)代表取締役の金 美花氏にお話を伺った。
金 美花さん/株式会社 Mon cher(モンシェール) 代表取締役
福岡県生まれ。大学卒業後、小学校教師を経て2003年、大阪・堂島に現「パティスリー モンシェール堂島本店」を開業、株式会社Moncher代表取締役となる。ひと巻きの“堂島ロール”が口コミで人気を呼び、TVや雑誌、報道メディアに多数紹介される。
実は生クリームと牛乳が苦手!? そんな私がおいしいと感じる生クリームを目指した
― 堂島ロールを作られた経緯を教えてください。
趣味の「お菓子作り」と「旅行」がきっかけでした。それまでお仕事は教師をしていましたが29歳で退職し、かねてからの憧れていたヨーロッパにでかけました。2か月かけて10か国旅したのですが、その際、各地で様々なパティスリーやカフェ、サロンと出会い大変感動しました。
特にパリには著名ラグジュアリーブランドの本店が多数あってその圧倒的な存在感は迫力ありましたが、当時の私にはまったく手が出なくて…。
高価な宝石やバッグを眺めては諦めてお店の前にある可愛いパティスリーで美味しいケーキセットを頂くと、なんとなく優雅な気持ちになりました。
それを繰り返しているうちに気づいたのです。
人は決して何十万円とかけなくても美味しいケーキで≪心が幸せ≫になれるのだと。それで、私も「ケーキで世の中に≪幸せ≫なひと時を届けたい」と思うようになりました。
― 教師が起業、というのは大きな変化です。なぜご転身を考えられたのでしょう?
教師を辞める予定ではありませんでしたが、日頃から生徒たちに「自分を信じて頑張れば必ず夢は叶う!」と言い続けてきたので、果たして自分はどれだけ社会に通用するかだんだんチャレンジしたくなりました。
いよいよ教師を退職し将来の構想を練っていた頃にたまたま当時堂島のホテルを運営されている企業さんとお話しする機会があったので、自身の夢を打ち明けたところ、ちょうどホテル側の計画と合致し通路を借りてパティスリーをオープンさせて頂く事になりました。
― 最初のスタートはご縁からだった、と。
「なんてラッキーなんだろう!」と喜んだのも束の間。オープンまで苦悩な日々が続きました。
なんでも「自由」に決められるという事は楽しい反面一切の「責任」が自分の肩にのし掛かるという訳で、シビアな現実に直面し眠れない夜が続きました。例えばネーミング、ブランドカラー、商品、パッケージ、小売価格、チーム編成などなど…。あらゆることを自分が決めて「責任」を負うという「起業の重圧」を痛感した次第です。
― お店をオープンするにあたって、どんな点にこだわりましたか?
最初に決めたのは「お店の名前」と「ブランドカラー」。次に「生クリームの味」です。「ブランドカラー」は「どんな色なら買って頂けるか」ではなく、「買ってくださった方が誰かに贈る際に1円でも高く価値を感じられる高貴な色は何色か」という視点で選びました。
そして最もこだわったのが「クリームの味」でした。実は私は幼い頃からお菓子作りが趣味でしたが、どうしても市販の生クリームや牛乳は苦手で…。
― 生クリームが苦手だったのですか?それは意外です。
私が好きなのは食材が化学反応起こして美味しいお菓子に出来上がる過程や、手作りしたケーキを囲んでみんなで楽しく過ごしたり、食べる人の喜ぶ姿を見る事であって、くどい生クリームをたくさん食べる事はあまり好きではありませんでした。
そこで、こんな私でも美味しいと思えるクリームを独自に作ろうと決心したのです。
ではどんな味を目指すのか…。その答えは幼少時代の体験にありました。
ある時ケーキ作りでクリームが完全に泡立つ前のまだみずみずしいクリームを味見したところ、(なんて美味しいんだろう)と感激した覚えがあって。
その味~「ミルクの香り豊かで、コク深くて後味良い」味わいこそ目指すべきクリーム。“バターのような濃厚な味わい”ではなくて、“まるで搾りたての生乳を食べているかのようなフレッシュな味わい”を求め、シェフと何度も何度も試行錯誤しながら追求し、やっとのことで完成しました。
「フレッシュ=新鮮」にこだわるもう一つの理由は、海や畑が近い福岡で育ったという点です。
生まれ育った飯塚の町はとても自然豊かで、毎朝おばあちゃんがリアカーでひいて来るもぎたての果物とお野菜や、ラッパを拭きながら焼てくるお豆腐屋さんの出来立て豆腐を食べながら育ちまして。“食べ物は新鮮な方が美味しい”という福岡の食文化が味覚の軸に記憶もそのまま「堂島ロ―ル」につながったのだと思います。
― なるほど。一見つながっていないようなものが、実はつながっているんですね。
