1. HOME
  2. 最新ニュース&インタビュー
  3. ラグジュアリーブランドのマネージャーが教える、グローバルキャリア成功のカギ Vol.16 東京の高級住宅街という“井戸”

JOURNAL

ラグジュアリーブランドのマネージャーが教える、グローバルキャリア成功のカギ Vol.16 東京の高級住宅街という“井戸”

ラグジュアリーブランドのマネージャーが教える、グローバルキャリア成功のカギ Vol.16 東京の高級住宅街という“井戸” NEW

ラグジュアリーブランドの海外支社で働く――。そんな憧れを実際に叶えた、日本人男性・野﨑健太郎さん(ペンネーム)が綴るコラムです。日本人がグローバルで働く上で知っておきたいこと、海外のマーケット動向、キャリアアップしていくためのヒントとは……?これまでたくさんの挑戦と成功を重ねてきた野﨑さんだからこその視点や気づき、エピソードなどを交えながらお届けします!

※過去記事はこちら→Vol.1Vol.2Vol.3Vol.4Vol.5Vol.6Vol.7Vol.8Vol.9Vol.10Vol.11Vol.12Vol.13Vol.14Vol.15


春は、別れと出会いの季節。新しい挑戦に期待を感じる一方で、不安もあると思います。そこで今回のコラムは、私が生まれ育った東京のある高級住宅街のリアルを赤裸々に書いてみたいと思います。これから東京で働く方の参考になればと思います。

地下鉄で通勤する父は貧乏なの?

いつ頃からか、「親ガチャ」という言葉が使われるようになりました。東京に生まれたら当たり、という意見もよく見かけます。

私は大使館や邸宅が並ぶ都心の高級住宅街で生まれ、バブル経済のまっただ中の1980年代から1990年代に育ちました。外から見れば、きっと「大当たり」だったのだと思います。(この先を読んでいただければわかると思いますが、これは自慢でも何でもありません)

ただ、実際にその中で育ってみると、少し違う現実がありました。

特に印象に残っているのが、僕が小学校2年生の時に向かいに引っ越してきた家族。オーストラリアでの駐在帰りで、家族構成はうちと同じ5人家族です。年齢も近かったことから、すぐに家族ぐるみの付き合いが始まりました。

その家には、あと2軒くらい家が建ちそうな広い庭があり(実際、しばらくして大きな家を2軒建てて外国人に貸し出していました)、海外から持ち帰ったゲーム、BMX、ゴルフをしたりしました。雨の日には、家の中でビリヤードや卓球で遊んだこともあります。

私の家とはまるで別世界でした。帰国子女の彼らの会話には英語が混ざり、近所の大使館や駐在員の子どもたちとも流暢な英語で話していました。この出会いが、私の海外への憧れの原点になったのは間違いありません。

私の父はサラリーマンで、スーツを着て地下鉄で通勤していました。誰もが知る企業に勤めていたので、世間的にはエリートだと思います。しかし、僕が生まれ育ったエリアでは、朝、両隣の家の前にはいかにも高そうなダークカラーの車が停まっていて、運転手さんがフワフワの茶色い羽根のブラシで艶々のボディの小さな埃を丁寧に拭っていました。運転手さんがいない家庭でも、自家用車は欧州の高級車が当たり前で、国産車に乗っているのは私の家くらいでした。

そんな環境だったので、子どもの頃は「うちは普通ではないんだな」という少しズレた感覚を持っていました。

お金の差、経験の差、お金の怖さ

なぜ、私の家族がそのようあ住宅街に住んでいたのかというと、祖父の土地を相続して、親族で家を建てたためです。父の兄弟たちは医者や弁護士で、経済的にも余裕がありました。一方で、自分の家はサラリーマン家庭。母はあまり周囲のことは気にせずにマイペースだったのと、性格が明るくてお金がそんなに無くても工夫しながら生活していて、家庭はとても楽しかったし、恵まれていたと思います。

ただ、周りの子たちが海外旅行やスキーに行っている中で、そういった経験はあまりできなかったり、高校生や大学生になって周囲が留学したりするのを憧れの眼差しで見ているしかありませんでした。お金の差そのものというより、経験の差を感じていたのだと思います。

またただ一つだけ、「お金」に対しては、少し怖さを感じるようになってしまいました。それは、裕福なのに、どこか満たされていないように見える親戚や近所の大人たちが周囲にいたからだと思います。

なかでも、お金に対して強い執着を持っている人たちの言動には、子どもながらに違和感を持っていました。経済的に十分に恵まれているはずでも、周りには資産も収入も桁違いのオーナー経営者がいたため、さらに上を求め続けてしまったのだと思います。

そうした人々の姿を見て、「お金を持っていても満たされているとは限らない」と思うようになってしまいました。

エリート学生が犯罪を犯す罠

私の家の近所には、有名な俳優さんたちや世界的なデザイナーの方々が普通に生活していました。それはとても刺激的で、いい影響もあったと思います。ただ、心のどこかで「エリートになるだけではなく、自分も何か大きなことを成し遂げないといけない」というプレッシャーのようなものも感じていました。

当時の自分には、彼らがごく一部の成功者であるという現実が見えていませんでした。だからなのか、「普通にエリートサラリーマンになること」にどこか価値を感じられず、「一発当てるしかない」という極端な考え方に引っ張られていた気がします。

