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ラグジュアリーブランドのマネージャーが教える、グローバルキャリア成功のカギ Vol.15 ビジネスチャンスが眠るベトナム

ラグジュアリーブランドのマネージャーが教える、グローバルキャリア成功のカギ Vol.15 ビジネスチャンスが眠るベトナム NEW

ラグジュアリーブランドの海外支社で働く――。そんな憧れを実際に叶えた、日本人男性・野﨑健太郎さん(ペンネーム)が綴るコラムです。日本人がグローバルで働く上で知っておきたいこと、海外のマーケット動向、キャリアアップしていくためのヒントとは……?これまでたくさんの挑戦と成功を重ねてきた野﨑さんだからこその視点や気づき、エピソードなどを交えながらお届けします!
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先月はタイで働いた印象や経済データ、歴史などについて書きました。今月は、ベトナムに焦点を当て、もう少し踏み込んで実態を見ていきたいと思います。今後の経済成長のカギを握るとされるグローバルサウスの中でも、特に大きな期待が集まるベトナム。これからベトナムや東南アジアを訪れる方、移住や仕事を考えている方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

ベトナムは大きく3つの地域に分かれる

ベトナムを大きく分けると、文化的にも言語的にも、北部・中部・南部の3つに分類されます。簡潔に整理するなら、北部は「政治の中心」、南部は「商業の中心」、中部は「歴史と文化の中心」です。

私は日本に住んでいた頃、ホーチミンとハノイの違いすらよく分かっていませんでした。しかし、この2都市は想像を大きく異なります。日本に例えるなら、青森と福岡くらいの違いを感じます。ベトナムの国土は南北に長く、その長さは日本の本州と同じくらい、あるいはそれ以上あります。北と南、その間に位置するのが中部のダナン周辺です。このエリアは、いわば「第3の極」のような役割を果たしています。

ハノイは中国だった?

ハノイの冬はコートが必要なほど寒い――そう聞くと、意外に感じるかもしれません。実際、冬の風はかなり冷たく、私が担当している東南アジアエリアの中で、唯一コートが必要になる都市がハノイです。

ベトナムの首都であり、政治の中心でもあるハノイでは、スーツやジャケット姿の人もよく見かけます。以前、「東南アジアで最も中華圏の影響を強く受けている国がベトナムだ」という話を書きましたが、その象徴とも言えるのがハノイです。

ベトナム北部は紀元前111年から約1000年にわたり中国王朝の支配下にあった時代があります。現在の感覚で「中国だった」と言い切るのはやや乱暴ですが、中国王朝の一行政区として統治されていた期間が非常に長かった、というのは事実です。

たとえば三国志の時代、この地域は孫権が治める呉の勢力圏に含まれており、中国史の中では「南方の一地域」として扱われていました。そう考えると、ハノイの街を歩いたときに、どこか中国的な雰囲気を感じるのも、気のせいというより自然な感覚だと思います。

では、ハノイの人々のアイデンティティは中国的なのかというと、まったくそうではありません。むしろその逆で、「中国から分離独立してきた」という意識が非常に強く、中国とは歴史的にも心理的にも距離を取ろうとする姿勢が見られます。実際、1979年には中越戦争が起きており、この戦争では「ベトナムが中国軍を退けた」という認識が、国内では広く共有されています。

一方で、約1000年にわたる中国支配の影響が、今も色濃く残っているのもまた事実。儒教的な価値観、官僚的な仕組み、政治を重視する空気感――これらがハノイという街の印象を形成しているように感じます。

ベトナム人の同僚と話して印象的だったのは、「ベトナムのエリート層は、かつてアメリカでもフランスでも中国でもなく、ソ連(現在のロシア)に留学するのが一般的だった」ということ。

アメリカはベトナム戦争で南部を支援した敵国、フランスは植民地支配の記憶が残る国、中国は国境を接する警戒すべき存在。そう考えると、同じ社会主義陣営で、精神的にも政治的にも頼れる存在だったソ連が、「父親のような国」として浮かび上がってくる構図は、とても分かりやすい気がします。そして、留学が終わり母国に戻ると、政府機関で一定期間働くことが義務付けられており、それを終えると国内のトップ企業へとキャリアを進めていく方が多いそうです。このように北部は政府に関連した仕事が多いようで、中部南部にくらべると比較的”堅い“印象があると思います。

急発展する商業の街・ホーチミン

ハノイが政治の中心とすると、ホーチミンは商業の中心。私たちの会社のベトナム支社もハノイではなくホーチミンにあり、多くの外国企業が進出しています。街にはオペラハウスや教会、フランス統治時代の建物も多く残っており、様々な文化が交差する活気ある街という印象です。初めてホーチミンに訪れたときに驚いたのは、バイクの数。道を歩こうとしてもバイクがあまりにも多く、最初は上手く歩くことすらできませんでした。歩道にも駐車されたバイクがあふれ、歩く場所がなく途方に暮れたのを覚えています。
しかし不思議なもので、慣れてくると、そのバイクタクシーをうまく利用しながら、交通量の多い交差点もひょいと渡ることができるようになりました。ベトナムの首都はハノイですが、人口が多いのはホーチミンであり、商業の中心は間違いなくこの街にあります。