教員とケーキショップ経営はまったく別物だと思っていましたが、ふりかえるとやはりこれも“つながっている”ことに気づきました。
私は教員時代の20代をほぼ売上や予算や経費などお金とまったく接点持たずに過ごしました。ただ目の前の子供達に“立派になって欲しい”という想いだけ。そんな、相手を第一に考え尽くすという仕事のやり方を自身のスタイルとして構築できた事で、起業当初からそろばん勘定より「ご来店頂いたお客様に喜んで頂きたい」という一心で考え行動し、結果として多くのお客様に繰り返しご来店いただけて事業を発展してこれた思います。良く考えると、それって「商いの基本」ですよね。
「相手の気持ちに精一杯応えたい」という思いからの行動が営業につながる
― 最初はロールケーキではなく、ミルフィーユを作られていたそうですが。
シェフの自信作がミルフィーユだったのでそれを売ろうとしましたが、ミルフィーユはすごく手間がかかってあまりたくさんの量を作れません。そこでオープン記念セールとして、目玉のミルフィーユに、もう1つの商品を半額で販売することにしました。選ばれたのが一番手間がかからないロールケーキ。ただ脇役としてロールケーキを足しただけでした。実際販売してみたところ、お客さまが求めていたのは予想を反し、なんとロールケーキだったんです。
― その後、店舗はどのようにして展開していかれましたか?
こちらから営業して出店したことは一度もなく、全て先方からのオファーで出店してきました。ターニングポイントは阪急百貨店様での催事です。800本分の整理券が20分で完売し、オープンと同時に1階から7階まで行列ができたのです。
あまりの人気に思わず感極まって泣きました。同じくその光景を眺めていたのが三越様のバイヤー様でした。銀座三越様からも催事のお話をいただき、一日500本、1週間毎日売り切りました。その後すぐに「出店しませんか?」とお誘い頂いていよいよ百貨店に出店する事になりました。
当時の私は「営業しない営業」ということばをいつも使っていました。つまり「相手の気持ちに精一杯応えたい」という思いをもって「いい仕事」をして、また「いい仕事」を頂く。「自分たちの行動がうんだ結晶で営業する」ということですね。
― さらに海外にも展開されていかれて。
“これからは中国の時代だ”と聞こえ始めた頃、上海万博に出店しないかとオファーを頂いたのでありがたいと受け止めてチャレンジしました。現地の方々からも好評ですぐに出店のオファーを頂戴しました。万博の経験から、“美味しい”と“笑顔”は万国共通だと確信持てたので本格的が海外事業に踏み込みました。
― その次のタイミングで韓国に行かれたそうですが。
韓国では「世界で活躍する韓国籍の人」を紹介するテレビ番組の旧正月特番で大々的に紹介されたことで、翌朝から出店のオファーを沢山頂きました。中でも数社の大手百貨店さまはすぐに大阪まで飛んでこられて、その熱意に迷いも溶けて2社の百貨店に出店する決心しました。
しかし、オープン日を決めるのがまた大変でした。
双方がこぞって「韓国で最も先に堂島ロールを売らしてほしい」と。その競争は数か月続き、どちら様の言い分も理解できるし既に同等の想いが湧いていたので、「だったら同じ日に同時オープンする!」と決めたのですが、そうなると今度はありがたいことに2社の百貨店様がこぞってたっぷり宣伝費をかけてあらゆるメディアに露出させてくださいまして。そのお陰で初日から大盛況。韓国での行列は3年も続きました。
それより最も嬉しかったのは、韓国オープンから2年後に韓国で「バイヤー物語」という形で、堂島ロール韓国初上陸のために頑張ってくださったバイヤーさん達がメディアに取り上げられて、ヒットの裏に隠れた彼らの多大なる努力とご支援にスポットライトを当てて世の中に好評して頂けた事です。今でも感謝しかありません。
辞めたシェフのお店も手伝う、モンシェール流の共存共栄の考え方
― 金さんは新しい店舗がオープンすると、店舗に駆けつけて立ち会うと伺いました。
店舗の基礎を築く店舗のスタッフ達に「このお店のことを大切に思っている」というこちらの想いを伝える事はとても大事ですから。弊社は、企画から開発、品質検査、製造、配送、販売のすべてを自社で一貫していて計画とチームワークで成り立つ製造販売業ですから、オペレーションはけっして簡単ではありません。軌道に乗せるところまでしっかり見届けて安心したいという目的もあります。
― すでに日本国内問わず海外にも展開されていますが、今後はメイドインジャパンのこのケーキを、海外に冷凍で出していくそうですね。