また、例えば渋谷で派手に遊んでいたちょっと不良っぽい友人の中には、いわゆるエリート中高一貫校出身者や、超がつく進学塾に通っていた者同志が集まったグループもいました。

彼らの家庭環境を見ると、高級住宅街に住んでいても、バブルで家業がうまくいかなかったり、親がエリートでも家庭にどこか歪みがあったりと、表からは見えない違和感を抱えているケースがありました。

彼らは大学生になっても、「見せるためのお金」や「わかりやすい成功」を求めて、グレーなことに手を出したり、いかにして「一発当てるか」を模索していたように思います。

このような背景を知っていると「○○大学(有名大学)の学生が逮捕」というようなニュースを見ても、なんとなく納得がいってしまう部分がありますし、人としてのモラルや規範の大事さを痛感します。職業は人と競うためのものではなく、自分が得意なことで社会にどう関わるかを軸に選ぶものなのかもしれません。

自分の好きを基準に

このような経験から思うのは、不相応に“上”の環境に合わせる必要はないということです。高い給与だけでなく資産がない状態で高級住宅街に住むと、見えないところで無理が出てきますし、私のように子供の経験に差が出てしまいます。給与+資産があって初めて高級住宅街の「普通」になれるのではないかと思います。

それよりも、例えば海が好きなら湘南や千葉の海の方に住むとか、山が好きなら高尾や大宮に住んで、都内に入る渋滞ストレスなく週末に長野や新潟、東北に行くとか思い切り楽しめばいいと思います。

私自身も結婚を機に神奈川県の海沿いへ引っ越しました。最初は賃貸住宅だったので「嫌だったらすぐに都内へ戻ればいい」という気持ちで選んだのですが、結果的には「もう都内には戻りたくない」と思うほど気に入りました。

「自分が心から好きなもの」が身近にあるのは最高の贅沢で、都心にいた時よりも幸せに感じることが多くなったように感じます。便利さや街の「格」で住む場所を選択する人も多いと思いますが、自分の「好き」で選んだ方が、結果的に豊かに暮らせると思います。人生はヒエラルキーを上るためにあるわけではなく、自分が楽しいと思える場所で生きることの方が大切です。

海外へ出てみる

このような環境の中で、僕が出した答えは「もっと違う世界を知りたい」、「海外に出てみたい」という思いでした。海外へ出れば、港区だろうが千代田区だろうが関係ありません。どこの大学を出ていようと外国人にとっては大差ありません。「どこに住んでいるか」「どの大学を出たか」よりも「自分がどんな人間か」が重要になるのです。「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がありますが、東京の高級住宅街もまた、小さな井戸のひとつなのかもしれません。

いま振り返って、親ガチャが当たりだったのか、外れだったのかと考えると「大当たり」だったと確信しています。それは高級住宅街に生まれ落ちたからではありません。父は一生懸命に働いていました。寝ている時に寝言で仕事のことを話すほど懸命にやっている姿に子供ながらに仕事の厳しさを知りました。

母はいつも優しく、自分たちが苦しくても人に優しくするような人でした。なんでも奪い取ろうとする親戚とは全く違う高いモラルを持った人でした。そして工夫が上手な人で、シンプルで簡素な洋服でもいつも素敵に着こなしていました。

日本の有名大学をただ出たからといっても海外では通用しませんが、両親からもらったハードワークの精神と高いモラル、自分の持っているモノの範囲で工夫することは、世界中どこに行っても通用する私の大きな武器になっています。

海外への転職に関するご相談をお受けしています!
現在、海外で働きたい方やグローバルにご活躍されたい方の個別のキャリア・転職相談をお受けしています。ご興味のある方は、こちら(野﨑さんのLINEアカウント)までお気軽にご連絡ください(費用などの詳細に関してもこのLINEにお問い合わせください)。

野﨑さんからのコメント
「約一年、Nestbowlにコラムを書かせていただき、新たな夢が生まれてきました。それは、私と同じような悩み、壁、苦しみを感じている人のお役に立ちたい、助けになりたい、自分の経験をシェアしたい——という夢です。海外転職、ラグジュアリーブランドのキャリアアップをお考えの方のお役に立てればうれしいです!」 

■著者プロフィール
野﨑健太郎

大学卒業後はモデルとして活動し、国内外のショーや広告などに出演。28歳のとき、大手量販店で販売のアルバイトを始める。その後、いくつかのラグジュアリーブランドでのストア、オフィス勤務を経て、2021年12月より某ブランドのシンガポール支社に勤務。趣味は高校時代から続けているサーフィン。

■ペンネームへ込めた想い
野﨑健太郎はペンネームで、尊敬する祖父の名前です。祖父は明治生まれで、西郷隆盛を思わせるような大きな体と味海苔をおでこに張り付けたような太い眉の持ち主でした。東京・五反田を拠点に京浜工業地帯で鉄を拾って歩き回り、町工場を営んでいた祖父。信条は「上天丼を食べたいなら、人の倍働け!」でした。残念ながら50代で亡くなり、直接会うことは叶いませんでしたが、この言葉は親戚を通じて私の耳に届き、私の心に深く刻まれています。祖父のハードワーク魂が自分に宿ることをこのペンネームに込めました。

SNSでこの記事をシェアする