日本の商業の街・大阪がそうであるように、ホーチミンの人たちは、ハノイに比べると軽やかにコミュニケーションを取るのが特徴です。ハノイが官僚的に上下関係を気にするのに対して、ホーチミンはスピード重視。活気が感じられるのはこのあたりに起因しているのかもしれません。実際にホーチミンの街の発展のスピードは凄まじく、新しいビルが次から次へと建設されていて、”成長真っただ中の国“というのを目の当たりにできます。

成長しているところには、必ずビジネスチャンスがあります。実際に日本人の経営者のなかでも、その波を掴んだ人がいます。益子陽介さんが2011年にホーチミンで創業したピッツァ専門店「Pizza 4P’s」は、日本に逆進出するほどの成功を収めています。益子さんは、ベトナムに本格的なナポリピッツァがまだ少ないことに着目し、将来的な需要の高まりを見越して事業を展開し、見事に成功させました。私の友人もハノイでIT関連の会社を起業して大成功を収め、シンガポールを拠点に悠々自適に暮らしています。もし、日本で行き詰まりを感じている人がいたら、ベトナムという選択肢を考えてみるのもひとつかもしれません。

ベトナムのゴールドコースト、中部ダナン

最後にベトナム中部を見てみましょう。中部にはダナンという大きな街に加え、フエやホイアンといった歴史と文化を感じる都市があります。ダナンは大きな河川を抱え、古くから港湾都市として発展してきました。かつてインド商人たちが立ち寄った地であり、内陸部に残るヒンドゥー教の遺跡などから、ここにチャンパ王国が栄えていたことが分かります。ベトナムの中でヒンドゥー文化の影響を見られるのはこの中部地域だけです。北部のどこか堅い空気感、南部のスピード感と比べると、中部は少しゆっくりと時間が流れているように感じます。広大なビーチが広がり、高層ホテルやコンドミニアムが立ち並ぶダナンは、まるでゴールドコーストのようです。旅行客や地元の人たちが朝からビーチに出て、体操やサッカーをしたり、泳いだりと思い思いに海を楽しんでいます。

ダナンから車で30分ほど南下すると、古都ホイアンがあります。15世紀から19世紀にかけて中国、ヨーロッパ、日本の商人たちが往来し、国際貿易都市として発展してきました。なかでも興味深いのは、かつて江戸幕府と朱印船貿易が盛んに行われ、日本人街を形成し、「日本橋」という橋があることです。数百年も前から日本人はこの地を訪れ、貿易を行い、ベトナムの地域社会の中で重要な役割を果たしてきたのです。ダナンの街にはハングル文字も溢れていて、近年は韓国との関係も強化しつつあることが分かりますが、ベトナムと日本の友好的関係にはとても長い歴史があり、一朝一夕に始まった関係ではないことがわかります。

3人に1人は“グエンさん”

ベトナムで仕事をしていて、驚くのが「Nguyễn(グエン)」という名字の多さです。統計によると、国民の約3人に1人がNguyễn姓だとか。その背景には、ベトナムを統一したNguyễn朝の存在があります。政権交代のたびに、身を守るために姓を変える人が増え、最後の統一王朝であったNguyễnの姓を名乗る人が広がっていったとされています。

歴史的にみると、ベトナムは長い間南部と北部が対立し、別々の道を歩んできた時期があります。その分裂を経て、Nguyễn朝は全国統一を果たし、都を中部のフエに置きました。南北のちょうど中間に都を構えたこと自体が、「一つの国」としての象徴だったのかもしれません。

ベトナムでよく耳にするのが、「ハノイのほうが良い」「ホーチミンのほうが良い」という南北自慢です。最初は戸惑いましたが、歴史を知ると、その背景には戦争や対立の記憶があることが分かります。しかし同時に、その長い歴史を経て、ベトナムは今ひとつの国として急成長の途上にあります。勤勉な国民性、儒教的な価値観、そして歴史を背負いながら前に進む力。日本との共通点も少なくありません。だからこそ、日本人が果たせる役割もきっと多くあるはずです。3人に1人がグエンさんという事実は、この国がいかに激しい歴史を経て、ひとつにまとまってきたかを物語っています。今後も、高い成長と発展が期待されるベトナムから、目が離せません。

■著者プロフィール
野﨑健太郎

大学卒業後はモデルとして活動し、国内外のショーや広告などに出演。28歳のとき、大手量販店で販売のアルバイトを始める。その後、いくつかのラグジュアリーブランドでのストア、オフィス勤務を経て、2021年12月より某ブランドのシンガポール支社に勤務。趣味は高校時代から続けているサーフィン。

■ペンネームへ込めた想い
野﨑健太郎はペンネームで、尊敬する祖父の名前です。祖父は明治生まれで、西郷隆盛を思わせるような大きな体と味海苔をおでこに張り付けたような太い眉の持ち主でした。東京・五反田を拠点に京浜工業地帯で鉄を拾って歩き回り、町工場を営んでいた祖父。信条は「上天丼を食べたいなら、人の倍働け!」でした。残念ながら50代で亡くなり、直接会うことは叶いませんでしたが、この言葉は親戚を通じて私の耳に届き、私の心に深く刻まれています。祖父のハードワーク魂が自分に宿ることをこのペンネームに込めました。

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