もとは新鮮な堂島ロールを店頭でお渡しするスタイルを一貫していましたが、コロナで生活が一変しお客様のご来店が難しい社会になってしまいました。そこで、ご来店頂けなくてもお届けできる方法を模索した結果、発送をはじめました。現在は北海道から沖縄まで全国にお客様がいらっしゃいます。今は遠くてご来店頂けない方々のお手元にモンシェールのお菓子が届く事にとてもやりがいを感じています。
今もオーストラリアとタイなどからオファーを頂いています。すぐに飛んで行くのは難しいですが、日本の素材から生まれた新鮮なケーキをそのまま届けることに対しての手応えもあり、大きな可能性を感じています。また、微力ながら“日本の美味しさを発信する”という、社会的な貢献ができることも、大きな喜びを感じています。
冷凍に向いているクリームの研究開発もずいぶん行いました。大手通販会社さんでは、3年連続「味で一番美味しいロールケーキ」という高評価をいただきました。生の堂島ロールでも、冷凍ロールケーキでも、日本一美味しい、世界一美味しいと思って頂ける高品質なロールケーキをお届けすることを目指し、来季には海外展開の予定です。
― さらにパティシエが主人公のお店、商品展開も行っていくそうですね。
今までは≪堂島ロール≫という商品が注目されて、私たちも約19年、幅広い展開させていただきました。来年の11月3日で20周年を迎えますが、その時にはロールケーキと同じくパティシエの想像力により誕生する、作り上げるという魅力も加えていきたいと思っています。
堂島ロールはシンプルなケーキですが、そのシンプルなものを作っている中にも、専門知識や技能を研究して美味しいケーキを作っているシェフがたくさんいます。会社の方針として単品を磨き上げることに集中してきましたが、それプラス、次は職人の研ぎ澄まされた感性でいろいろなことにチャレンジしていきます。(2022年4月27日に、大阪「肥後橋」エリアに、「27℃」というパティシエのインスピレーションによるお菓子が並ぶ、パティシエが主人公であるモンシェールの新ブランドが誕生)
― ロールケーキを出さないというのは、大きな変化ではないでしょうか?
私たちとしては大きな転機です。これまでと違って逆にロールケーキが無い分、職人が自分達のケーキでお客さまを呼ばないといけない、という高いチャレンジ目標を掲げることができます。これも良い事だと思っています。
もちろんこのチャレンジは簡単ではありません。きっと任されたパティシエも、私がモンシェールを立ち上げた時と同じようにプレッシャーを感じていると思います。その中で保守的にならず、絶えず自分を信じて目標に向かって精一杯努力する日々こそ、成長する過程ですし、パティシエが「やってみよう」というチャレンジ精神を持って頑張るだけでもありがたいですね。今後はこのようなお店を増やしていきたいと思っています。
― 商品と人に重きを置くことを体現されていますね。
ご存じの通り、起業というのは簡単ではありません。私もなかなか売れなくてノイローゼになりかけた時期もありますから。チャレンジ精神を持ってやる時点で応援したいんです。
モンシェールにいたパティシエがお店を出す時は、なるべく世間にも伝えて、出来る限り応援したいと思っています。オープンする時は、弊社のスタッフたちが手伝いに行ってて。そんな共存共栄がとても素敵だなと感じています。シェフたちは、「OB会を作りたい」と言ってくれているんですよ。「モンシェールとつながっていたい」と思ってくれているのが嬉しいですね。
モンシェールは歴史が浅いこともあって、型にはまっていません。目指すのは、ただただ“ときめき”と“信頼”あるお菓子で≪幸せ≫をお届けする事。
その一点のゴールに向かって、これからも業界が積み重ねてきた素晴らしい伝統を受け継ぎながら、何一つ約束されていない未来に向けて、常に時代の流れを敏感に感じ取りながら、のびのびとチャレンジして参ります。
お客様はもちろん、生産者様、お取引先様、スタッフに「喜んで頂ける事」と思うことはなんでも取り入れて、愛溢れる会社を築きたいと思います。
モンシェールでは、「目の前の人に喜んでもらいたい」という同じ想いをお持ちの企業様との積極的なコラボレーションを考えています。世界観を一緒に作っていける企業様からの応募をお待ちしています。ご興味がある方はこちらから詳細をご覧ください。
文:キャベトンコ
撮影:渡邉力斗(Seep)
Brand Information
Mon cher
堂島ロールは“永遠”に続く
“ご縁”と“和”の象徴